kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

これはすごい! 大西順子・小澤征爾・村上春樹の3人が起こした奇跡

今読んでいる本。



 この本は3年前に単行本で出たが、私は村上春樹にも小澤征爾*1にも、一定の関心はあるが*2、「大ファン」というほどでもないので購入を見送った。それが最近文庫化された。購入の心理的障壁は、文庫本なら買ってみるかと思える程度の高さだったので、購入した。

 最初はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番をテーマにして、私が大いに関心を持つグレン・グールドレナード・バーンスタインの共演盤を含む、何種類もの同曲の録音を、レコードマニアの村上春樹と本職の指揮者・小澤征爾がレコード(CDだろうと思うが)を聴きながら批評していた。ベートーヴェンの第3協奏曲にはそんなに思い入れはないが、2010年のゴールデンウィークに読んだドストエフスキーの『虐げられた人びと』にこの曲への言及が出てくることを当ダイアリーに書いた。



ドストエフスキー『虐げられた人びと』とベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番 - kojitakenの日記(2010年5月23日)より

 ところで、作中で、ヒロイン・ナターシャの恋敵である、カーチャ(カチェリーナ)、当時流行の思想にかぶれた無邪気な女性が、物語の語り手である小説家のワーニャに、「もし時間があれば、ベートーヴェンの協奏曲の三番を弾いてお聞かせするんですけど。今あれを練習しているんです。あの曲にはそういう感情が……私の今の感情と同じものが含まれているわ」と語るシーンがある(新潮文庫版458頁)。

 面白いことに、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ハ短調、作品37)のベートーヴェンの全作品中における位置づけと、『虐げられた人びと』のドストエフスキーの全作品中における位置づけはよく似ていると思う。同じハ短調によるモーツァルトのピアノ協奏曲(K.491)に強く影響された作品とされるベートーヴェンの第3ピアノ協奏曲は、中期の「傑作の森」と呼ばれる作品群を生み出す直前の作品で、第5交響曲(いわゆる「運命」交響曲)などと同じ「ハ短調」を用いてはいるけれども、そこには後のベートーヴェンが振り切った感傷性の澱が残っているように思われる。

 とはいえ、この『虐げられた人びと』を、私は結構気に入ってしまったのである。とりわけ、薄幸の少女・ネリー(エレーナ)が印象に残る。ネリーが登場すると、急に作品が生き生きとしてくる。逆に、語り手のワーニャやヒロインのナターシャの造形は、のちのドストエフスキーの大作を知っている人間にはいかにも物足りなく思え、それがこの作品の弱点ではあるのだが、ネリーの魅力にはその弱点を補って余りあるものがある。

 ところが、次に取り上げられた曲がブラームス交響曲第1番であって、私はこの曲を苦手としているので、単行本には収録されず、文庫本で付録として収録された「厚木からの長い道のり - 小澤征爾大西順子と共演した『ラプソディ・イン・ブルー』」(初出は季刊『考える人』(新潮社)2013年11月号)を先に読んだのだが、これに感嘆の声を上げてしまった。この文章が単行本には載っておらず、文庫版で初めて収録されるとは、単行本を買わなくて良かったと思った。とはいえ要約するのは面倒だなあと思ってネット検索をかけたら、下記日経の記事(昨年10月)が引っかかった。長いが全文を引用する。

村上春樹「最新作」は雑誌の音楽祭リポート - 日本経済新聞

村上春樹「最新作」は雑誌の音楽祭リポート 小澤征爾大西順子、奇跡の共演

 作家、村上春樹の最新作は雑誌のために書き下ろした異色の音楽祭リポートだ。新潮社の季刊「考える人」11月号巻末に、「厚木からの長い道のり 小澤征爾大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルーサイトウ・キネン・フェスティバル松本Gig 2013年9月6日」という長いタイトルの寄稿が収まっている。

大西順子を日本トップのジャズ・ピアニストと言い切る

 闘病からの復帰を期したクラシック音楽の世界的指揮者の男性と、一度は引退を決意したジャズ・ピアニストの女性。2人の奇跡の共演の仕掛け人という珍しい立ち位置から、村上は音楽、音楽家への熱い思いを少年のような率直さで語る。

 かつてジャズ喫茶を営んだだけあって、音楽への傾倒はもとより深い。デューク・エリントンアール・ハインズセロニアス・モンクチャールズ・ミンガスアーマッド・ジャマル、ランディー・ウェストン、シダー・ウォルトンらに連なるリズム感覚のジャズ・ピアニストとして、大西順子を日本のトップに挙げることにも、一切ためらいがない。

 村上は大西の音楽を全身で受け止める。

 「表層的なリズムの内側に、もう一つのリズム感覚が入れ子のように埋め込まれていることだ。その複合性、あるいはコンビネーションが、聴くものの身体にずぶずぶと食い込んでくる。僕は大西さんの演奏を聴いていて、いつもそのずぶずぶ感を肌身に感じることになる。僕の身体が、日常的には感じることのできない特別なリズムを貪欲に吸い込んでいることに気づく。そしてそれは、もう、他のジャズ・ピアニストからはまず得ることのできない、生き生きとして不思議な感覚なのだ」

