kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「原発は、震度7以上の揺れでも耐えられる」by 大槻義彦(笑)

物理学者・大槻義彦の「老醜」 - kojitakenの日記 についた「はてなブックマーク*1より。

Zarathustra1951-1967 物理化学, 啓蒙, 安全事故, 災害
大槻さんは啓蒙に非常に大きな功績があるので、と学会周辺が馬鹿にしきった論調で書いてるのには腹が立つ。というのはおいといて2010年11月女川での話 http://blog.goo.ne.jp/octochu/e/6c8f729f4f1f16ae22d6424bd075d3c1 も読んどくといいよ 2011/10/30


このブクマコメントを読んで、リンク先をたどってみた。

★有名人・大槻教授の講演に違和感あり - 宮城県の小さく綺麗で穏やかな海辺に住む、はげたま(禿頭)おっさんの~ごまめの歯軋り~

11月27日(土)に、宮城県女川町の中心部にある生涯教育センターちゅう場所で、『もっと知ろうプルサーマルプルサーマルシンポジウム2010〜』が、午後1時半から4時15分まであったがや。

これは去年のお話。大槻義彦かく語りき。

「私はプルサーマルは得意な分野ではない」

原発は、震度7以上の揺れでも耐えられる」

(中略)

「当初から比べれば、人類の幸せのために使われる原子核量子力学の発達は、パソコンなど人類の身近なものに役だっている」

(中略)

プルサーマルへの不安を持つのは当然であるが、車社会では車だって事故のリスクを考えれば、安全な物とは言えない。年間の交通事故による死者は1万5千人にもなる」

「科学文明社会で生きて行く限りリスクはある。従って原発を100%安全とは言えない。私は専門家ではないので、プルサーマルの詳しい事は解からない。しかし研究者(科学者)や電力会社の運用を信頼している
「反対運動はあって良かった。それによって、国やメーカーや電力会社は、より安全性に留意することになった。住民の強い不安や反対運動が、安全性の担保になった」
「従って、国であっても、国民の不安や反対運動に対して圧力をかけてはならないし、自治体も含めて、より安全対策に力を入れている」

「科学の発明や発見が、人類の幸せのために使うのは当然の事です」
「住民を大事にしてプルサーマルを進める事こそ、電力会社や国の責任である」
私は北陸電力のCMに出ているが、”原発が安全だ”とは言った事がない」


ひどいもんだ。細かいことを言うと、「原子核(物理)がパソコンなど人類の身近なものに役だっている」という言い方にも違和感が強い。原子核反応を利用した工業製品は、ほかならぬ原子炉や一部の医療機器等を除いてきわめて稀だからだ*2。だが、そんなことは枝葉末節に過ぎない。それよりも何よりも、原発のリスクを交通事故のリスクと比較するという、ノビー(池田信夫)を想起させずにはおかない「俗流御用学者」の陳腐な論法を用いていること、さらに自らを「私は専門家ではないので、プルサーマルの詳しい事はわからない」と言いながら、「研究者(科学者)や電力会社の運用を信頼している」などと、東北電力原発のある女川町の聴衆に電力会社への白紙委任を強要する無責任にして傲慢な態度など、腹が立って仕方がない。

呆れるのは、昨年11月に女川町で「私は専門家じゃないから詳しいことはわからない。だけど専門家たちが原発を安全に運用しているから安心して彼らに任せろ」と言っておきながら、そのわずか4か月後に東電原発事故が起きるや、「私はもともと、日本物理学会の『放射線分科』に所属する専門家だ。同時に国際放射線影響学会の会員でもある」などと自らを「専門家」と僭称して「安心理論」を撒き散らしていることだ*3。これほど悪質な輩も珍しいだろう。武田邦彦と比較してさえ大槻義彦ははるかに悪質であり、大槻と悪質さを比較できるのは、自然科学系の人ではないけれども前記のノビー(池田信夫)や副島隆彦くらいしか私には思いつかない。こんな輩にいつまでも科学雑誌パリティ』の編集長を任せている丸善も、その見識が問われなければなるまい。

私はもともと大槻義彦など大嫌いだったけれども、ここまでどうしようもない、唾棄すべき人間だとは知らなかった。

*1:http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/kojitaken/20111030/1319943345

*2:テレビのブラウン管からは微弱な放射線が出ているが、いわゆる「御用学者」の言い方を真似るわけではないけれども、健康に影響のあるレベルではない。

*3:http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-090a.html