衆院選投票日前日だというのに、先週日曜日に図書館で借りた科学読み物を読んでウケている今日この頃だったりする。

- 作者: ピーター・ペジック,青木薫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/02/16
- メディア: 単行本
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そういや子どもの頃、親父が買い与えてくれた「科学読み物」が好きだったのだ。どちらかといえば右翼的で、晩年には極右になった親父だが、社会読み物もたまに買い与えてくれて、その中には『少年朝日年鑑』もあった。当時の朝日新聞は、民主党と同じような立ち位置というか、民主党応援団としか思われない現在よりもずっと「左寄り」であり、『少年朝日年鑑』にも朝日新聞本体の論調が反映されていた。私が田中角栄の「カクマンダー」と呼ばれた小選挙区制法案の邪悪さを知ったのは、この『少年朝日年鑑』によってであり、そこには朝日新聞社の試算で、小選挙区制がもし本当に導入されたら自民党が300議席をはるかに超える圧勝になったことが示され、それによって野党や世論の反発が強まって小選挙区制の法案が廃案になったと書かれていた。この時に小選挙区制についての予備知識を仕入れていたことは、その後、高校に上がって受けた政治経済の授業で、各選挙制度の特徴について学んだ時に、教師の説明が頭に入りやすくて助かった。その頃から小選挙区制の害毒を理解していた私としては、なぜ小選挙区制が衆院選に導入されて20年も経ち、現に明日、小選挙区制の悪逆非道さが改めて示されようとしているにもかかわらず、数年前の「政権交代」のぬか喜びが未だに忘れられず、「このまま小選挙区制を維持し続けていれば、いつかまたオセロの黒白をひっくり返す日がくる」などとほざく人間がいることが信じられない。そんなことを言う人間は、まず、自分たちが理想とする政治勢力が、最初の1議席を獲得するまでの、目も眩むばかりの絶壁の高さに思いを致すことがないのだ。またぞろ、「第二の剛腕政治家」がどこからか、いや自民党から現れ、その「第二の剛腕政治家」に頼ればなんとかなるかもしれない、とか、その手の宝くじを当てるような可能性にすがっているのである。政治をお遊びとしか考えていないことと、崇拝の対象であるらしい小沢一郎が中心的役割を担った小選挙区制に対する否定的評価が強まりつつあることに抗して小沢を弁護したいという邪念が相俟って、上記のような妄論が出てきたものと思われる。現実には、小選挙区制で再び二大政党が拮抗なり逆転なりするなどといういつ訪れるのか見当もつかない夢物語の可能性よりも、憲法が「改正」されて日本がいよいよもってひどい国になることを先に心配しなければならないはずだ。
思い出話が小選挙区制及び「小沢信者」批判へとそれていったが、上記のような思い出話にもかかわらず、子どもの頃の私は、社会科よりも理科の方が好きだった。社会科は、政治経済は得意だったが地理や歴史が苦手だったのだ。
本の中身については、くどくどと要約を書いても誰も読まないだろうし、そもそもまだ本の半分も読み終えていないから書かない。子ども時代の昔、シャボン玉の虹色と、それが暗くなって弾けるに至る色の変化*1を飽きることなく見つめていたものだけれども、そんな自然に対する感性は今ではすっかり失ってしまったよなあ、などと感慨にふけりながら読んでいるのだが、真面目な文章の中に、突然下記引用文中の最後の文章が出てきた時には吹き出してしまった。
空の青さに対する説明として、古い暗黒説を否定し、さらに粒子説も否定するなら、残る可能性は、空気そのものが青いと考えることだけだ。少なくともフランスの化学者エドム・マリオットは、一七七六年にはまだそのように主張していた。しかしそれ以外の説も、すっかり死に絶えたわけではなかった。イタリアの画家マテオ・ザッコリーニは、光学に関するケプラーの著作のことは知っていたようだが、一六二二年に出版した色に関する著作のなかで、アリストテレスの暗黒説を擁護した−−そうしてザッコリーニの著作は、後世に大きな影響力を振うことになった。その後も歴史が進むにつれて、古い説がたびたび蒸し返されることになる。そうした状況を見るにつけ、シャーロック・ホームズの次の言説を思い出さずにはいられない。「ありえないことを一つひとつ消去していって、最後に残ったものが真実であるにちがいない−−それがどれほどありそうにないことであったとしても」。
