連載は第4回で打ち止めのつもりだったが、続編を書くことにした。
宝島社の『百田尚樹『殉愛』の真実』に活写された家鋪さくらの「生きざま」を読みながら、自民党の政治家や御用エコノミストたちがよく言う「頑張った人が報われる」社会とは、家鋪さくらのような人が報われる社会なんだろうなと思った。
- 作者: 角岡伸彦,西岡研介,家鋪渡,宝島「殉愛騒動」取材班
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2015/02/23
- メディア: 単行本
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やしきたかじんが設立した芸能事務所「P.I.S」を乗っ取ろうとした家鋪さくらが、その程度では得られる「たかじん利権」はたいしたものではないと看て取ると、その計画を止めて、新たに「Office TAKAJIN」という事務所を立ち上げた。そして、それまで「P.I.S」に入っていたたかじんの看板料を、「Office TAKAJIN」が奪った。テレビ局もこれを了承したという。さくらは、たかじんの遺産というストックだけではなく、フローにも目をつけたのだった。このように金儲けのための努力を惜しまない人間が成功して富を寡占する社会が、新自由主義を信奉する御用エコノミストや自民党*1の政治家たちの言う「頑張った人が報われる社会」なのだ。もちろん、テレビ局側にも何らかのメリットがあったに違いない。さらに、さくらの行動の裏には、さくらに入れ知恵した人間がいるとみられる。『百田尚樹『殉愛』の真実』にはその実名が書かれているが、ここでは伏せておく。
100田敗北? - Living, Loving, Thinking, Again(2015年2月27日)より
ところで、わからないのは、百田尚樹と家鋪さくらがどうして(why and how)結びついたのかということ。「友人達」のいうように、100田はたんに「だまされた」お人好しの被害者なのだろうか。俺は、百田が「男」を強調しているのが気になるのだ。尚樹=さくら結合は金によるものなのか、それとも色によるものなのか。
百田がさくらに近づいたのが先か、さくらが百田に近づいたのが先かは、『百田尚樹『殉愛』の真実』でもわからないと書かれている。だが、上記記事からリンクされている 百田尚樹が“未亡人に騙されたと言わない俺は男だ!”発言! え、騙されてたの?|LITERA/リテラ(2015年2月4日)によれば、「殉愛」騒動で百田は大きなダメージを受けている。いわく、衆院選前に雑誌社から官邸にオファーがあった百田と安倍晋三との対談を官邸に「にべもなく断られた」とか、「週刊文春」で始まった百田の連載小説「幻庵」が不評で内容の誤りまで見つかるなど、このところ逆風続きの百田が、泣き言めいたTwitterで暗に家鋪さくらが嘘をついていたことを認めたという話らしい。損得勘定をすると、一番大損をこいたのは、誰が考えても百田尚樹だろう。家鋪さくらが受けたダメージも大きかったが、騒動前後の落差の大きさにおいて、さくらは百田に及ばない。
この結果から原因を類推すると、百田の側からさくらに接近したとは考えづらく、さくらが「Office TAKAJIN」設立の際にさくらに入れ知恵した芸能関係者の仲介で百田に接近したのではないかと思われる。もちろん、百田が単なるイノセントな被害者に過ぎなかったともとうてい思われず、さくらとその背後の人間、さらには大阪のテレビ局や芸能関係者などと百田による共謀の部分も少なからずあったのではないかとも疑われるが、それでも百田が低能で軽薄(=「軽くてパー」)な人間であることに起因して、他の関係者と比較して、百田が利用されて貧乏くじを引いた側面が非常に強かったのではないかと私は推測している。
「色によるものなのか」どうかは、小保方晴子と笹井芳樹の間と同様、全くわかりません(笑)
そういえば、「STAP細胞騒動」と「百田『殉愛』騒動」との間にもう一つ共通点があったのを書き忘れていた。
それは、発表当時の演出だ。毎日新聞記者・須田桃子によると、「STAP細胞」の研究は、利権もとい理研CDB内部でもその中身が笹井芳樹らによって極秘にされ、笹井氏の演出で大々的に成果が発表されたという。
- 作者: 須田桃子
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一方、百田の嘘本『殉愛』は、幻冬舎社長・見城徹のメディア戦略によって、発売直前まで内容が伏せられ、TBSの「金スマ」とかいうテレビ番組で中身が発表されるという演出が行われた。
つまり、発表時のあざとい演出という点においても、「STAP細胞騒動」と「百田『殉愛』騒動」は共通していた。
かくして、2014年1月には小保方晴子、その10か月後には家鋪さくらがヒロインとして持ち上げられたあと、一転して窃盗罪あるいは「偽造私文書等行使罪」の疑惑さえ持たれるダーティーな人間として、その評判は谷底深く突き落とされた。
あと落ち穂拾い。衆院選前に百田との対談を官邸に打診したのは、今年2月号に家鋪さくらの「手記」を載せた、「インパクト・ファクター(笑)が低い『WiLL』」*2なんだろうなということ。それから、百田が囲碁の世界を描いた新作という『幻庵』で見つかった「誤報」の件は、『百田尚樹『殉愛』の真実』にも出ていて(303頁)、それは囲碁の本因坊算砂が将棋名人の大橋宗桂と平手で将棋を指して勝った一局があったことを理由に、百田は「算砂は碁も将棋も日本一であった」と書いたが、それは算砂と宗桂が生涯で8局指したうちのたったの1局に過ぎなかった、つまりトータルでは算砂は宗桂に1勝7敗で大きく負け越していたという話。たった1回でも勝ちさえすれば、百田の論法によれば「将棋も日本一」ということになるらしい。
最後に、やしきたかじんについて。
以前、シンガー・ソングライターの尾崎亜美が東京に出てくる前の京都時代にやしきたかじんのバック・バンドでキーボードを弾いていたという記述をWikipediaで読んだとき、そんなこともあったんだと驚いた。俺にとっては、尾崎亜美の方がずっとメジャーな存在だったわけだ。関西系の歌手は数多いるけれど、俺の全く主観的なメジャー度では、やしきたかじんは上田正樹よりも下、ばんばひろふみと同じくらい。
70年代末の関西では、ばんばひろふみはメジャーだったが(1975年の「『いちご白書』をもう一度」は全国的に売れた)、やしきたかじんはまだ駆け出しの歌手だったという印象。私は80年代初めに上京して以来、関西の文化から縁遠くなってしまったため*3、当時のイメージがその後も残っていて、ばんばひろふみとやしきたかじんでは「格が違う」(もちろんバンバンが格上)というイメージを長く持っていた*4。だから、例の極右番組が評判をとり始めた頃、たかじんが関西でカリスマ的な人気を誇るらしいことを知って驚いたのだった。私は80年代半ば頃以降、流行歌を聴く習慣を失ったので、たかじんの代表曲といわれる「東京」も全く知らなかった。
ただ、『百田尚樹『殉愛』の真実』を読んで、百田尚樹に対する嫌悪感は今まで以上に強まる一方、やしきたかじんに対して持っていた悪感情はかなり薄まった。本の129頁に掲載されている、たかじんの還暦記念パーティーで撮影された、家鋪家の親族が集まった集合写真でのたかじん、あるいは144頁に掲載されている、たかじんの母(昨年5月死去)が欲しがったが家鋪さくらにとりあってもらえなかったという2枚のたかじんの写真を、たかじんと同じように「強面」といわれる百田尚樹のヤクザのような顔写真と比較すると、その印象は両極端ともいえるくらい異なるのである。