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- 作者: 原彬久
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/11/21
- メディア: 文庫
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この中から、小選挙区制に関する岸信介の言葉をピックアップする。なお、岸が下記の言葉を発したのは鈴木善幸政権時代の1981年、今にして思えば自民党が「国民政党」であった時代の最後の頃である*1。
派閥が絶対なくなるとは思わないが、これを弱めるには小選挙区制にする必要があるんです。(いまの中選挙区制では)同じ選挙区で同じ党の何人かが争うということになるから、その候補者はそれぞれ別のバックを得なければならない。そのバックが派閥なんです。そうなると、例えばこちらの候補は福田派で別の候補が三木派ということになるんです。同一の党から一人の候補者を出す小選挙区制になれば、状況はよほど違ってくる。それから総裁選挙というのも派閥活動に関係している。いまのように総裁を選挙で決めるということになると、どうしても派閥で固まって自分の大将を党の総裁に押し立てようといいうことになるんです。派閥の親分も平生から自分の派閥をつくっておかないと、総裁選挙のときに票を獲得できないわけです。しかし、好きな仲間が集まって酒を飲んだり人の悪口をいっている分には何の弊害もないが、恒に政策実行の上で支障になるものだから、派閥はいかんというんですよ。(196頁)
小党分裂をしておっては、どれもが政権を担当する能力がないということになる。本来野党には政権を担当する気迫と準備がなければ駄目ですよ。共産主義国は別だけれども、議会制民主主義の国において、二十五年以上も同一政党がずうっと政権に就いてる国はないでしょう。長年一つの政党が政権を担当すれば、政局が安定し、基本的には政策も変更なく一貫して遂行されるわけですから、非常にいい点もあるんです。しかし反面、その政権担当政党にいろいろな弊害が伴ってきて、しかもそれを改善していくのは、いうべくして非常に難しいのです。政権を担当しておりながら、みずから反省して自己改革するということはなかなか難しい。一度野に下ると、つまり野党になると、党の弊害というものが根本的に改正できると思うんです。その点からすると、現在の日本の政党政治のあり方を私は非常に遺憾に思っているんです。真の二大政党制を実現するためには、「一区一人」を原則とする小選挙区制を実現して、小党が消えていく基盤が必要なんです。
いずれにしても、五八年のあの「話し合い解散」による総選挙は、あなた*2のいわれるように安保改定の問題とか、憲法改正の問題とか、小選挙区制の問題とか、いろいろ議論はあり得たと思うのですが、実際には、具体的な問題を取り上げて国民に審判を求めるというような情勢ではなかった。(215-216頁)
この岸信介の認識は甘かった。岸信介の念願だった小選挙区制は、その後小沢一郎の「剛腕」によって導入され、自民党は1993年と2009年の二度下野したが、自民党の弊害は「根本的に改正」されるどころかさらに悪化していったのだった。
それにしても、岸信介の考え方があまりにも小沢一郎と瓜二つであることに驚く。世襲政治家である小沢一郎が田中派に属したのは、父・小沢佐重喜が吉田茂の側近であったせいだろうが、一般的傾向として、世襲政治家は父や祖父よりも右寄りの政治家になることが多い。小沢一郎もその例に漏れず、小沢一郎の思想は父の小沢佐重喜や(その政策は別として自身の思想信条自体は「右翼反動」的だった吉田茂はともかく)田中角栄*3よりもずっと岸信介に近いと考えるべきだろう*4。
また、岸信介がただ一度解散を行った1958年5月の総選挙は、孫の安倍晋三が行った2014年12月の解散総選挙と同じように、「争点なき」選挙だったことも歴史の皮肉で面白い。選挙結果もよく似ていて、自民党は公認候補だけでは議席を微減させた(選挙後無所属候補を公認して解散前の議席を上回った)。また社会党は微増に終わり、党内では「敗北」として深刻に受け止められたが、結局この時記録した議席数を、以後の社会党が超えたことは一度もなかった。
『岸信介証言録』からの引用に戻る。
私がそもそも戦後の政界に復帰した一番の狙いは、占領時代の弊害を一切払拭して、新しい日本を建設するということにあったわけです。そのためには、第一に安保条約を改正しなければならないということ、第二にはどうしても憲法改正をする、そのための小選挙区制の実施ということを頭に描いておったんです。(217-218頁)
ここに至ってようやく岸信介は本音を吐いた。二大政党制だなんだと言いつつ、結局岸の狙いは「改憲」にあったのである。
そういえば小沢一郎も、政治人生の途中から「解釈改憲派」に転じたとはいえ、その出発点から『日本改造計画』を書いた(正確には「側近の官僚に書かせた」)頃までは、「明文改憲派」だった。当然ながら小沢も、純粋な二大政党論者というよりは、改憲を見据えた小選挙区制論者だったとみられる。
かくして、「岸がつき 小沢がこねし改憲餅 座りしままに食ふは晋三」ということになりかねない時代がついに到来してしまった。