 もちろんジャズ、クラシック、ポップスといったジャンルの垣根も顧慮しない。2009〜10年に著した「1Q84」ではジョージ・セルが米クリーブランド管弦楽団を指揮したヤナーチェクのオーケストラ曲「シンフォニエッタ」(ソニー)、今年のベストセラーの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」ではラザール・ベルマンが独奏するリストのピアノ曲「巡礼の年」(ユニバーサル)に光を当て、久しく埋もれていたクラシックの名盤を復活させた。2つの小説の間、11年には世界的指揮者との対談本「小澤征爾さんと、音楽について話をする」も出した。ここではマエストロ(巨匠)への畏怖の念もあったのか、博識だが素朴な音楽ファンの範囲を超える振る舞いは、慎重に控えていた。

 だが、今回は違った。大西順子の「ずぶずぶ感」を小澤とも分かち合おうと考えた時、村上は積極的なリード役に回った。

■「おれは反対だ!」と叫んだマエストロ

 まず都内のジャズ・クラブに誘い「いや、すごい演奏だね」の賛辞をマエストロから引き出した。大西が早過ぎる引退を決意すると「彼女の最後のライブが厚木の小さなジャズクラブであるんですよ」とささやき、「じゃあ、おれも行く」と言わせた。

 だが小澤は再度、村上を圧倒する。椎間板ヘルニアの手術を終えて間もない身で小田急線本厚木の駅近く、商業ビル5階にある「せいぜい2LDKのマンションの居間の広さくらい」のジャズ・クラブ、「Cabin」に約束通り現れた。「けっこう固い椅子」にも文句ひとつ言わず約2時間、大西順子トリオ最後の演奏に耳を傾けていたのだが……。

 最後に大西が「残念ながら、今夜をもって引退します」としみじみ語り出したところ、小澤は突然すくっと立ち上がった。「おれは反対だ!」。世界のオザワの唐突な叫びに、あたりは騒然となったという。大西にも村上にも「青天の霹靂(へきれき)」の事態が、松本への「長い道のり」の始まりだった。

 長い音楽家うしの話し合いを経て、大西は小澤を総監督とするサイトウ・キネン・フェスティバルへの参加を引き受けた。その時点では「ワークショップみたいなことを立ち上げ、後進の指導にあたる」と、まだ「中腰」の構えだった。大西の迷いをひっくり返し、小澤が指揮する世界の名演奏家集団「サイトウ・キネン・オーケストラ」と本格的に共演する「全面展開」へと持ち込む場面では、村上の力業がまさった。

 「ガーシュインの『ラプソディー・イン・ブルー』を大西さんとサイトウ・キネン・オーケストラで聴けたら最高ですね」。村上の選曲は的を射ていた。大西の大先輩に当たるジャズの巨匠、穐吉敏子の言葉を借りれば「ジャズでもクラシックでもない、ガーシュインという天才の産物」と小澤、大西の邂逅(かいこう)を即座に結びつけられるのは、ありとあらゆる音楽に通じた者だけである。マエストロが小躍りしたのは想像に難くない。

 「小澤さんが大西さんを熱く説得し、実現の運びとなりました。本当に夢のような展開です」と、村上は「サイトウ・キネン・フェスティバル松本Gig」のサイトに記した。

 9月6日、松本市のキッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)での公演チケットは発売後1時間足らずで完売した。

■1800人が総立ちの横綱相撲

 村上はクラシックの気むずかしい演奏者たちが大西の個性的な解釈を受け入れてくれるかどうか、不安だったらしい。だがリハーサルが進むにつれ「これを聴き逃したら後悔する」(クラリネットの山本正治)「そばで演奏していて鳥肌が立った」(ファゴットの吉田将)など、サイトウ・キネン・オーケストラの名手たちが口々に興奮を漏らし始めた。本番が終わった瞬間、1800人の聴衆は総立ちになった。大西が劇的カムバックに至るまでの日々には村上、小澤という2つの巨星の横綱相撲があった。

 「満場の観客の大半は、大西順子が力強く紡ぎ出す音楽をほぼ完全に理解し、受け入れていた。僕はそのような周囲の空気をひしひしと感じることができた。それは実に至福の時間だった。オーケストラはピアニストを理解し、聴衆はオーケストラとソリストが共同で成し遂げていることを理解していた。そしてこのような共感関係をその場に出現させたのは、言うまでもなく小澤征爾という特別な、並外れた存在だった」

