kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「美しい農村」を語る「野ダメ」こと野田佳彦に虫酸が走る、「ふるさとを持たない」私

横板に雨垂れ 野田政権の危うさ より。

野田首相はTPP参加に関連して「私は日本という国を心から愛しています」 、「母の実家は農家で、母の背中の籠にゆられながらのどかな農村で幼い日々を過ごした光景と土の匂いが物心がつくかつかないかという頃の私の記憶の原点にあります」などと発言しているが、前者は場違いな発言としか言いようがない。後者は、昔の女学生の発言かとみまがうほど感傷的であり、珍妙にしか聞こえない。


私はこの「野ダメ」(野田佳彦)の発言をテレビのニュースで聞いたが、バカバカしくて野田の言葉に神経を集中する気にならなかった。

反射的に思い出したのは、漫画雑誌『ビッグコミックオリジナル』に長期連載されている漫画『三丁目の夕日』である*1。もっともこの漫画は「昭和30年代」(1950年代後半〜1960年代前半)の東京下町を舞台にしているように思われるから、漫画に出てくるキャラクターは、「野ダメ」よりやや上の世代の人たちで、地理的には千葉県と東京は近いけれども文化はかなり違っていたかもしれない。

野田佳彦は1957年に千葉県船橋市に生まれたが、母親の実家は千葉の農家だったらしい。だからこんな回想が出てくるのかもしれない。私は野田より少しだけ下の年齢で関西の出身だが、母親の実家は大阪の商家だったので、小学校唱歌によくある「ふるさと」の歌にリアリティを感じることが全くできず、これを嫌っていた。なにせ大阪の母方の実家といえば阪急電車の車内にまでにおってくる神崎川の悪臭の印象しかなかったのである。しかし、同級生には野田が語るような「ふるさと」のイメージを語る人間も多く、私は彼らに対して猛烈な嫉妬心を抱いていた。ある時、音楽の授業で「ふるさと」の歌について感想を教師から聞かれた時、「僕は大阪の出身なので、(歌に歌われているような自然に満ちた)ふるさとはありません」と答えて、「まあ、なんて心の貧しい人なんでしょう」と教師に言われた。この時、「何言ってんだこいつ、親の実家が公害のせいで空気が悪かったら心まで貧しくなるのか。出身地は選べないのに」と、子供心に思いっきり腹を立て、以後小学校の音楽の授業で不真面目きわまりない態度をとり、ベートーヴェン信者の若い女性教師ににらまれたものだ。当時私は、こんな都会に住んでいながら、同級生がみんな自然に満ちたふるさとを持っているなんてことがあり得るのだろうかと疑問に思っていた*2

のち、70年代の東京の下町では、荒川から猛烈な悪臭がしていたと聞いて、東京の下町っ子に親近感を覚えるようになったものだ。野田の陳腐な言葉を聞いていて、公害だらけの大都市出身の人間としてのひがみ根性を久々に思い出した次第である。

そんなこんなもあって、私は『三丁目の夕日』的な文化は大嫌いだし、もちろん安倍晋三野田佳彦も大嫌いである。都会に生まれて何が悪い、といまだに思っている。

今回の野田の発言が「昔の女学生の発言かとみまがうほど感傷的」といえるかどうかは私にはわからない。だが、野田の発言が偽善に満ちたものであることは痛感する。もし、「ふるさと」を持つ同級生に嫉妬の炎を燃やしていた小学生時代の私が野田の発言を聞いたとしても、野田に反感を持ったに違いないと思う。同様の理由で、『週刊文春』や『週刊新潮』の橋下叩き記事には猛烈な嫌悪感を持つ。橋下嫌いにかけては人後に落ちない私も、あの手の記事だけは許せない。それと相通じる理由で野田の「感傷的」な発言に猛烈な嫌悪感を抱く。


同じブログ記事には、駅頭で毎朝挨拶をする野田が政策を何も語らないことが言及されている。野田のそんなところも私は大嫌いである。とにかく野田ほど嫌悪感をかき立てる政治家は少ない。個人崇拝される小沢一郎をも私はひどく嫌っているが、単に好き嫌いだけでいえば野田は小沢よりもっと嫌いだ。野田以上に嫌いな政治家としては、安倍晋三くらいしか思いつかない。それくらい私は野田佳彦が大嫌いなのである。虫酸が走る。だからいつも「野ダメ」と呼んで毒づいている。

結局「私は野田佳彦が嫌いだ」という以上の意味のない記事になってしまったが、これが正直な感情なのだから仕方がない。

*1:私がこの漫画を知ったのは1984年(昭和59年)のことだった。

*2:蛇足だが、小学校の教師には山陰地方あるいは県内でも山沿いの地域の出身の人が多かった。