kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

やしきたかじん死亡 - あの「極右番組」の司会者

今年が明けて間もない1月3日、あの「極右番組」の司会者・やしきたかじんが死亡していた。

読売テレビニュース

【速報】やしきたかじんさん死去 64歳

 歌手でタレントのやしきたかじんさんが、3日に亡くなっていたことが分かった。64歳だった。

読売テレビ 01/07 23:08)

あれほど自局の視聴率上昇に貢献してくれた「たかじん」の訃報がたったこれだけ。読売テレビとはなんとも薄情なテレビ局である。


http://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201401/0006621802.shtml

タレントやしきたかじんさん死去 歌手 関西の高視聴率男


 切れ味鋭いテレビ司会で“関西の視聴率男”の異名を取った人気タレントで、歌手のやしきたかじん(本名家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが7日までに死去したことが分かった。テレビ局関係者が明らかにした。

 1976年に歌手デビュー。高い歌唱力で「やっぱ好きやねん」「あんた」「東京」などをヒットさせる一方、テレビやラジオで鋭く軽妙な話術を駆使して人気者に。司会を務める在阪テレビ局の番組で高視聴率を次々とたたき出し、関西の代表的なテレビ芸能人の一人として知られた。

 2012年1月、初期の食道がんが見つかり芸能活動を休止。13年3月に復帰したが同年5月に再び休養した。

神戸新聞 2014/1/7 23:28)

私が「たかじん」の名前を認識したのは、70年代後半、大阪の民放ラジオ番組「MBSヤングタウン」にこの男が出演していたことによってだったと思う。しかし、当時たかじんは大して人気がなかったし、私もたかじんがパーソナリティーをやっている日に番組を聴く習慣はなかった。その後関西を離れたこともあってたかじんの名前など忘れていたが、後年、やはり大阪の読売テレビたかじんが司会している極右番組「たかじんのそこまで言って委員会」が高視聴率をたたき出していると知って、二十数年ぶりに私の視野に入ってきたのだった。今世紀に入ってから私が住んだ中国・四国地方にもたかじんの「極右番組」はネットされていた。というより、首都圏を除く日本の大半にこの番組はネットされ、今なお多大な害毒を垂れ流している。

私はこの番組で人気を得た橋下徹だの勝谷誠彦だのが大嫌いである。当ダイアリーも「きまぐれな日々」も、彼らを叩くことによってアクセス数を増やした時期があった。しかし、番組の司会者であるたかじん個人に対しては大して敵意を持っていない。単におかしな新興宗教(極右思想)にかぶれただけのアホな芸能人という認識であった。

一度カムバックしてからの再度の休業で、病状がかなり悪いんだろうなとは思っていた。たかじんの訃報に接して、特に故人の冥福は祈らないが、かといって「地獄に堕ちろ」とも思わない。ただ、たかじん個人にどの程度の責任があったのかはよくわからないが、日本の右傾化に一定の役割を果たしたのは確かだろう。

それはそうと、あの「極右番組」の番組名はどうするのだろうか。逸見政孝の時みたいに、しばらく「たかじん」の名前を残しておくのだろうか。


[追記](2014.1.8 0:41)

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014010800004

やしきたかじんさん死去=タレント、関西拠点に活躍−64歳


 関西を拠点にテレビ番組の司会などで活躍した歌手でタレントのやしきたかじん(本名家鋪隆仁=やしき・たかじん)さんが3日、東京都内の病院で死去した。64歳だった。葬儀は近親者で行った。大阪市出身。
 2012年に食道がんの治療を受け昨年3月、1年2カ月ぶりに仕事に復帰したが、同5月から再び休養していた。
 1976年、歌手としてデビュー。80年代にアニメ映画「機動戦士ガンダム」の主題歌「砂の十字架」や「やっぱ好きやねん」などがヒット。その後は関西のラジオ番組やテレビのワイドショーに出演。コメンテーターや司会者として、歯に衣(きぬ)着せぬ毒舌で人気を集めた。
 レギュラー番組は次々に高視聴率を記録したが、東京には本格進出せず、関西を中心に活動していた。

時事通信 2014/01/08-00:26)

「東京には本格進出せず、関西を中心に活動していた」はずのたかじんが、東京都内の病院で死んだとは意外である。東京でしか受けられない治療でもしていたのだろうか。