 ふだん小説というフィクションの世界に住む村上が「事件」の当事者としてかかわり、克明に書きとめたノンフィクションはまれだろう。筆致には、コンサートさながらのライブ感覚があふれる。雑誌の編集作業を少しでも知るなら、9月6日の出来事を長々、10月発売の季刊誌に入れるのは「ほぼ不可能」と考える。「考える人」の河野通和編集長も、3カ月後の次号に載せるつもりだった。だが「村上さんは熱く語り、どうしても直近の号に収めてほしいと、最速で原稿を届けてきた」。河野編集長は大作家の特別寄稿には異例の巻末とじ込みで対応し、埼玉県内の印刷所で陣頭指揮をとった。小澤、大西、村上と世代も活躍の舞台も違う3つの才能がガーシュインの一曲で交差し、子どものように素朴な興奮を共有する。音楽とはつくづく、時空を超えた不思議のメディアである。

日本経済新聞 2013/10/25 6:30)

 そんなことが現実に起きるんだ、それもつい1年前に起こってたんだと驚嘆した。

 私自身はジャズも少しは聴くが、大西順子は聴いたことがない。覚えているのは、90年代に行きつけだった秋葉原石丸電気レコードセンター(今はもう存在しない)の階段の壁に、当時まだ20代だった大西順子のポスターが何年もかかっていたことくらいだ。確かその後ほどなくして演奏活動を休止したはずだがと思って調べてみると、2000年に演奏活動を休止したあと2005年に復帰したが、2012年に引退を表明したとのこと。日経の記事には出ていないが、村上春樹小澤征爾の対談本(村上春樹が書いている)には、

 大西さんは現役引退を決意して、手持ちの楽器は東北震災の義援金にするためにオークションでそっくり売り払ってしまった(この人もやることがかなり極端だ)。(453頁)

とある。さらに驚いたことには、小澤征爾と共演したことによって、大西順子はバイト先を失ってしまったらしいのだ。再び村上春樹の文章を引用する。

 そう、すべては完璧だったのだ。少なくとも僕にとっては……。それ以外にいったい何が言えるだろう。
 いや、完璧でないことも少しはあった。それはここにしっかり明記しておかなくてはならない。大西順子はこの「松本Gig」のおかげて仕事を失ったのだ。この七月、サイトウ・キネンの講演に出演するために、アルバイト先に二週間の休暇とシフトの変更を申し出たら、「もう来なくていいよ」と通告された。
「だから東京に帰って、明日からまた仕事探しをしなくちゃならないんです。大変ですよ」と彼女は苦笑いしながら言う。
 どこかの音楽大学なり教育機関なりがこの女性ピアニストに、落ち着いて後進を育成し、場合に応じて自分の演奏をも追究できるような、安定したポストを提供するべきなのだ。僕は心からそう思う。彼女は若いミュージシャンたちを指導することに、とても強い興味と意欲を持っている。また今回の松本の「ジャズ勉強会」で彼女が残した実績が、彼女の教育者としての能力をみごとに証明しているはずだ。年若いピアニストたちの短期間における見事な成長ぶりに、みんなが(小澤さんも含めて)舌を巻いた。この人を−−日本が誇りとするべき傑出したジャズ・ピアニストを−−アルバイト探しに走り回らせているような日本の音楽状況に対して、僕は不満と怒りを覚えないわけにはいかない。「そんなのは間違っている!」と僕は小澤征爾さんにならって、ここで立ち上がって大声で叫ばなくてはならない。(465-466頁)

 「日本の音楽状況」といえば、村上春樹が上記の文章を書いた3か月後に起きた、佐村河内守事件における佐村河内のゴーストライター新垣隆がすぐに思い出されるし*3、佐村河内の件からさらに想起されるのは、音楽から離れるけれども、悪質な研究不正を行いながら、懲戒免職になったり博士号を剥奪されることなど全くなく、今なお「『STAP細胞』の再現実験」とやらを続けているらしい小保方晴子のことである。なんという不条理。

 だが、今回ばかりはネガティブなことをこれ以上考えるのは止めよう。それよりも、大西順子小澤征爾村上春樹の3人が起こした奇跡の素晴らしさに乾杯したい。

*1:間違っても「小沢政治」ではない。

*2:高校生の頃、当時まだ40代の小澤征爾が指揮するベートーヴェンの第9交響曲の生演奏を聴いたことがある。また、村上春樹とは、小説は少ししか読んでいないが、阪神間育ちでありながらヤクルトファンという共通点がある。村上春樹は、阪神大震災2年後の1997年に、阪神間を歩くついでに甲子園球場阪神−ヤクルト戦を観戦し、それをエッセイに書いたが、私も似たようなことをやったことがある。歩いた向きは村上春樹と反対方向だったが、やはり同じように甲子園球場阪神−ヤクルト戦を見た。村上春樹の真似をしたわけではなく、私の方が先にやったのである(1996年)。

*3:クラシックとジャズは、ともにCDが売れず、レコード会社にとってはお荷物のジャンルの代表格だろう。