なぜ吹き出したかというと、私自身も10日前に書いた記事で、このフレーズを引用していたからだ。
「野党共闘」という「愚策」(=野党共闘は「アホ」である) - kojitakenの日記(2014年12月3日)より
「基本自民支持」であるらしいブログ主さえ「引く数字」、つまり自民党の「勝ち過ぎ」の可能性が強まり、「こんなに勝ってしまっても良いのか」と思わせる恐ろしい結果が、いまや現実のものになろうとしている。ちなみに、引用文中赤字ボールドにした部分は、その通りになると思う。なぜなら、それ以外の可能性が考えられないからだ。消去法で消していった結果残ったものが、どんなにありそうにないことでも、それが事実なのだとか何だとか、確かシャーロック・ホームズが言っていたと思うが、これが「小選挙区制」下の選挙というものなのだ。小選挙区制を推進した小沢一郎を信奉する「小沢信者」や、5年前の衆院選に民主党が圧勝して、内心小選挙区制をありがたがっていたに違いない「民主党信者」は、心して選挙結果を待ち受けるべきだ。
このフレーズ、実は書こうかどうか迷った。シャーロック・ホームズが実在の人物であったかのような文章を書くには抵抗があったのだ。だから、「作家・音楽家・科学者・教師」だというピーター・ペジックの文章には意を強くしたというか、快哉を叫んだというか、そんな思いだった。
なお、引用文中「引用文中赤字ボールドにした部分」とは、【政治】2014年衆院選予想ー野党共闘という失敗 - 政局観察日記(2014年11月23日)からの引用文のうち、下記のくだり。
最後に個人的な議席予想としては大雑把にこんな感じ(修正)↓
自 300
公 30
民 80
維 25
次 5
共 20
生 2
社 2
無 6
浮いた議席 約15
この浮いた議席をどこに振ろうか迷った。普通に考えれば民主党と維新なのだろうが、今回の選挙戦の態勢を見る限りそこまで伸びるとは考えにくい。ちなみに今回の民主党候補者数の規模は96年の民主党や去年の維新の会と同じくらい。その上世論の支持はない。80以上に伸ばせるパワーは無いように見える。維新の党にいたっては候補者が半分以下に減っているので激減は避けられない。こうなってくるとこの15議席は自民党に入る事になるのだが、自民単独で315・・・基本自民支持の私でもさすがに引く数字である。政党単独で310を超えることなどできるのだろうか。しかし小選挙区制度で投票先調査でも圧倒、そして野党の戦略ミスが重なるとなると可能性としてはあり得る。
自民圧勝、民主増、維新減、共産躍進、その他壊滅というのはもう殆どの人が予想してるし、まずそうなるだろう。焦点は圧勝する自民党がどの程度の議席になるか。もしかしてみた事のないえぐい議席数をたたき出すかもしれない。
またまた衆院選と小選挙区の話に戻ってしまったが、『青の物理学』の著者、ピーター・ペジックも名探偵ホームズ譚の愛読者らしい。この本はまだ3分の1ほどしか読んでいないが、注釈の項を経由して本文をたどってみると、
小説などでときどき用いられる、「すみれ色(ヴァイオレット)の目」という表現があるが、それは本当にすみれの花の色なのだろうか? それとも濃い青色に対する詩的表現なのだろうか?(前掲書170頁)
という文章に、
たとえば『シャーロック・ホームズ』*2の「ボスコム谷の惨劇」における、ミス・ターナーの輝くすみれ色の目など
という注釈がついている。
ところで、「最後に残ったものが真実」という言葉の出典だが、ホームズ探偵譚には3回出てくる。初回が第1短編集『シャーロック・ホームズの冒険』所収の「緑柱石の宝冠」、2度目が第4短編集『最後の挨拶』所収の「ブルース・パーティントン設計図」、最後が第5短編集所収『シャーロック・ホームズの事件簿』所収の「白面の兵士」である。河出文庫版の『シャーロック・ホームズの冒険』から、「緑柱石の宝冠」とその注釈を引用すると、
