kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍晋三は「超保守」「復古」というよりやはり「極右」

今週はあまりネットに時間を割けず、更新を休んだり短い記事でお茶を濁したりしているが、今朝は朝日新聞(3/7)「金融情報」面(東京本社最終版では14面)のコラム「経済展望台」を取り上げる。

株価の一覧などが掲載されているこの面のコラムは、いわゆる「保守」の立場に立つ実業家や経済評論家などが匿名で書いている。首相補佐官衛藤晟一)が安倍晋三靖国参拝に失望したアメリカに失望したと語り、総裁特別補佐(萩生田光一)も靖国参拝批判は米民主党政権の揚げ足取りだと述べたことに対し、「首相と側近の言動が米中という二大貿易相手との経済関係まで損なう危うさが出てきた」とコラム子は書く。

以下、コラムの後半を引用する。

 メディアを含め米知識層が安倍外交に危惧を抱き始めた深層心理。それを、ワシントンの友人たちに代わって、忖度してみると、一つは集団的自衛権など米国にすり寄る安保政策を進めながら、実は日米同盟を日本の軍拡に利用しているのではないか、という警戒心。さらに、露骨な米民主党批判はオバマ大統領軽視が背景ではないか、との疑念だ。

 東日本大震災の発生でワシントン時間午前4時に起こされたオバマ大統領はその朝のうちに、日本救援を指示し、米救助隊は世界に先駆けて日本に到着した。安倍首相は4月来日するオバマ大統領に改めて謝辞を述べ、日米関係修復の第一歩にすべきだ。(昴)

朝日新聞 2014年3月7日付コラム「経済展望台」より)


典型的な「親米保守」の人の考え方といえるだろう。赤字ボールドの部分は、ようやく日本社会において安倍政権に対するこうした認識が共有されるようになってきたかと思う。安倍晋三が総理大臣に返り咲いた時から、こういう事態が生じるであろうことは私には十分予想できた。

それは、安倍晋三が「保守」ではなく「極右」と形容されるべき人間だからである。今週の「きまぐれな日々」*1でも取り上げた宮武外骨の『アメリカ様』(ちくま学芸文庫,2014;初版は蔵六文庫,1946)に西谷修氏が書いている解説で、安倍晋三その一派を「超保守」と形容しているのを見かけた。「超保守」というのは、リベラル系の古参ブログ『日本がアブナイ!』が昔から使っているが、他の人が書いているのはあまり見ないよなあ、と思って「安倍晋三 超保守」を検索語にしてググったら、やはりその通りであった。西谷修氏が「超保守」という言葉を使っていることから、今後この言葉が普及していくかもしれないと思った。

しかし、私は安倍晋三を「超保守」とではなく「極右」と形容し続ける。それは、安倍晋三やその一派は「保守」でも何でもなく、「復古的」ですらないからだ。安倍晋三とその一派は、日本の社会を「保守」しようとも、江戸時代ないしそれ以前の古い時代に戻ろうともしておらず、単に1867年から1945年にかけてのほんの78年間続いただけで、しかも最後にはとんでもない破局で終わった時代に戻ろうとしているのである。そういう政治勢力を「保守」あるいは「復古」と形容するのはやはり不適切であって、「極右」としか呼びようがなかろうと考える次第である。