kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

岸信介らの満州経営と自民党の原発政策の類似を指摘する井出孫六氏(毎日新聞)

岩上安身ら「小沢一郎親衛隊」の連中にいかなる思惑があるのか知らないが、最近は安倍政権を批判する立場に立つはずの小沢一派の間で、岸信介を英雄視することが正統的な学説になっているらしい。もちろんこの妄説の言い出しっぺというか唱道者は孫崎享である。政権を批判する側がこのざまでは、今の日本は、事実上政権を批判する言論が死に絶えた末期的な状況と言わざるを得ない。

だから、下記に示す井出孫六氏の意見などは、もはや今の日本ではあまり聞かれなくなった。


http://mainichi.jp/feature/news/20130311dde012040055000c.html

特集ワイド:震災2年・豊かさとは 作家・井出孫六さん


 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 ◇自信持ち「小国主義」へ−−井出孫六さん(81)

 「福島第1原発事故から2年がたちます。だが、現状は事態の収束には程遠い。いまだに第1原発からは放射性物質が放出され続けていますし、仮設住宅に置き去りにされた人々の姿がある。国策が国民に取り返しのつかない犠牲を強いた点で、私には原子力政策と戦前の満蒙(まんもう)開拓計画がダブって見えるのです」

 孫文の筆になる「博愛」の書が飾られた自宅の応接室で井出孫六さんは語り始めた。日本の戦後のあり方を深く考え、とりわけ中国残留孤児・残留婦人問題に力を入れてきた。郷里・長野県の人々が旧満州(現中国東北部)に最も多く送り出され、人ごとにはできなかったからだ。執筆や講演活動で問題を掘り下げるだけではなく、国の責任を問う訴訟で原告側証人として法廷に立った。

 日本は満州の植民地化を促進するため、1932年から計画的に日本人を送り出した。2・26事件のあった36年、広田弘毅内閣は軍部の意向そのままに満州移民計画を本格化させ、20年間で100万戸、500万人を満州へ入植させる国策を発表。この政策が終戦後、中国に置き去りにされる多くの人々を生む結果となり、中国残留孤児・残留婦人問題の原点となっている。

 井出さんは、満蒙開拓計画に関係する出来事の起こった年月日や計画上の具体的な数字を資料を見ずに次々と挙げ、原子力政策との類似点を指摘していく。「当時、満州は抗日運動でテロが頻発していたのに『安全だ、安全だ』と宣伝し、終戦までに27万人以上を移民させました。原子力政策でも安全神話をつくり上げて国民を信じ込ませ、福島第1の事故直前には地震列島上に54基もの原発を並べることに成功していました。ちなみに満州経営に辣腕(らつわん)を振るった少壮官僚の一人が原発再稼働を掲げる安倍晋三首相の祖父、岸信介元首相です」

 国は、満蒙に入植すれば10町(3万坪)から20町もの土地を割り当てると甘い話で誘った。「原発は一般の国民が気付かないうちに過疎に悩む立地地域にお金をばらまき、建設されていった。ともに利益誘導が実現を図る手段です。揚げ句、国策の破綻によって故郷に戻れなくなった人々の姿……まさに同じ構図ではないでしょうか」

 その目には強い憤りがこもる。

 なぜ、この国は同じ国策の愚を繰り返すのか。「日本では戦後、戦争責任が問い尽くされなかった。そこに原因があると思うのです」

 井出さんが「日本もそうだ」と感銘を受けた言葉がある。<過去に目を閉ざす者は、現在にも目を見開こうとしない。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい>。旧西ドイツのワイツゼッカー大統領(当時)が敗戦40年を機に行った講演の有名な言葉だ。95年にワイツゼッカー氏が来日した際には講演会場に駆けつけた。氏はブラント首相(同)が70年12月のポーランド訪問の際、雪の上にひざまずいて陳謝し、ようやくポーランド人の心の氷が解けたという話を紹介した。

 「本当に謝るとはそういうことではないかと、私は思います」。言葉に力を込め、一転して声を落とした。「確かに日本も一応は謝罪し、当時のアジア各国の主に軍事政権にお金を配って回りました。しかし心から謝ってはいません」。他国への戦争責任を自ら問うことなく真の反省が生まれなかったことが、国内では安全対策を軽視し福島の人々を追い込んだ原子力政策につながったとみる。

