私はもう子ども時代からずっと、いわゆる「ナショナリズム」なるものが性に合わずに今まで生きてきた。世の中には、「健全なナショナリズム」なるものを云々される方もいらっしゃるので、そんなものかなと思ってそういう方面の主張を目にしても、「何じゃこりゃ」と思って投げ出すのが常だった。昨年も、中島岳志とか、それまで名前も知らなかった先崎彰容という人の本などを読んだが、いずれも全く感心しなかった。
だから、民主党内閣の菅政権で内閣官房参与を務めた松本健一という人についても、これまでほとんど何も知らなかった。あの岸信介が心酔していた北一輝の研究で有名な人らしい。
その松本健一が書いた下記の本を本屋で見かけたので、買って読んだ。帯に書かれていた、「尖閣事件、原発事故−−官邸は何をしていたのか?」という宣伝文句につられたのである。私は3年前の東日本大震災・東電原発事故発生以来、地震と原発に関する本を50冊くらい読んできた。その一環としてこの本が視野に入ってきたのである。
官邸危機: 内閣官房参与として見た民主党政権 (ちくま新書)
- 作者: 松本健一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2014/02/05
- メディア: 単行本
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見ると、アマゾンのカスタマーレビューも1件もついてなければ、「はてなダイアリー」でこの本を取り上げた人もいない。つまり、ほとんど注目されていない本のようである。
そこで、中国在住の社会学者・sumita-m氏のダイアリーで「松本健一」を検索してみると、下記の記事が見つかった。
「開国」by 松本健一 - Living, Loving, Thinking, Again(2011年4月27日)
松本健一「日本必須”第三次開国”」(王国培訳)『東方早報』2011年4月26日
最近その発言が物議をかましたらしい内閣官房参与の松本氏が上海の『東方早報』にタブロイド2頁分の寄稿をしている。
最初の方では、震災の経過を説明して、中国などの国際社会の支援に対する謝意が表されている。「第三次開国」だが、松本氏は2009年8月に『東方早報』に寄稿した「日本的未来像」でも「第三次開国」を主張しており、今回の地震のどさくさに思いついたものではないようだ。ただ、過去の「開国」は何れも地震や津波と関連していたと述べられている。「第一次開国」と安政大地震。「第二次開国」すなわち敗戦による戦後体制の出発について言えば、1944年12月に東海地方で大地震が起こっており、1946年12月に和歌山の南海大地震が起こっている。最後の方では、民主党の未熟を認めつつ、自民党を批判し(「如今的自民党心中不存在”国民”二字」)、結末に至る;
直面日本的”第三次開国”、民主党現在的第一課題就是実現一個以挙国一致之体制保衛”国民”的国家。第二次世界大戦結束後、処於冷戦格局中的日本一直採取的是日美同盟第一主義。保衛”国民”的安全保障政策就是與美国結盟。但是、伯林墻倒塌之後、美国走上単辺主義道路、伊拉克戦略失敗後、美国已不再世界上”唯一的超級大国”。除了美国之外、還有欧盟、亜洲、伊斯蘭世界、世界正朝多極化発展。
日本的”第三次開国”、就是要従過去持続了一百五十年的脱亜入欧路線向亜洲重視路線転変、就是朝着亜洲的方向”開国”。日本貿易、経済依靠美国支撑的冷戦体制的時代已経結束。現在、日本與中国的貿易量已経超過了美国。今後、日本来説、”重視亜洲”才是能夠保衛”国民”的、有意義的外交和安保。
以東日本大震災這一巨大自然災害為契機、日本必須以挙国一致之体制実現日本的”第三次開国”。我個人希望、以中国首的亜洲諸国、能夠密切注視日本挙国一致之体制的形成與地震的復興、併建立必要的合作体制。
多分団塊の世代よりも後の世代では、松本健一を通して北一輝などを知ったという人も少なからずいるのではないか。ただ、松本氏がどのような経緯で民主党或いは菅直人と結びついたのかは知らず。
