kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

来たぞ安倍スレイニ/安倍農園(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの帰還』を読む)

まず初めに、『シャーロック・ホームズの帰還』を未読の方はネタバレが含まれますので読まないで下さい。って、タイトルが既にネタバレを含んでるわけですが。



以前にも書いたと思うが、シャーロック・ホームズ物語は、小学生の頃に偕成社から出ていた全集を読んだが、マニアの間で悪名の高いらしい野田改作もとい開作を含む訳者たちが原作を切り刻んで改変した子ども向けの版だった。偕成社は80年代になって、子ども向けであっても原作を改変するのは許されないと考えたのか、完訳版のホームズ全集(小学校高学年から一般向け)を出しているが、私の子どもの頃はそんな恵まれた時代ではなかった。ホームズ全集は偽物だわ、プロ野球では読売が9連覇するわの暗黒時代だったのである。



中学校に上がって、『シャーロック・ホームズの冒険』、『シャーロック・ホームズの思い出』、『緋色の研究』(河出文庫版では『緋色の習作』)、『四つの署名』(同『四つのサイン』)は、延原謙訳の新潮文庫版で読み直したが、ホームズ物語に飽きてしまったのか、それ以降の作品は有名な『バスカヴィルの犬』を含めて読み直さなかった。だから、現在月1冊刊行されている河出文庫版のホームズ全集は、前記の4冊以外は初めて全訳を読むことになる。もっとも、延原謙訳の4作も、有名な「まだらの紐」や「最後の事件」などを除いて内容をすっかり忘れているものが大半だった。私には「シャーロッキアン」の素質は全くなかったようである。

ただ、『シャーロック・ホームズの帰還』収録の短篇には、小学生時代に読んだ改変版の内容をうっすら覚えているものがあった。特に「六つのナポレオン」は仕掛けが単純なのでよく覚えていた。また、「踊る人形」の暗号も覚えていたが、依頼人が殺されたことは忘れていた。あとホームズとワトスンが家宅侵入罪と窃盗未遂罪を犯した上、殺人を目撃しながら口を拭った「犯人は二人」も、そういえばそういう話があったなとかすかに記憶があった。その他の作品でも、犯人の固有名詞が出てくるところで、あれっ、この名前に見覚えがあるな、もしかしたらこいつが犯人だったっけ、と思ったら、たいていその通りだった。その程度の記憶しか残っておらず、あとはきれいさっぱり忘れ去ってしまっていたのだから、人間の記憶とは頼りないものだ、ってそれは私だけかもしれないが*1

それはともかく、「踊る人形」を読み進めるうちに、この話を小学生時代に好んでいなかったことを思い出した。それは、シャーロック・ホームズ依頼人を死なせてしまったからだ。同じような作品として『シャーロック・ホームズの冒険』の「オレンジの種五つ」があるが、こちらはさらに好まなかった。やはりホームズが依頼人を死なせてしまったうえ、クー・クラックス・クランが怖すぎたからだ。

その他に、「踊る人形」はこんな少ない文字数で暗号が解読できるのかと昔から疑問だったし、その疑問は今回も感じた。

ところで、この話に出てくる最初の暗号を解読すると、"AM HERE ABE SLANEY" となる。Abe Slaneyというのは犯人の名前であるとともに、この文は被害者の妻に対するメッセージである。この文を訳者は「来たぞエイブ・スレイニ」と訳している*2。だが、日本人が読むと "ABE" は「あべ」(安倍)と発音してしまいそうだ。しかも、"Slaney" という姓は、"slain"(slay=「殺害する」=の過去分詞)や "slayer"(殺害者)を思い出させる。RPGドラゴンスレイヤー (dragon slayer) といえば、竜を殺せる剣のことだ。さすがに「殺す」というと物騒だから(とはいえ、小説では殺人事件が起きているのだが)、例によって、

SHINE, SHINZO ABE.(輝け、安倍晋三。)

という文章が思い浮かんでしまった*3。14文字から成るこの文章には、S,H,I,N,Eの5文字が2回ずつ出てくる。これならホームズもお手上げだったに違いない。なお、"Abe"(エイブ)とはアメリカ英語におけるAbrahamの愛称だが、イギリスではこの愛称は用いられないそうだ。ホームズはこのことから犯人はアメリカ人だと推理した。

「アベ」絡みで言えば、最後から2番目の短篇 "The Abbey Grange" は、従来、延原謙訳を含み「アベ農園」と訳されることが多かった。Wikipediaでは「僧坊荘園」となっているが、「修道院屋敷」とする訳もある。"Abbey" の発音をそのまま訳したものでは「アベイ農園」「アビィ農園」などがあるが、河出文庫版は「アビ農園」をとった。子ども向けでは全然違ったタイトルだったかも知れないが覚えていない。河出文庫版の小林司東山あかね訳では、タイトルはできるだけ延原謙訳を踏襲する方針らしく、だから「僧坊」「僧房」「修道院」などは採らず、とはいうものの発音は「アベ」ではないので、「アビ農園」としたものかもしれない。発音記号は[ǽbi]だから「アベ」よりは「アビ」の方が良さそうに思うが、[i]は日本語の「イ」とは発音が違うから、一概に「アベ」がダメで「アビ」の方が良いとも言い切れないかもしれない。

しかし、「アベ農園」ではいかにも「安倍農園」みたいで不快だから、やはり「アビ農園」で良かろう。なおこの話では、『犯人は二人』同様、ホームズが殺人犯を放免してしまう。そもそも『犯人は二人』では、ホームズ(とワトスン)自身が犯罪者だったりする。

全体に、『シャーロック・ホームズの帰還』は、それ以前の『冒険』や『思い出』と比較して、謎は単純になり、アクション的趣向に頼る傾向が強い上、(松本清張の一部の作品ほどではないが)ストーリー展開にご都合主義が目立つ。せっかく作者、コナン・ドイルが10年ぶりに復活させたホームズものだが、それ以前と同じ水準とはいえないというのが正直な感想だ。

*1:その一方で、1970年の自民党総裁選の決選投票で三木武夫が111票を獲得したことは覚えているのだった。

*2:延原謙氏は「我ここに在り-エイブ・スレイニー」と訳しているようだ。

*3:元ネタは https://twitter.com/kantei/status/481255400893739009