ありえないことをとり除くと、残ったものがどんなにありそうもないことでも、それが真実である(コナン・ドイル著、小林司・東山あかね訳『シャーロック・ホームズの冒険』(河出文庫, 2014)553頁)
出典はアーサー・コナン・ドイルの『エヴァンジェリン号の運命』である。[ホームズの推理の原則として最も有名なこの句が、他の作品《ブルース・パーティントン設計書*3》《白面の兵士》にも書かれている](同684頁、リチャード・ランセリン・グリーン著、高田寛訳の注釈)

シャーロック・ホームズの冒険 (河出文庫―シャーロック・ホームズ全集)
- 作者: アーサー・コナンドイル,Arthur Conan Doyle,Richard Lancelyn Green,小林司,東山あかね
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2014/03/06
- メディア: 文庫
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以下の文章には、ホームズ探偵譚に関するネタバレを含むので、知りたくない方は読まないで下さい。
第1短編集『シャーロック・ホームズの冒険』所収の「緑柱石の宝冠」は、ホームズ探偵譚に出てくる「メアリ」という女性はすべて悪人か不幸であるという、訳者小林司・東山あかねの説の典型例であって、この説を先に知ってしまったせいで、読む前から犯人のうちの一人の名前がわかってしまった。ホームズ全集を初めて読みたいと思う方は、河出文庫版には手を出さない方が賢明だろう。また、最後の第5短編集『シャーロック・ホームズの事件簿』には駄作が多いとの評価だが、実際読んでみるとその通りの感想で、特にあとに書かれた作品ほど出来が悪い傾向があって、最後の方は気分が乗らず、なかなかスムーズに読み進められなかった。しかし、「白面の兵士」は短篇集中後半の8番目に書かれたとはいえ、駄作と評するには当たらないだろう。ただ、この作品には別の問題があって、それは松本清張の『砂の器』や遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』と共通する問題点だ。

- 作者: 遠藤周作
- 出版社/メーカー: 講談社
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また、『シャーロック・ホームズの事件簿』では、短篇集中屈指の出来といえる「サセックスの吸血鬼」(短篇集中4番目に書かれた)が、エラリー・クイーンの『Yの悲劇』に直接の影響を与えていることがわかって興味深かった。
今年、少年時代に子ども向きに書かれた偕成社版の全集で読んだホームズ探偵譚を、この歳になって初めて完訳版をすべて読んだが*4、その子ども版を読んでいた頃に問題視されて葬り去られた衆議院の小選挙区制の極悪な性質が、またしても明日まざまざと示されるかと思うと、この40年は日本にとって良いことより悪いことの方が多かったというか、日本がずっと下降線をたどって行った時代なのだなと思い返さないわけにはいかない。日本に下降線をたどらせた世代のまっただ中にいる人間としては、忸怩たる思いであり、責任も感じる今日この頃である。
*1:たとえばニコンの右記サイトなどを参照。http://www.nikon.co.jp/channel/kids/wonder/rainbow2/
*2:第1短編集『シャーロック・ホームズの冒険』
*3:河出文庫版では、本文の訳者の小林司・東山あかねはタイトルを「ブルース・パーティントン設計図」、注・解説の訳者・高田寛は「ブルース・パーティントン設計書」と、異なったタイトルに訳している。
*4:『シャーロック・ホームズの冒険』、『シャーロック・ホームズの思い出』、『緋色の研究』、『四つの署名』の4作は、新潮文庫版の延原謙訳を読んだことがあったが、他の5作の完訳版は未読だった。