松本健一(以下、「著者」と表記する)は同年齢の仙谷由人(ともに1946年1月生まれ)と昔から仲が良いらしい。仙谷は東大法学部卒、著者は同経済学部卒だが、2人はドイツ語のクラスで同級生だった。その縁もあって、枝野幸男、古川元久、細野豪志、藤井裕久といった人たちと親交があるようだ。
著者が内閣官房参与に就任したのは2010年10月15日であり、菅直人が首相を辞めた2011年9月7日に免職になった*1。
著者の内閣官房参与としての主務は、「東アジアの外交と東アジア共同体構想についてアドバイスする」というものであり、著者の仕事は民主党政権の「アジア重視」という立場に直接関わっていたという*2。
菅直人が著者を内閣官房参与に任命したきっかけは、菅が著者の『日本のナショナリズム』(ちくま新書,2010年5月刊)を読んだことにある、と言われているが、著者はそれ以前から菅政権にかかわっていた。菅直人は2010年夏に「日韓併合百年」にふれて韓国政府および国民に対して公式の首相談話を発表したが、その文案づくりに、著者は当時内閣官房長官だった仙谷由人からの要請でかかわっていた。仙谷は、2009年10月の政権交代で入閣した時から、著者にアジア外交に関する助言を求めていた。菅直人が著者の本を読んだのも、仙谷が勧めたのだろうと著者は推測している。要するに、仙谷由人が菅直人に著者の内閣官房参与就任を勧めたとみているようだ*3。
東日本大震災の日、著者は総理大臣官邸4階の内閣官房参与室にいた*4。著者は、仙谷に「復興試案」を提出した。試案には3つの方向性があり、第一は、津波を防止するためにさらなる巨大なコンクリートの防波堤を建設するのは現実的ではないので、海辺の住民を高台に待避させ、漁港へは高台から通ってもらう、第二は「脱原発」であり、第三は岩手・宮城・福島の三県に、5〜10万人規模の、酪農をふくむエコ・田園都市をつくるというもの。仙谷は著者の試案を菅首相に提出するよう求めるとともに、古川元久、松井孝治、長島昭久、吉良州司の4人に、著者とともに復興ビジョンを考えよと命じた。著者の上海の『東方早報』への寄稿はその頃のことだった。著者は『東方早報』の編集者から「東日本大震災と日本の変革」についての原稿を依頼された。締切は1週間後の3月26日で、1万字(400字詰25枚)の条件。論文は4月26日付の『東方早報』に一挙掲載され、日本でも5月23〜25日付『東京新聞』に3回に分けて掲載された*5。以下本書より引用する。
(前略)内容は、仙谷氏に提示した素案と、それを修正し精緻にして菅首相に提示した「新しい国づくり」(四月八日に提示)と大きく重なっている。しかし、次の点が当時の日本の政治変革により大きく関わっていた。
わたしは日本の現在を<第三の開国>期と呼んできたが、百五十年ほど前の<第一の開国>期にも、六十年余りまえの<第二の開国>期にも、巨大な地震・津波に襲われている。(中略)日本は従来の国家システムや法秩序を大きく変える<第三の開国>を挙国一致で成し遂げなければならない。(傍点*6は筆者)
正直言って何やら胡散臭さ満載の主張としか思えず、本から転記するキーボードを打つ指の動きも鈍るが、気力を振り絞って続ける。以下本書のいくつかのポイントを記す。
- 著者は、政界及び言論界には一定の影響力を持つようだ。ネットで政治的な主張というと、ネトウヨが最大の勢力で、それに対抗する勢力として、前述の「小沢信者」の他、共産党系、非自民・非小沢・非共産系左派などがあるが、著者のような非自民・非従米系保守の主張はほとんど目にしない。ところが民主党の仙谷由人とその影響下にある人たちには結構な影響力があるほか、ナショナリズムという共通項から中曽根康弘や安倍晋三とも接点がある。
