kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

舛添要一『憲法改正のオモテとウラ』を読む

酔狂にも買って読んでしまった。



たとえ軽く読み飛ばした本(本書もその一つである)であっても、読んだ本について書くのは実に面倒な作業であって、1本の記事を書くのに時間がかかることが多い。だから原則として休みの日にしか書かないし、書く時も、以前同じ本を読んだ人の文章をとっかかりにすることが多い。そんなわけで、今回もこの本について書かれたブログ記事をまず引用する。


舛添要一『憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書) 7点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期(2014年3月2日)

舛添要一憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書) 7点


 忙しいはずの現役政治家が書いた本というのは、だいたいにおいてつまらないわけで、現東京都知事の著者の書いたこの本についても、そうした心配をする人はいるかもしれません。
 しかし、その点は心配ありません。この本の原稿は東京都知事選挙の前に書かれており、中身はしっかりとしていますし、参議院議員を辞めたあとに書かれているのでかなり生々しい内容にも踏み込んでいます。


 内容は、2005年の10月に発表された自民党の「新憲法草案」(第一次草案)の起草過程の舞台裏と、その自民党が2012年に発表した「日本国憲法改正草案」(第二次草案)への批判。
 著者は第一次草案をつくったときの、自民党憲法起草委員会の事務局次長としてこの草案の作成に深く携わっており、取りまとめの実働部隊として動いた中心人物でした。


 舛添要一というと、先日の都知事選で自民党の支援を受けて当選したことから、第二次草案に見られる「復古的」な価値観をもつ人間では?と思う人もいるかもしれませんが、「憲法とは、国家権力から個人の基本的人権を守るために、主権者である国民が制定するものである」(3p)という、きわめてまっとうというか、常識的なところを押さえている人であり、その憲法についての味方については頷く部分も多いです。


 例えば、自民党の第二次草案では、家族について定めた憲法第24条に関して、「家族は、互いに助け合わなければならない」という規定を追加しています。
 これに対して著者は、「立憲主義の立場からは、「家族は国の保護を受ける」とすべきであって、家族構成員間の相互扶助などは憲法に書くべきではない。それは道徳の問題である」(4-5p)としています。
 また、最近の「生活保護バッシング」についても、この条文に関連して、「この問題に取り組むという短期的観点から、憲法改正をして、憲法を武器にして迫るというのは、立憲主義憲法を持つ国のなすべきことではない」(123p)と述べています。


 この著者の「目先の問題解決策を憲法に求めてはならない」というのはその通りでしょう。この本には、他にも文教族で自らも学校法人の経営に携わるある議員が、教育に関する26条に「この第2項に、義務教育は小学校6年、中学校3年とする」という文言を追加してくれといってきたことに呆れたというエピソードが載っていて、それに対して著者は「そもそも、小中学校を何年制とするかは、時代の要請などで変わりうるし、法律で決めれば良いことで、憲法レベルで書くことではない」と批判しています(177ー178p)。
 この議員の要請の背景には、義務教育への国庫負担金や私学助成を守りたいという思いがあるのでしょうけど、憲法というのはそういった個別的な事柄を書き込むものではないはずです。

 ただ、第二次草案で問題になった、「公共の福祉」を「公益及び公共の秩序」と書きなおす点は、実は第一次草案ですでに登場しており、これについて著者は次のように述べています。

 改正を国民に提案するときには、プレゼンテーションの仕方もまた大きく影響する。発議要件の緩和にしろ、「公共の福祉」を「公益及び公共の秩序」と言い換えることにしろ、「第一次草案」のときにすでに提案しているのであるが、何ら批判は受けなかった。
 ところが、「第二次草案」は同じことを言っているのに、護憲派からは猛反発である。国会議員や有識者などが、「舛添さんのまとめた一次案はよかった。それと違って、発議要件緩和だの、『公共の福祉』の言い換えだの、二次案は、全くひどいものだ」と、私によく言ってくるが、静かに苦笑するのみである。(236p)


 この本を読むと、第一次草案が国会で公明党民主党の協力を得て3分の2の多数を得るために、「復古的」な表現や、賛否が割れる問題を慎重に取り扱ったのに対し、自民党が野党だった時代にとりまとめた第二次草案には、そういった配慮がまるで見られないということがわかると思います。


