kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

選ばれなかった「一枚岩の政党」もあるぞ(朝日新聞の内田樹「寄稿」を読んで)

朝日新聞(7/23)に掲載された内田樹の「寄稿」には大いに首を傾げさせられた。

内田は、今回の参院選で勝った自民党共産党公明党の共通点はいずれも「綱領的・組織的に統一性の高い政党」であり、そういった政党を選ばれた理由は、人々が「スピード」と「効率」と「コストパフォーマンス」を過剰に求めるようになったからだという「仮説」を立てているという。

だが、そうだろうか。確かに自民党においてかつての「保守本流」がほぼ絶滅し、かつての「国民政党」から「極右・新自由主義政党」に転換しつつあるとはいえる。しかしそれでも、自民党と同程度かそれ以上に「統一性の高い政党」などいくらでもあるだろう。

たとえば、党代表の言うことに配下の国会議員は絶対服従という政党があり、その党代表は確か内田樹が大好きな人物ではなかったかと思うが、今回の参院選で、その政党の公認候補11人は全員落選した。まあこの政党は「組織的に統一性が高い」とはいえても、「綱領的に統一性が高い」とはいえないかもしれないが。その時その時の政局によって、偉大なる首領様の思想がコロコロ変わってきたからだ。

また、内田は「日本維新の会」を「党内が分裂気味で、綱領的・組織的統一性がない」政党とみなすが、本当にそうか。確かに一般的には橋下徹率いる「大阪維新の会」由来の勢力と石原慎太郎率いる「たちあがれ日本」由来の勢力との隔たりが大きいと見なされている。ネットの「リベラル」の論者の中にも、「橋下くんを安倍っちや石原氏ら『超保守』への批判勢力として活用したい」などと常々言っている者がいる。

しかし橋下が選んできたのは常に安倍晋三石原慎太郎のような極右政治家だった。橋下が安倍晋三自民党から引き抜いて党首に担ごうとした事実(2012年夏)を忘れてはならないし、小沢一郎を筆頭として橋下とくっつこうと工作した政治家がごまんといた中で橋下が選んだのは石原慎太郎だった。つまり橋下の「真正保守批判」や「立憲主義」への言及などは世の「リベラル」たちをたぶらかすための手段に過ぎない。橋下の正体は真正な右翼である。

石原慎太郎一派にも言及しておく。世間では橋下は「過激な新自由主義」、石原は「極右」とみなされており、『きまぐれな日々』の常連コメンテーターの中には、「『経済左派』の石原一派を攻撃するな」と言ってくる人間もいる。しかし維新の怪は、自民党が画策している生活保護法の改正を「無条件に賛成」として自民党に「早くやれ」と突っついている政党である。石原一派が「経済左派」などといったらヘソがお茶を沸かすだろう。石原一派もまた、まぎれもない新自由主義勢力なのである。維新の怪は、まぎれもなく自民党よりさらに過激な「極右・新自由主義政党」としてれっきとした「一枚岩」の政党であると私は考えている。

「寄稿」で内田樹が触れなかったみんなの党も、橋下を見限った渡辺喜美と、橋下とくっつきたい江田憲司の確執が言われているが、新自由主義に特化した「一枚岩の政党」には違いなかろう。

こうしてみると、自民党と党程度ないしそれ以上に「一枚岩」の政党などいくらもあり、その中には勝ったとも負けたともいえない維新の怪や、公認候補全滅という明らかな惨敗を喫した生活の党などがあるのだ。

朝日新聞の内田の寄稿には、「百年の計より目先の時 非効率という知恵疎んじ 一枚岩の政党選んだ」との見出しがついている。そのうち最初の3分の2には同感だが、最後の「一枚岩の政党選んだ」との見出し及びそれに沿った内田樹の論考には、全く共感できない。