kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

恐るべし! 国家社会主義者・岸信介

今週は月曜日が祝日だったので、本来は今日「きまぐれな日々」を公開する日なのだが、全く準備していないので今週は休むほかない。

実は、「きまぐれな日々」のネタは、いまさらの政治改革批判(というより小選挙区制批判、ということは漏れなく小沢一郎批判がついてくる)か「岸信介安倍晋三」の話のどちらかにしようかと思っていた。だがどっちにしても今更感が自分でも拭えない。で、岸信介について、当ダイアリーにいただいたコメントを題材に、こちらでちょっと書いてみることにした。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140720/1405839797#c1405861489

id:norindan2 2014/07/20 22:04

岸信介証言録』の中では、意外なほど率直に小選挙区で二大政党を、という話をしていて、当然ながらその対抗政党は社会党を想定している。自分が社会党に入っていればもう少し違っていただろうといった記述もあった気がする。

さすがは岸信介ですね。

私は『岸信介証言録』(聞き手は岩波新書に著書『岸信介』がある原彬久、毎日新聞社から2003年刊)を読んだことはありませんが(その後2015年に中公文庫で読んだ=追記)、岸信介北一輝に傾倒した国家社会主義者だったことはもちろん知っていますし、岸が場合によっては社会党入りしてしたかも知れなかった話にも覚えがあります。ネット検索をかけると、岸が実弟佐藤栄作社会党入りを勧めたとの話をみつけましたが、この話も以前読んだ記憶があります。

「黙れ兵隊」と一喝(古澤 襄)より

(前略)私ごとになるが、妻は2・26事件に連座して銃殺刑を受けた北一輝の血縁に当たることを何かの拍子に喋ったら岸さんは思わず身体を乗り出してきて、「私は北一輝の国家改造法案要綱を全文筆写したことがある」と言った。そのついでに「巣鴨に収容されていたときに弟の栄作が政界に出馬したいと相談にきたので、それなら戦前の政友会や民政党の流れをくむ保守党には期待が持てないので社会党から代議士に出たほうがいい」と勧めた昔語りをしてくれた。右であれ,左であれ現状打破の革新志向が岸さんの本質だということを初めて知った。
 岸内閣というと「日米安保条約の改定」と「警職法」(警察官職務執行法改正案) がすぐ思い浮かぶが、「最低賃金制」や「国民年金制度」がこの内閣で創設されたことを知る人は少なくなった。

(古澤 襄「『黙れ兵隊』と一喝」(1998年3月4日)より)

岸信介といえば、誰もが認める秀才でありながら、自ら選んで商工省に入った男であり、経済政策に強い関心を持っていた。このあたりは、まず「保守」(実際には極右思想)ありきの安倍晋三とは全く異なる。岸は満州ソ連に影響を受けた計画経済・統制経済を実行した。戦後日本の経済成長の礎をなしたともいわれる「1940年体制」の最大の立役者が岸信介だったともされる。つまり、第1次安倍内閣時代に安倍晋三がスローガンとして掲げていた「戦後レジームからの脱却」とは、(少なくとも経済政策においては)岸信介の否定と同義だった。このことは、2006年の第1次安倍内閣発足当時から、多くの人が指摘していた。だが、この点を安倍晋三に問い質した人を私は知らない。

1940年体制」とは、戦時の総動員体制であった。国家による統制色が非常に強かった。富裕層に高い税率の所得税をかけたのも1940年だ。

所得税 - Wikipedia より、日本における所得税の歴史を抜粋する。

1887年(明治20年)導入

当初の所得税は、年間所得が300円以上の者に対して課税した。しかし、個人課税ではなく、世帯合算課税で、戸主が納税義務者とされた。プロイセンの制度を参考として、所得の多寡を5段階に区分し、最低1%(所得300円以上)から最高3%(3万円以上)の低い税率の累進課税方式を採用していた。年間300円以上所得のある世帯の家長である戸主に限って課税の対象としたため、所得税を納税することがいわばステータスシンボルとなり、「富裕税」、あるいは「名誉税」との別名で呼ばれていたという説もある。なお、大部分の一般国民は所得税の課税対象外で、新税の対象とされたのは当時の全戸数(戸主の総数)の1.5%にあたる12万人が対象となり、納税額も国税収入のうちの0.8%程度であった。