 「今こそ世界一を目指していこう」。安倍首相は施政方針演説で人さし指を突き立てて呼びかけた。

 「日本は『大国』であることが好きなのです。過った国策を追求し続ける背景には、この大国主義があります」。大日本帝国の看板を下ろした戦後、目標としたのは「経済大国」だった。原発推進の論理は「経済大国を支える安価で持続的なエネルギー源として不可欠」というものだ。

 「原発がどんなに危険でも、『経済大国』という言葉の前には問題にはされなかったということです」。ため息交じりに井出さんは言う。

 日本が大国主義へと傾斜する出発点として、幕末の黒船来航を指摘した。「あの時から日本人は、強くて大きい国に対してコンプレックスを持つようになってしまいました。劣等感の裏返しが明治政府の『富国強兵』による大国主義の推進です。戦後も『富国』の部分は残り、経済大国を目指していったのです」

 「維新」という言葉が嫌いだ。大国主義を明治政府の原点に戻って追求し直すというニュアンスを含んでいるとみるからだ。「昭和維新」は2・26事件を起こした青年将校が掲げた。「平成の今もそれを掲げる人たちがいますが、その発想自体が新しい時代を目指すためにはナンセンスで間違っている」と明快だ。

 この国の未来の扉を開くには、明治以来の大国主義と真剣に向き合い、豊かさを捉え直すことが欠かせないと考えている。「大日本帝国時代に石橋湛山らは『小日本主義』を提唱しました。植民地の放棄まで主張しますが、そこには道徳の力で世界から尊敬を集め、日本の力にしようという考えがあった。時代背景は異なりますが、現在の日本も大国主義の幻想を捨て、身の丈に合った小国として生きる道を探るべきではないでしょうか」と説く。

 確かに日本は一定の豊かさを達成した。ならばゴールはどこにあるのか。物質的な利益を追いかけてもきりがないのではないか。

 「追求すべきは精神的な豊かさです。目先の利にとらわれず、自立した精神を持つ人間の国であることを目指すべきです。そこでは文化や福祉で世界に貢献できる国づくりを核に据えなければなりません」。笑みをたたえた穏やかな表情で続ける。「大国主義を志向してしまう原因には、資源のない国だという不安感もあります。しかし、勤勉な国民がいるというものすごい財産がある。これに勝るものはありません」

 経済最優先の果てに起きた原発事故はこの国全体に反省をもたらし、ちまたには「今こそ転換を」という声が満ちあふれた。だが2年後の今、再び元の方向へかじが切られようとしている。戦後世代は戦争をくぐり抜けてきた世代に比べ、新しい道に挑む自負心を欠いているのかもしれない。81歳の作家は恐れない。

 「私たちは自信を持っていいと思うのです」。よく通る声で最後に発した一言が何より重く響いた。【戸田栄】

毎日新聞 2013年03月11日 東京夕刊


およそ安倍晋三くらい「一番」のイメージからかけ離れた人間はいないと私などは思うのだが、母方の祖父・岸信介を含む戦争責任者たちの責任を棚に上げて大日本帝国を「取り戻す」ことを狙ったり、自民党原発推進の責任を棚に上げてなし崩しの原発再稼働を狙ったりする安倍晋三を国民の6割だか7割だかを支持するとは、日本国民の多くが狂っているとしかいいようがない。

ところで、このところ安倍晋三と距離を置く記事が目立つ毎日新聞の記者たちに注文をつけたいのは、たとえば「今回の東京裁判に関する(安倍晋三の)発言が日米関係に影響する可能性もある」というような、暗に他者(この例の場合だとアメリカ)に安倍晋三にブレーキをかけてほしいと言いたげな記事ではなく、記者自らの意見として安倍晋三を堂々と批判してもらいたいということだ。

そうした言論なくして、「空気が言論を封殺している」現在の不健全きわまりない閉塞状況は打開できないだろう。

日本では言論統制など不要だ(メディアのみならず国民各人が自主規制してしまうから)とはよく言われることだが、敢然と空気を打ち破ろうとする意志の強さが必要だ。

今こそ、かつて安倍晋三の代名詞と言われた「KY」(空気を読まない)が各人に求められるのではないか。それは何も毎日新聞の記者のみならず、全日本国民に必要とされることだと思う。