 また、何といってもこの本で面白いのが自民党政治の舞台裏。
 最後の郵政解散をめぐる駆け引き的な部分も面白いですし、個々の政治家についての描写もなかなか面白い。
 例えば、森喜朗元首相に関して、著者は「偉大なる真空」と評し、「大所高所から日本の行く末を案じ、右から左まで、あらゆる意見を聞き取り、最適の落とし所を考える」(179p)人としています。一方、直後に森元首相が引退するときに「君は僕にいろんな借りがあるね」と言われたエピソードを紹介しており、いかにも自民党的な政治の姿がそこから垣間みえます。


 そして、個人的に一番ウケたのが前文をめぐるエピソード。
 中曽根元首相が「我ら日本国民はアジアの東、太平洋の波洗う美しい北東アジアの島々に歴代相承け」とはじまる前文の案を提出したところ、すかさず「日本海はどうした」と日本海側から選出された議員が文句をつけ、結局、「日本海」を入れることにしたという話(68ー70p)。
 最終的にはその時の小泉首相の判断もあって、自然描写や歴史描写を含んだ中曽根私案は却下されるのですが、このあたりの議論もいかにも自民党的だな、と。


 このように、タイトルに「オモテとウラ」とあるように、「オモテ」の議論だけでなく、「ウラ」の議論や駆け引きを知ることができるのも、この本の面白さの一つだと思います。

(『山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期』 2014年3月2日)


私の立場を書いておくと、著者の舛添要一ですら厳しく批判する自民党の「日本国憲法改正草案」(第二次草案)は確かにひどい代物だが、舛添が作成を主導した「新憲法草案」(第一次草案)だって間違ってもほめられたものではないというものだ。だが、このエントリはそれを声高に論じることが主旨ではない。

まず、著者が社民党前党首・福島瑞穂をおちょくっているくだりから紹介する。

上記引用文にもあるように、憲法13条に書かれている「公共の福祉」は、第一次草案で既に「公益及び公共の秩序」と言い換えるられており、第二次草案はそれを踏襲しているのだが、「舛添さんのまとめた一次案はよかった。それと違って、発議要件緩和だの、『公共の福祉』の言い換えだの、二次案は、全くひどいものだ」と舛添に言った人間は、実は福島瑞穂なのである。

根拠もなしにこんなことを書くのではない。実は、上記ブログが引用している236頁以外にも、もう一箇所で著者はほぼ同じことを書いているのだ。以下本書から引用する。

 まずは、「公共の福祉」についてである。これを「公益」あるいは「公共の利益」という文言に変えようと提案したのは、「公共の福祉」という言葉がわかりにくいという単純な理由からである。そこで、同じ意味を持つ分かりやすい言葉を皆で探したわけだが、「公益」も「公共の福祉」も個人の権利を相互調整する概念であることは変わりない。したがって、この文言の書き換えは、この当時、世間の耳目も引かなかったし、批判的意見もほとんどなかった。一二年の「第二次草案」も、この書き換えを踏襲したのであるが、護憲派から、これに批判が集中した。批判者の一人である社民党福島みずほ参院議員は、「舛添さんの改正案と違って、『第二次草案』はひどい。とくに『公共の福祉』という文言を変えたのは許せない」とよく私に言ったが、彼女は、これが「第二次草案」ではじめて出てきたと思っているのであろう。96条の改正発議要件の緩和(三分の二から過半数へ)も、「第一次草案」のときから提案しているのだが、これまた護憲派は「第二次草案」で出てきたと誤解している。

舛添要一憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書,2014)135-136頁)

さすがに社民党を「絶滅危惧種」にしてしまった有能な党首様だけのことはあると感心した。


とは言っても、「第二次草案」が「第一次草案」をはるかに上回る「トンデモ」であるのは確かだ。本書で特に笑えたのは、著者の元妻・片山さつきの名前を一度も挙げずに、事実上片山を名指ししたも同然の批判をしているくだりが何箇所もあることだ。たとえば上記ブログ記事も引用している本書123頁から、もう少し詳しく引用してみる。

 自民党が「第二次草案」の取りまとめをしている頃に、ある人気お笑いタレントの母親が生活保護を受けていたことが『女性セブン』(二〇一二年四月二六日号)で報道された。これに一部の自民党国会議員が批判的に反応し、大きな話題となり、生活保護制度そのものにメスを入れる動きが出てきた。しかし、この問題に取り組むという短期的観点から、憲法改正をして、憲法を武器にして迫るというのは、立憲主義憲法を持つ国のなすべきことではない。

