kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

毎年の予算で「大型減税」を要求していた70年代の日本の野党

70年代末の社会党は「減税真理教」に走っていたのか? - kojitakenの日記 への、id:shinonome0000さんのコメント*1

shinonome0000 2012/01/10 19:39
朝刊の若宮さんの文章は件の総選挙後だけでなくもう少し広い時期を指しているようにも見えます。一般に伯仲国会における予算問題で有名なのは福田内閣の最初の予算だと思います。三木内閣が選挙で敗北し、与野党伯仲状態になりました。福田蔵相以来、三木内閣でも大枠では継続された総需要抑制策の効果もあって景気は持ち直しつつあり、政権を受け継いだ福田はもう一年緊縮でいくつもりでしたが、伯仲状態の中、52年度予算について、社会党など野党は1兆円減税を要求、結局国会で異例の予算修正と7000億円規模の減税が成立しています。予算修正というのは政府には大ショック、野党は大勝利ということで、また予算修正の限界という議論の絡みもあり、当時の政治について書いた本では結構大きく取り扱われています。たとえば、こちらのブログでも触れられたことがあると思いますが、福永文夫氏の大平評伝(中公新書)など。該当部分の前後は大平・福田と財政問題が中心になっています。


なお、その翌年つまり昭和53年度予算は福田首相のサミットでの7%成長公約(いわゆる機関車論)などもあり既に大型予算に転換しているわけですが、ここでも野党は所得減税5500億円など似たような要求をし、一定程度実現させているようです(旧労働省の「労働経済の分析」urlその2)から、その後も全般的にこういう調子だったのかもしれません。当時の社会党がどのような主張をしていたかについては、調べれば色々わかりそうですが、「リベサヨ」批判のhamachanこと濱口桂一郎氏が得意そうな議論です(下のエントリは直接関係ないですが、濱口氏は90年代以降について論じることが多いですが、60年代という古い時期についての言及なので参考までにurlその2)

urlその1 http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaa197801/b0036.html
urlその2 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_5af3.html


「朝刊の若宮さんの文章は件の総選挙後だけでなくもう少し広い時期を指している」のではないかとのご指摘、記事を読み直してみてその通りだと理解しました。記事にあった「四十日抗争」という単語に印象を引きずられてしまいましたが、1976年(昭和51年)12月の総選挙から1980年(昭和55年)6月の衆参同日選挙までの間を指すと解するべきでした。

詳細な情報どうもありがとうございます。ちょっと調べてみたところ、高度成長期の1961年(昭和36年)以来所得税減税が行なわれるのが通例になっていたのが、三木内閣当時の1976年(昭和51年)度には16年ぶりに実施されず、その翌年の1977年には、確かに野党5党は、1兆円減税を一致して主張したようですね。1978年の福田政権の「7%成長公約」は強く印象に残っているのですが、この年も野党の要求によって所得税が減税されたのでしたか。

ところで、朝日新聞・若宮主筆の記事は『文藝春秋』1975年2月号に掲載された「グループ1984年」の論文「日本の自殺」に言及してますが、この論文には「日本人は福祉や減税、平等、利便を求めて自立精神を失い、政治はそれに迎合して赤字を増やす」などと書かれていたそうですね。私は一読して、「福祉」と「減税」という逆方向のベクトルを持つ事柄が一緒くたにされていることに驚いたのですが、考えてみれば当時は「グループ1984年」のような保守派だけではなく、毎年大型減税を要求していた左翼政党(社会党及び共産党)も同じような認識だったんでしょうね。もちろん、朝日新聞をはじめとするマスコミも、「福祉」と「減税」を混同して、野党の要求を後押ししていたに違いありません。

いや、それどころか、今でもその感覚は生きていて、だからこそ「減税日本」の河村たかしが自らの政治運動を「庶民革命」などと僭称するのを多くの名古屋市民が支持したり、橋下を大阪の人たちが支持するんだろうなと改めて思いました。

なお、私個人は財政規律重視への傾きと野田政権の「社会保障と税の一体改革」への支持をにじませた若宮主筆の主張は支持しませんが、富裕層への増税さえ否定していまどきトリクルダウン理論を語るかのような「減税真理教」は当然ながらさらに支持しません。両者の中間に正解があるのではないかと思っています。