http://www.chunichi.co.jp/article/shuin2012/all/CK2012112202100062.html
小林興起氏、減税に復帰へ 維新で公認得られず
減税日本に離党届を出し、日本維新の会への入党意向を表明した小林興起前衆院議員(比例東京)に関して、維新側が小林氏を衆院選で公認しないことが分かった。減税日本関係者が明らかにした。減税側は小林氏の離党届を代表の河村たかし市長の「預かり」としており、復帰を認める方向で調整する。
二十日に東京都内であった河村市長と維新の石原慎太郎代表のトップ会談で、両党の合流を断念する一方、石原氏に近い小林氏の維新入りを認めることで合意。これを受け、小林氏は二十一日付で減税に離党届を提出した。
小林氏を公認候補としない方針の維新に対し、減税側は「また約束をほごにするのか」と反発を強めている。石原氏が結成し、その後維新と合流した旧「太陽の党」が、減税日本との合流を記者会見で発表しながら、翌日に白紙化した経緯があるためだ。減税は維新への合流断念を受け、新たな第三極づくりを模索している。愛知5区や茨城3区など、減税と維新の候補者が競合する選挙区が出ており、双方が対決姿勢を強める可能性がある。
(中日新聞 2012年11月22日)
このニュースを知って直ちに思い出したのは、7年前に小林興起が石原慎太郎に見殺しにされた一件だ。
回想・「郵政総選挙」から「安倍政権崩壊」まで(2005〜07年) - kojitakenの日記(2012年8月18日)より。
「減税日本」入りが報じられた小林興起で忘れられないのは2005年の「郵政解散」直後のテレビ番組。東京の豊島区か練馬区かの商店街で、「誰に投票しますか」とテレビのインタビュアーに訊かれた地元の買い物客のおばちゃんたちが「そりゃ私たちはなんたって興起さんよねえ」と答えるシーンが映し出されて、小泉純一郎に刺客を送り込まれていた元自民党タカ派議員の小林興起は相好を崩した。
それと同じ番組だったか、東京10区で誰を応援するかと訊かれた石原慎太郎は、小林興起を援護する発言をし始めたところ、スタジオの冷ややかな空気に凍り付いて二の句が継げず、「うぐっ」と呻いた。そして、それに続くはずだった小林擁護の言葉を呑み込んでしまったのだった。石原の小心さを象徴する出来事だった。
ついでに、自民党から公認されず刺客を送り込まれることが決まった亀井静香と平沼赳夫がうろたえるぶざまな姿が映し出された。亀井はほどなく立ち直って国民新党を結成したが、平沼は無所属のまま総選挙に挑み、ようやく5年後に「たちあがれ日本」を結成した。しかし、「立ち枯れ日本」と揶揄されるしょぼい政党で、頼りにしていた城内実は参加せず、与謝野馨にも逃げられる始末で、平沼は寂しい政治人生の晩年を送っている。(後略)
7年前に石原は、小泉純一郎ににらまれた小林興起を見殺しにした。今回は、「河村たかしの軍門に下った奴の『維新の怪』入りは認めない」と橋下が息巻いたのだろう。なぜって、小林は自他ともに認める石原の「直系」だから、石原が小林の「維新」入りを認めるはずもないからだ。だが、維新の党内での力関係において、どうやら石原は橋下に頭が上がらないらしい。
歴史は繰り返す。かくして、小林興起は再度石原に見殺しにされることになった。「維新の怪」公認ならともかく、「金持ち減税日本」の公認では小林興起の当選はほとんど不可能だろう。7年前に続いて小林が落選の憂き目を見ることはほぼ確実になった。
石原慎太郎の「人徳」のなせるわざだろう。