- 著者は1971年の「赤衛軍事件」に関係して朝日新聞をクビになった川本三郎とも東大の同級生であり、「赤衛軍事件」の裁判では、川本が被告、仙谷が弁護人、著者が証人となるはずであったが、仙谷が弁護団から降ろされたために実現しなかったという*7。
- 著者は民主党政権に関わったが、鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦の3人の総理大臣に対する評価は低い。著者が高く評価するのは友人の仙谷由人である。著者は、2010年の尖閣「中国漁船」衝突事件でも、原理主義的に日本国内法に則って船長を裁判にかけようとした菅・前原・岡田よりも、小泉純一郎政権時代に倣って秘密裡に船長を釈放しようとした仙谷の対応を買った。その論拠として、政治家は「心情倫理」より「責任倫理」を重んじるべきとするマックス・ウェーバーの思想をあげている。
- 著者は2011年の「辛亥革命100年」に向けて、「日本政府として、清朝を倒して近代的な国民国家を作ろうとした辛亥革命に北一輝や宮崎滔天や犬養毅や頭山満などのアジア主義者が挺身した歴史をふまえて、現在の中国政府が辛亥革命の民族主義のみならず国民国家の建設をしようとした試みを見直す機会とさせることができないか、と考えた」*8。著者は、エスノセントリズム(自民族中心主義)ではなく、1907年に幸徳秋水・北一輝、章炳麟・劉師培・張継ら日中印越のアジア主義者によって結成された「亜州和親会」のようなアジアの連帯、アジア・アイデンティティの模索・共有こそが繁栄への道であり、「辛亥革命100年」はアジア的価値観を日中両国が認識する場をつくる絶好の機会ととらえ、当時の首相・菅直人に中国で行われる辛亥革命の式典に出席してもらおうと試みたが、実現しなかった。著者は、現在の中国政府は辛亥革命以前の清朝の「大中華主義」への本卦帰りに近い国家構想を模索していると見ている。たとえば2013年の新年に広州の週刊新聞『南方週末』が新年献詞にはじめ「中国の夢、憲政の夢」と掲げようとしたところ、中国政府の言論統制によって「中華民族の復興」*9に差し替えられた。
- 著者はかつて小沢一郎に国家指導者として期待していたことがある。小沢もまた2005年、自らのブログに「いま、松本健一の『評伝 北一輝』(2004年刊)を読んでいる」と書いたことがあった。しかし、仙谷由人が小沢を激しく嫌っていたこともあってか、小沢とは距離を置いていたようだ。また、小沢の政治手法は「戦後の自民党が長らく主導してきた公共事業を軸とする『公共投資国家』とでもいった国家戦略そのもの」*11として評価していない。
- 著者は加藤紘一とも親交があった。2008年、仙谷と加藤に依頼されて、著者は「パトリオティズム」に関する講演を行った。これをきっかけに小泉・安倍らの国家主義的な政権運営に対抗すべく超党派で結成された「ラーの会」には、自民党から山崎拓・河村建夫、民主党から鳩山由紀夫・笹木竜三、国民新党から亀井静香、社民党から辻元清美ら(所属はいずれも当時)が参加したが、この流れはそれ以上続かなかった。
- 著者はTPP推進派だが、菅直人がTPPを「第三の開国」と言ったことについては、TPPは「第三の開国」の一部でしかない、「国民憲法」をつくることが「第三の開国」の仕上げだが、菅はそれには触れなかったと不満を持ったようだ。
上記のうち安倍晋三について書かれた部分をもう少し詳しく紹介しておく。著者の安倍晋三に対する評価は必ずしも低くない。
安倍晋三は、第3次小泉内閣の最末期、自らが総理大臣になる直前の2006年8月に東京で行われた「第2回北京・東京フォーラム」で来賓として挨拶したが、安倍が20分間にわたるスピーチで述べたことは、ただ「日中友好」、そして日中の「互恵関係」についてだけだったという。安倍はその時持論である「日米同盟第一主義」にも「アメリカ」との友好関係についても一言も触れなかった。この来賓挨拶を聞いていた駐日特命全権大使の王毅氏(のち外務次官)は翌日北京に飛んで、このことを報告した。そして、安倍晋三が総理大臣に就任すると、まず中国に飛んでいった*12。
