kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

竹中平蔵と安倍晋三 - NHKをめぐる「経済極右」と「政治思想極右」のそれぞれの野望

朝日新聞(2/25)のオピニオン面は、右半分が竹中平蔵、左半分がメディア研究者・松田浩氏のインタビュー記事。

竹中平蔵NHKといえば思い出されるのは、竹中がNHKの民営化(私営化)をもくろんでいたことである。2001年の小泉政権発足以降、2006年の小泉退陣までの時代には、竹中によるNHK私営化の脅威が盛んに論じられたが、この年、NHKにとって別方面の脅威ともいえる安倍晋三が総理大臣に就任したことで流れは大きく変わった。

安倍晋三は、竹中のようなNHKの私営化は目指さなかった代わりに、それよりもさらに悪質なNHKの「国営化」、というより「大本営化」を目指したのだった。以下、松田浩氏のインタビュー記事から引用する。

(前略)

 そもそも経営委員会は、政権の露骨な介入を阻む砦であり、報道の自由を守る防波堤の役割を担うはずだったんです。それは戦前、「国営放送」としてウソの大本営発表を垂れ流した反省に立ち、民主主義の発展に寄与する「公共放送」として、戦後のNHKが再出発したからです。放送法1条にも「健全な民主主義の発達に資する」と明記されました。

 様変わりしたのは、2006年に発足した第1次安倍内閣のときです。首相が送り込んだ経営委員長が編集権に踏み込む発言を始めた。NHKの不祥事も相次ぎ、「経営委員会を強化して引き締めろ」という声が出てきた。

 危ないな、と思っていました。経営委員は首相が任命します。衆参両院の同意は得ますが、一党支配になったらノーチェックになる。仕組みを改善しないまま権限を強化していいのか、権力が経営委員会を通じてNHK支配に乗り出したら必ず裏目に出る、と。

 しかし、07年の参院選自民党は大敗。衆参で「ねじれ」が起き、安倍内閣も退陣して、もくろみはついえました。その後の放送法改正で、経営委員会の監督機能は格段に強化されたものの、経営委員が個別番組の編集に介入することを禁じる条項も盛り込まれて落着したのです。

 ところが、第2次安倍内閣では「ねじれ」がなくなった。与党の望み通りの委員を任命できるようになりました。安倍首相はまさに満を持して、今度こそとばかり百田尚樹氏ら同じ考えの人間を送り込んだ。それこそボルトとナットのようにNHKを締め上げようというのでしょう。

 東京裁判は不正だったと言わんばかりの百田氏の発言も、安倍首相の「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」といった国会答弁と同じ流れにあります。海外の目には、NHKは安倍政権と一緒になって戦後秩序をひっくり返そうとしている、と映るでしょう。しかも国際放送では政府の主張をしっかり伝えていくという。これでは中国や北朝鮮と同じような事実上の国営放送になってしまいます。「戦後レジームからの脱却」を本気でやるつもりなんですね。

(中略)

 「人間のくず」と他者を公然と侮蔑したり、新聞社での拳銃自殺を礼賛したり、そんな人物がジャーナリズムの根本を理解しているとは、とても思えません。経営委員会の本来の性格から言えば、そもそも政権と距離を保てない人物は委員になる資格がないんです。

(中略)

 いま起きつつあるのは、安倍政権によるNHKの乗っ取りです。権力の介入を防ぎ、市民のための公共放送にしていくには、首相が経営委員を選ぶしくみを改めるしかありません。視聴者参加型で、国民に開かれた選考方法に変えていく必要がある。たとえば諸外国なみに、公募や推薦で委員を選ぶ工夫ができないでしょうか。

(後略)

朝日新聞 2014年2月25日付オピニオン面掲載「NHK経営委員の資質」〜松田浩氏インタビュー「介入阻む砦にふさわしい人を」)


松田氏の主張はいちいちもっともだと思うけれども、「時既に遅し」の感がなくもない。

安倍晋三は2001年に故・中川(酒)*1と組んだ「NHK番組改編事件」の頃からNHK支配に執念を燃やしていた。政権を投げ出したあとの2007年にも、NHK会長人事に介入しようとしたくらいだから、その執念にはすさまじいものがある。そして安倍晋三のドス黒い野望が成就した途端、籾井勝人だの百田尚樹だの長谷川三千子だのの妄言が次々と飛び出し、NHKを支配しようとする安倍晋三の本音が全世界に向けて発信されたのである。

この「政治思想極右」安倍晋三の妄執と比較すれば、フリードマンかぶれの「経済極右」竹中平蔵が抱いた「NHK私営化」の野望など、取るに足りないほどのものではなかったかと思える。

*1:中川昭一衆院選落選直後の2009年、その仇名通り酒に溺れて死んだ。