(本書123頁)


著者も片山さつきも東大法学部の出身であり、芦部信喜氏の教えを受けているが、著者が批判するのは、「立憲主義」を知らない国会議員が「憲法草案」を作成していることだが、自民党議員の中にはこんなことをつぶやいている人間がいる。

https://twitter.com/isozaki_yousuke/status/206985016130023424

礒崎陽輔
@isozaki_yousuke

時々、憲法改正草案に対して、「立憲主義」を理解していないという意味不明の批判を頂きます。この言葉は、Wikipediaにも載っていますが、学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか。

22:47 - 2012年5月27日


私は法学部卒ではないので、この方面には暗いのだが、著者や片山さつき礒崎陽輔自民党町村派に属する右翼議員)が憲法を習った芦部信喜氏の師匠・宮沢俊義氏が大日本帝国憲法の時代から「立憲主義」を論拠とする論陣を張っていたことがわかった。宮沢俊義には『立憲主義と三民主義・五権憲法の原理』という1937年(昭和12年)の著書がある。但し、宮沢には下記のような不名誉な行跡もある。

 宮沢は「独裁制理論の民主的扮装」や「民主制と相対主義哲学」などの論文によって独裁政治を厳しく批判し、「立憲主義の危機」を訴えていたが、1938年には「たそがれるヴィイン」によってヒトラーを礼賛し、1941年には「大政翼賛運動の法理的性格」を発表して大政翼賛政治を擁護するようになった。

(會津明郎『日本の安全と憲法学』より)


下記は同じ引用元より、敗戦直後の宮沢俊義の主張。

 宮沢俊義は1945年10月19日の新聞紙上で「憲法改正について」論じ、そのなかで、明治憲法の民主的性格を強調し次のように述べている。

 今時の憲法改正は何よりポツダム宣言の履行との関係において生じたものである。従って、そこでの主題はわが憲法民主化に置かれるであろうことは推測するに難くない。

 この点について現在のわが憲法典が元来民主的傾向と相容れぬものでないことを十分理解する必要がある。わが憲法は、いふまでもなく、立憲主義に立脚するものである。ところで立憲主義とはなにであるかといふと、消極的には人民の自由を不当な国家権力の干渉に対して擁護し、積極的には人民が直接間接に国政に参与する原則をいふのである。人民の自由を不当な国家権力の干渉に対して擁護すべしとするはいはゆる自由主義の原則であり、人民が直接間接に国政に参与すべしとするはいはゆる民主主義の原則である。わが憲法立憲主義に立脚することは即ち、わが憲法自由主義と民主主義を承認することに外ならぬ。自由主義乃至民主主義を以てわが憲法とまったく無縁のものように考えるのは正当ではない。

(會津明郎『日本の安全と憲法学』より)


つまり、「立憲主義」は「大日本帝国憲法」の時代から、(欧米の学説を学んだ)日本の憲法学者が唱えてきたものだ。礒崎陽輔は学生時代、ろくに勉強していなかったに違いない。これでよく公務員試験に合格できたものだと呆れるが、自民党国会議員どものこのていたらくを思うと、一昨日の記事 安倍晋三は「超保守」「復古」というよりやはり「極右」 - kojitakenの日記 にいただいた下記のコメント*1に説得力が感じられよう。

id:shibchin 2014/03/08 18:29
その時代に戻ろうとしているのですらなく、彼らの頭の中にあるその時代の幻想に導こうとしているのです。


ところで著者の元妻・片山さつきといえば「『天賦人権論』否定論」でも悪名が高い。

https://twitter.com/katayama_s/statuses/276893074691604481

片山さつき
@katayama_s

国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!

19:37 - 2012年12月6日


これに対する著者の主張を、本書より引用する。

(前略)本来、憲法とは権力に歯止めをかけて、これを制限して国民の人権を守るべきものであり、そのために主権者である国民自らが制定するものであるということである。今の自民党には、そのことをよく理解していないの国会議員が増えているのではなかろうか。

 まさに「国家権力に対して個人の基本的人権を守る」というのが立憲主義であり、人類が長い年月をかけて勝ち取ってきたものである。天賦人権説とは、まさにそのことである。一二年の「第二次草案」の「Q&A」の中には、「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」と書いてある。このように天賦人権説を否定したり、基本的人権を縮小しようとしたりするなどという考え方は、「第一次草案」を検討していた〇五年の自民党には存在していなかった。

