kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

陳舜臣、大豊泰昭(陳大豊)、斉藤仁死去

名前になじみのある人たちの訃報が相次いでいる。

http://www.asahi.com/articles/ASH1P4711H1PPTFC008.html

作家の陳舜臣さんが死去 90歳、日中の文化的懸け橋

 中国の歴史と文化に対する豊かな学識を生かした歴史小説やエッセーで知られ、日中両国の文化的懸け橋として活躍した作家の陳舜臣(ちん・しゅんしん)さんが21日、老衰のため死去した。90歳だった。葬儀は近親者のみで行う。後日お別れの会を開く予定。

 神戸市生まれ。祖先は中国・福建省の出身。祖父の代に台湾から神戸に転居した貿易商の家で育った。大阪外国語学校(現・大阪大外国語学部)に在学中、作家の司馬遼太郎と親交を結んだ。同学校の助手になったが、敗戦で国籍が日本から中国に変わり、研究者の道が閉ざされたため退職。家業を手伝いながら小説を書き始めた。

 1961年、「枯草(かれくさ)の根」で江戸川乱歩賞を受け、推理小説作家として出発。67年に約3千枚の大作「阿片(あへん)戦争」を書いたのを機に歴史小説にも進出し、69年、「青玉獅子香炉(せいぎょくししこうろ)」で直木賞を受けた。

朝日新聞デジタル 2015年1月21日13時36分)


この人について、過去一度だけ日記に取り上げたことがある。


実は、この人の小説は読んだことがない。日記に取り上げたのは、司馬遼太郎との対談本だった。


新装版 対談 中国を考える (文春文庫)

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しかし昔、この人の講演を聴いたことがあるのだった。というのは、私は少年時代、神戸に住んでいたのだが、陳舜臣といえば地元の名士だったからだ。講演の内容はほとんど覚えていないが、唯一記憶に残っているのは、「牛耳る」(ぎゅうじる)という言葉を、「ぐじる」と発音していたことだ。それも繰り返し言っていたので、「ぐじる」と読むのが正しいのだろうかと、あとで辞書で調べたものだ。

ここで話は飛ぶが、「陳さん」つながりで思い出されるのが、プロ野球中日ドラゴンズ阪神タイガース大豊泰昭(中国名・陳大豊)の訃報だ。中日時代の1994年に本塁打王打点王の二冠に輝いた長距離打者だが、脆さもあり、通算打率は2割6分6厘だった。1994年の中日といえば、読売との最終戦に敗れて優勝を逃したが、この年の中日には、大豊の他に首位打者のパウエル、最多勝山本昌防御率一位の郭と、投打のタイトルを独占しながら2位に終わっている。高木監督の采配にも疑問があったが、大豊もパウエルも、勝負強さはあまり感じられなかったのだった。ちなみに、読売との決戦の前に中日の連勝を止めたのが、われらがヤクルトスワローズだった。もっともそのあとヤクルトは読売との最終戦にも勝って、最終戦決戦を演出した。

その大豊の白血病が発症したのは2009年。同年11月27日に「はてなブックマーク」をつけている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/plaza.rakuten.co.jp/kogatakuyaku/diary/200909100000/

kojitaken 大豊って白血病にかかって、闘病生活のあと退院してたんだ。全然知らなかった。90年代前半の中日の強打者で、のち阪神に移籍。 2009/11/27

大豊の白血病は二度再発し、晩年には骨髄移植に伴うGVHD(移植片対宿主病)に苦しめられて、体重が激減していたようだ。享年51。

同じように大病で晩年体重が激減していたのが、柔道の斉藤仁だった。こちらは胆管がん。晩年のものと思われる顔写真を訃報を伝えるテレビのニュースで見たが、げっそり頬がこけていたのに驚いた。享年54。大豊といい斉藤といい、いかな体力自慢の運動選手であっても、白血病やがんの予後が悪い場合は致し方ない。

斉藤で思い出されるのはなんといっても1988年ソウル五輪での優勝だ。斉藤には責任はないが残念だったと思うのは、ライバル・山下泰裕が連勝記録を保ったまま引退してしまったことだ。当時からの変わらぬ持論だが、斉藤に「偉大なライバルを超える」経験を持つことを許さなかった山下の引退はどうかと思う。もしかしたら怪我の影響か何かがあったのかもしれないが、最後は「負けて終わる」というのが、王者のあるべき姿だと思う。プロ野球では、1986年の日本シリーズが、広島・山本浩二の同点ホームランによる引き分けで開幕したあと広島が3連勝したが、第5戦で西武の救援投手・工藤が自らサヨナラヒットを打って流れを変えると、秋山・清原ら若手の活躍で4連勝して逆転優勝した。広島の山本浩二や衣笠らベテランは、シリーズの後半であまり活躍できなかった。第8戦終了後、広島市民球場ではこの年限りで引退を決めていた山本浩二の胴上げが行われ、山本は男泣きした。これを見ながら、「負けて終わるというのもいいものだなあ」と思うと同時に、その前年の1985年、203まで伸ばした連勝の記録が途切れないまま引退してしまった山下の引き際は、果たしてあれで良かったのだろうかと改めて思い出したものだった。

それにしても、大豊泰昭51歳、斉藤仁54歳とは、あまりに早すぎる死だった。私が陳舜臣の講演会を聴いた時の陳氏の年齢は、計算してみると53歳で、大豊と斉藤の享年のちょうど真ん中にあたる。

陳舜臣大豊泰昭斉藤仁のお三方のご冥福をお祈りする。