kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

クロイツェル・ソナタ

そういえば、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』って、まだ読んだことがないのだった。

ベートーヴェンの有名なヴァイオリンとピアノのためのソナタに触発されて書いた、背徳を描いた小説だとは聞いていたが、ベートーヴェンの音楽の方はもうずっと昔から知っているのに、トルストイの小説の方は未だに読んだことがない。

私はどういうわけか若い頃にトルストイドストエフスキーの長編小説を全部読もうと思い立って、ドストエフスキーの5大長編とトルストイの3大長編を全部読んだ。ご多分に漏れず、強く惹かれたのはドストエフスキーの方で、『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』はそれぞれ2度読んだ。『カラマーゾフの兄弟』以上に面白いと思った小説は、未だに読んだことがない。だが、そのドストエフスキーにも未読の小説は多く、2年に一度ほどのペースでそれらを読んでは感心している。

しかし、トルストイとなるとその意欲もあまり起きない。『アンナ・カレーニナ』は文句なく面白かったけれど、『戦争と平和』には正直かなりへこたれた。『復活』もそれほど印象に残らなかった。

なぜトルストイを思い出したかというと、ベートーヴェンの『クロイツェル・ソナタ』の面白い演奏をCDで聴いたからだ。


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男女のデュエットによる演奏だが、小説とは逆にヴァイオリニストの方が女性。演奏しているヴィクトリア・ムローヴァは美人奏者と言われるが、アスリートのようなたくましい体格をしている。

そして、この演奏ではヴァイオリニストもピアニストも古楽器を用いて演奏している。それが実に良いのだ。現代のヴァイオリンとピアノでこの曲を演奏した場合、どうしてもピアノの音が目立ってしまう。クロイツェル・ソナタにおけるピアノは、伴奏などではなく、ヴァイオリンと主役を張り合い、闘っているようなものなのだ。しかも、ベートーヴェンはピアニストでもあったから、ピアノを活躍させようとするきらいがある。

それが、古楽器を使うと、フォルテピアノ古楽器のピアノ)の響きは現代のピアノより控えめだから、両者のバランスが良くなる。同じことは、以前、別の演奏家によるモーツァルトソナタを聴いた時にも感じた。モーツァルトベートーヴェン室内楽は、彼らの時代の楽器で演奏される方が良いのかもしれない。

しかしながら、演奏家たちの感覚は決して「故きを温める」ようなものではない。非常にスリリングな演奏になっている。特に第1楽章が良い。ムローヴァというのは昔はもっとひんやりとした肌触りの音楽をやる人だという印象があって、それがショスタコーヴィチプロコフィエフなど、20世紀ソ連の音楽に合っていたため、何枚かCDを買って聴いていたのだが、クロイツェル・ソナタでは、「熱い」という表現とはちょっと違うけれども、スピード感あふれる演奏なのだ。

テンポの遅い変奏曲である第2楽章では、現代楽器で陥りがちなベタベタした表現にならないところが良い。最後の速い第3楽章になると、さらに古楽器の面目躍如だ。

演奏家たちは、第1楽章の提示部をリピートしているが、ムローヴァとピアニストのベザイデンホウトは、繰り返しでは楽譜通りではなく、適宜装飾音を加えて弾いている。こういうやり方は、バロック音楽ではよく行われると、昔FM放送で解説者が言っていたことを思い出した。

とにかく、知と情のバランスの良い演奏だと思うのだが、特にフォルテピアノの音が聴き取りやすいことが古楽器を使ったこの演奏のメリットだ。

トルストイが小説のインスピレーションを得たのは、おそらくこの曲の第1楽章だろうと思うが、ピアノの音が一音一音聴き取りやすい分、この曲に込めたベートーヴェンの情念がより伝わってくるように思えた。ムローヴァベザイデンホウトの二人とも、決して情緒過剰の演奏はしていないために、余計にベートーヴェンの情念がじかに伝わってくるような気がしたといえるかもしれない。

そして、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』をまだ読んでいないことを久しぶりに思い出し、一度読んでみたいと思った次第である。