この新税導入の動機としては、清に対抗して海軍の増強・整備が急がれたこと、地租や酒造税などにかたよった租税負担のあり方が自由民権運動によって反政府側から批判されたこと、大日本帝国憲法によって設置が予定されていた帝国議会衆議院に納税額による制限選挙が導入されたために大規模土地所有者(地租の納税義務者)以外の資本家に対しても選挙権を保障して政治参加を認めるための環境整備のためなどが挙げられている。3年後の1890年(明治23年)に行われた日本最初の国政選挙である第1回衆議院議員総選挙においては満25歳以上の男性で直接国税15円以上を納めている者に選挙権が付与された。


1899年(明治32年)改正

所得を3種類に区分し、第1種を法人所得、第2種を公社債利子所得、第3種を300円以上の個人所得とした。


1940年(昭和15年)改正

法人税法の制定によって従来の第1種が所得税から分離されて法人税となった。また、分類所得税と総合所得税の2本立てとなり、前者において所得種類別に異なった税率を適用するとともに勤労所得への源泉徴収制度が導入され、後者において所得合計が5,000円以上の者に10-65%の高度の累進課税をかけた。


1947年(昭和22年)改正

申告納税の導入によって所得税の一本化(総合所得合算申告納税制度)が図られる。また、その後の改正で最高税率が75%とされていたが、インフレ利得者等へ重課するためとして85%にあげられた。


1950年と1953年の改正(シャウプ勧告の影響)

1949年(昭和24年)のシャウプ勧告は、このように高い所得税率は勤労意欲にマイナスがある等の理由で、所得税最高税率を下げ、それを補うための補完税として富裕税を導入することを勧告した。この結果、1950年(昭和25年)の改正で所得税最高税率が55%に抑えられ、同時に累進税率で富裕税が導入された。しかし、富裕税は日本に定着せず、3年後の1953年(昭和28年)に廃止されることとなり、代わりに所得税最高税率が65%に戻された。

つまり、シャウプ税制とは当初は所得税率を引き下げる狙いを持った勧告だった。富裕税を廃止し、所得税最高税率を65%に戻すとは、1940年に定めた最高税率に戻すことだった。

同じように、ナチス・ドイツも日本同様(というより日本がドイツ同様というべきだろうが)反資本制的な戦時経済体制をとった。

要するに、ファシズムの必要条件は「国家社会主義」であって、安倍晋三が現在のように相も変わらぬ新自由主義的経済政策を続けているうちは、日本は「ファシズム」の国にはならないだろうということだ。安倍晋三が経済政策においても岸信介を見習い始めたら、その時こそ「ファシズム」の脅威が高まる。それこそ岸信介の再来だ。しかし、それをやろうとするのは安倍晋三ではなく、後続の人間だろうと私は予想している。安倍は、総理大臣在任中はずっと新自由主義的経済政策を続けるだろう。安倍晋三は、岸信介のような「本物の虎」ではない。せいぜいネトウヨの頭領がいいところだ。

ところで、noridan2さんのコメントには、政治改革についても書かれている。

それはともかく、政治改革については、西洋先進国のような(というより実質は「英米豪加のような」なのですが)「政権交代のある」「二大政党制」(この2つが当然のように連結するのが妙なのですが。もちろん、そこから小選挙区という制度論に一足飛びにつながっていったことも)というのが、自民党一党支配の時代には大変魅力的に移ったという背景もあるのでしょう。案外その辺りの感覚は、二度の政権交代を経て強まっていたりするのかもしれません。それだけに石川真澄のような人の議論をしっかり伝えて見直していく必要を感じる。

そういえば石川真澄について最近は書いていませんでした。石川さんは九州工大の機械工学出身の元朝日新聞記者ですが、社会党びいきの中道左派の人で、私は高校生の頃から傾倒してました。もう一度石川さんの本をめくってみないといけないかもしれません。