(本書112-113頁)


この文章を読むポイントは、「第一次草案」は2005年の「郵政解散」前に議論されたものだということである。つまり、当時片山さつきはまだ「自民党国会議員」ではなかった。礒崎陽輔も2007年の参院選で初当選しているから、2005年当時にはまだ「自民党国会議員」ではなかった。


しかし、ここで私は著者・舛添要一に異を唱えなければならない。著者は「天賦人権説を否定したり、基本的人権を縮小しようとしたりするなどという考え方は、「第一次草案」を検討していた〇五年の自民党には存在していなかった」と言うが、それは本当か。2005年の「郵政解散」前の自民党には、片山さつきと極めて深い因縁を持つ、あの城内実がいたのである。

実は、本書には城内実の名前も出てくるのである。それは、天皇を「「元首」と明記するかどうかの議論で以下本書から引用する。

 城内実衆院議員は外交官の経験から、他国の元首と比べて、天皇は特殊な存在であり、元首ごときにするのは畏れ多いと発言した。これに賛同して、鈴木淳司衆院議員は欧米的な元首と限定するより、象徴のほうがよいと述べた。また、桜井新参院議員は、天皇は元首より偉いのなら、認識を改めようと苦笑した。三原朝彦衆院議員も西川京子衆院議員も、天皇を元首にすることには反対した。

 このように、「第一次草案」検討時には、元首明記を巡ってさまざまな議論が重ねられたわけだが、一二年「第二次草案」の第1条では、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」としている。この文言を読むと、今の自民党は〇五年の以上のような議論をすっかり忘れてしまい、“天皇が元首ごときと同じ存在”と考えているのだと判断せざるを得ない。

(本書92頁)


ここで著者は、「他国の元首と比べて、天皇は特殊な存在であり、元首ごときにするのは畏れ多い」という城内実トンデモ発言に賛同してしまっているのだが、そんなことで良いのかと問いたい。城内の真意は、桜井新が「苦笑」した通り、「天皇は元首より偉い」ということなのである。

これは「城内実スペシャル」とでも言うべきものであって、他にもいろいろな例がある。例えば、城内実は2005年にともに師匠と仰ぐ安倍晋三平沼赳夫が全力を傾注して推進していた「教育基本法」の改定に否定的だったが、その理由は、「『教育勅語』こそ教育の根幹であって、『教育勅語』があるのだから『教育基本法』など必要ない」というものであった。また、城内実は自らを「『改憲派』ではない」と言っている。これを根拠にして「城内実さんは『9条護憲派』だ」と宣伝したり、それを真に受けて「城内実さんを温かく見守る」と書いたりしたおめでたい「護憲派ブロガー」たちがいたことを思い出すが、城内実の真意は、「自分は『自主憲法制定派』だ」というものであった(笑)。

天皇元首論についての城内実の論法も、これらと同じである。つまり、たまたま結論は同じだが、ベクトルの向きが正反対なのである。こんな城内実が、「天賦人権論」だの「基本的人権」だのを尊重する価値観を持っているはずがない。つまり、片山さつき礒崎陽輔と同類の「トンデモ自民党国会議員」は2005年の「郵政解散」前にもいたのである。あるいは、著者は「敵の敵は味方」の論理によって城内実を持ち上げたのかもしれない、などと勘繰ってしまった(笑)。

もっとも、2010年以降、事態はさらに深刻になった。2003年の城内実初当選以来、2010年の参院選の前までは、城内実片山さつきが同時に国会議員であることはなかったが、城内実が2009年の衆院選片山さつきにダブルスコア以上の大差をつけて圧勝すると、2010年の参院選片山さつきが当選してしまったのである。しかも、長い城内実との戦いの過程で、すっかりライバル・城内実の思想に影響された片山は、城内実と張り合っても決して負けない、自民党でも指折りの「極右政治家」に「成長」してしまったのであった。自民党の極右政治家と言えば、安倍晋三を筆頭に、他に稲田朋美高市早苗下村博文や前述の礒崎陽輔などなど、ライバルは多数いるが、片山にせよ城内にせよ、「十本の指」から漏れることはよもやあるまい。

例によって極右政治家に関する漫談になってしまったが、強引にまとめれば、本書は「政界漫談本」としてはそれなりに面白いといったところだろうか。但し、私のような酔狂な人間を除けば、金を払ってまでも読む価値があるとは思えない。