2006年に安倍晋三が総理大臣になったら、まず日中・日韓関係の修復を行うだろうとの観測は安倍の総理大臣就任直前に流れていたことを私は覚えている。それと関連する事実があったわけだ。以下本書から引用する。
(前略)そうか、祖父の岸信介(元首相)は大学生のとき(大正時代)北一輝の愛読者になり、孫の安倍晋三はわたしの『北一輝論』の愛読者なのか、と妙に納得してしまった。
北一輝はロマン主義的革命家ではあるが、日米戦争は必ず対米英露支の四大国を相手にした「世界戦争」になるから、それだけはやってはいけない、という政治的リアリズムをもっていた。そんな政治的リアリズムが、安倍晋三というナショナリズム重視の政治家にもあるのだろう、と気づかされたのである。
しかしこれは2006年の話である。2006年、小泉純一郎の後継者・安倍晋三は前任者が険悪にした、日中・日韓関係を改善したが、2012年、敵対していた民主党政権を倒して国の最高責任者に返り咲いた安倍晋三は、前任者たち(菅直人と野田佳彦)が険悪にした日中・日韓関係をさらに修復不能と思えるほどに悪化させた。現在は同じ「保守」でも松本健一よりも北岡伸一らの影響を強く受けているのであろう。本書は昨年末に書かれたが、その直後に安倍が引き起こした靖国参拝は、日米関係までも緊張させた。安倍晋三が世界の大国を相手にした「火遊び」をやらかしている現状を見ると、著者のとんでもない眼鏡違いだったと言わざるを得ない。
もっとも、本書の「エピローグ」直前に置かれた文章を読むと、著者も現在の安倍晋三政権にはほとんど期待していないと思われる。以下引用する。
民主党は三年三カ月の間、たてまえとすれば政権政党であった。しかし、その実態は、自民党から政権を奪うための「乗合バス」に過ぎなかった。
民主党には、国家統治を担う主体が育っておらず、それゆえに自身の政治決断を負うという政治家の自覚も未熟なままであった。政治家個人の力量とすれば、世襲議員の多い自民党を上回るものがありながら、国家権力の悪を背負って国家統治を担うべき政党としては自立していなかった。そこで、政権が掌中から消滅しそうになると、「乗合バス」の泥舟から鼠が逃げ出すように、あるものは自民党へ、あるものは日本維新の会へと移り、またあるものは小沢グループとして「国民の生活が第一」をつくって、母体の民主党から櫛の歯が欠けるように、次々と逃げ出していった。
これによって、三年三カ月まえの民主党への国民の幻想は、一気に幻滅へと変じていった。そしてそれは、政権政党としての長い経験を持つ自民党への幻想を大きくふくらませることになった。しかし、安倍晋三政権を支えているのもまだ、大衆の幻想にすぎないのである。
最後に本書の感想を一言でいうと、著者の主義主張、思想信条には決して感心しないが、こういう思想を持つ人がリアルの政治に影響を与えていたのかと思った。記事の初めの方にも書いたが、著者のような思想は、ネットのみならずマスメディアで見聞きする政治に関する論議でもあまり声高に論じられないので、その意味では興味深く本書を読んだ。しかし、繰り返して書くが、著者に共感はしなかった。
*1:本書7頁
*2:本書9頁。このあたりは、「鳩山政権は『アジア重視』だったが、菅政権と野田政権は『対米従属』だった」とする、いわゆる「小沢信者」の間に流布している史観(教義)とは違うが、これはもちろん「小沢教」の教義がでたらめなだけの話である。もっとも著者は野田政権の政治は「自民党と同じ」だったと書いている。
*3:本書87-91頁
*4:本書10頁
*5:本書28-32頁
*6:本書で傍点が付されている部分を太字で表記した=引用者註
*7:本書69頁
*8:本書172頁
*9:この言葉は、何やら安倍晋三の言う「日本を、取り戻す(トリモロス)。」を連想させる。
*10:本書57頁
*11:本書258頁
*12:本書55-56頁