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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

勝谷誠彦が「出る杭は打たれた」ってか? まさか(嘲笑)

日曜日になると「勝谷誠彦 降板」という検索語で下記記事にアクセスしてくる人間がいる。ひところよりはずいぶん減ったとはいえ、今朝もたかじんの極右番組が始まるだいぶ前の時間帯だというのにこの検索語でアクセスしてきた奴がいてむかついた。

それで、私も「勝谷誠彦 降板」でググってみると、下記のトンデモ記事が引っかかった。


勝谷誠彦氏降板劇から学ぶ”出る杭は打たれる” – 連載JP(2013年3月11日)

勝谷誠彦氏降板劇から学ぶ”出る杭は打たれる”
2013.03.11 09:20:28 by あおぞら


そこまで言って委員会」は大好きな番組で、外国暮らしの私も動画でしっかり見ている。先週までレギュラーをつとめていた博覧強記の勝谷誠彦氏はとても好きなパネラーだったけど、まさかまさかの降板などとは思ってもみなかったが、最新の番組では旧勝谷席は、軍事ジャーナリストの井上和彦氏が座り、嬉しそうにするでもなく、冷静な判断で番組に参加されていた。

驚いたのは降板と言う形で去るパネラーに対しては、長年レギュラーをつとめていても何一つ説明無しで番組が進行していったことだった。途中で山口もえが機転をきかせて、お菓子の新商品を買うのはアベノミクスの勢いで財布の紐が緩んで思わず買ったと言ったときに、司会の辛坊治郎氏が儲けているだろうから、お菓子位で躊躇はしないだろうのようなことを言うと、山口もえは勝谷氏がいきなり番組を降板したように、明日はわが身なので無駄遣いはできないようなことを言っていた。

しかし、もしその一言がなければ、先週までレギュラーだった勝谷誠彦氏に触れずに済ますつもりだったのだろうか…..

ところで、今回のこの勝谷誠彦氏降板にあたり、いろいろ考えさせられた。世の中に確実と言うことはありえないことと、代わりはいくらでもいるという事実。勝谷氏はもしかしたらレギュラーの地位に胡坐をかいていたかもしれないし、自分と言うものの代わりはありえないと思っていたのかもしれない。勝谷氏の降板劇にあたって、いくつか氏の過去の出演番組を検索してみたら「そこまで言って委員会」以外の番組でも、相手を罵倒する言葉を平気でカメラ前で発しているのを見て、ちょっとこれは目に余ると思ってしまった。

発言にユーモアーを含んで、意見の違う相手にもうまくやり込めたり、かわしたりするのも実力だと思う。頭ごなしにバカとか、黙れ!と言うのは公共の電波では、相手にも失礼だし、何より視聴者に対して失礼すぎる。

その点昨年お亡くなりになった政治評論家の三宅久之氏は、考えのまったく合わなかった田嶋陽子女史に対しても、キツイ言い方をしてはいたが、それでも節度はもっていらしたし、思想が合わないだけで人格を否定するものでもないし、田嶋女史のシャンソンのコンサートには手紙や花を送ったりして私的に応援する懐の深さがあった。愛される人ってのはそういう要素があるのだと思う。

勝谷氏の降板劇は残念だけど、過去のテレビカメラで話している相手に「黙れ!」と切れるのはテレビ人として失格だと思う。

杭として出すぎて目立っちゃったんだなぁ、打たれる前にバランスよく、キツク言っても和解するようなフェアーな討論であればいいのだが、打ちのめすやり方が、結局降板につながったのかもしれない。

残念だけど、打たれる前に気づいて、少し目立たなくしていればよかったのかもしれない。改めて世の中は厳しく、確実なポジションなどと言うものはないと言うことを知る。

そして「謙虚に、謙虚に」と呪文のように唱えて、災いから回避するようにしたい。


勝谷誠彦に対する批判を含んでいる記事ではあるが、勝谷に「出る杭は打たれる」ということわざを適用するのは全くの誤りだ。


出る杭は打たれる(デルクイハウタレル)とは - コトバンク

出(で)る杭(くい)は打たれる

  1. 才能・手腕があってぬきんでている人は、とかく人から憎まれる。
  2. さし出たことをする者は、人から非難され、制裁を受ける。

文化庁が発表した平成18年度「国語に関する世論調査」では、本来の言い方である「出る杭は打たれる」を使う人が73.1パーセント、間違った言い方「出る釘は打たれる」を使う人が19.0パーセントという結果が出ている。


勝谷は間違っても「才能・手腕があってぬきんでている人」ではないし、「さし出たことをする者」でもない。それどころか、勝谷ほど視聴者(あるいは読者)に卑しく媚びる人間はいないだろう。テレビで相手を「バカ」呼ばわりするのも、視聴者から拍手喝采を浴びると計算してやっていることだ。

勝谷は、かつて森喜朗をこき下ろし、小泉純一郎が総理大臣になった時には最初は応援したが、のちには批判に回った。そしてポスト小泉の一番手とみられた安倍晋三に肩入れする構えを見せたが、安倍に勢いなしと見るや小沢一郎に乗り換えた。それは安倍晋三がまだ総理大臣にもならない小泉政権末期のことであり、ずいぶん早い時期の転向だった。勝谷誠彦に才能があるとすれば、こういった「風を読む」、あるいは「空気を読む」能力だろう。そもそも勝谷が極右的な主張をするのも、右傾化が時代の主流になると計算しての行動であった可能性が高い。

ただ、勝谷には大きな計算違いがあった。ひとたび小沢一郎に肩入れしてしまうと、小沢に対する批判が許されなくなることを勝谷は読めなかった。「『小沢信者』ワールド」を観察すると、小沢一郎の言動はすべて肯定しなければならず、片言隻句なりとも教義からの逸脱は許されないことがよくわかる。

小沢に肩入れしてからというもの、勝谷の言動には「小沢一郎を批判しない」という制約が課されることになり、それが旧「日本未来の党」の衆院選惨敗とともに「視聴率をとれない人間」としてお払い箱にされる原因になった。それだけの話である。