kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

おい「リテラ」の田部祥太氏よ、孫引きしたならリンクを張れよ

最近、8年前に書いた下記の記事がTwitterでたまに引用されるので不思議に思っていた。
元テレビ朝日政治部長・末延吉正と岸−安倍一族とのつながり - kojitakenの日記(2007年10月6日)

そしたら、さっき「リテラ」の下記記事を見つけた。
『報ステ』転向?「安倍首相とテレ朝のパイプ役」の姪のバイオリン演奏を延々放映|LITERA/リテラ

その2ページ目から引用する。

http://lite-ra.com/2015/04/post-998_2.html

 末延氏と安倍首相の関係は古い。末延氏の実家は安倍氏の地元・山口県で、岸信介の時代から安倍家の有力な後援者だった。そして、テレ朝の政治記者になった後、末延氏はその出自を最大限に活かすかたちで安倍氏に食い込んでいく。そして、安倍氏との関係をテコにテレ朝政治部で出世街道を歩んでいった。

 末延氏自身もそれを隠そうとはせず、第一次安倍政権が崩壊した直後、「月刊現代」(講談社)2007年11月号に、「わが友・安倍晋三の「苦悩の350日」」と題して、その深い関係をこうつづっている。

「私の亡くなった父は山口で家業の建設業を営む傍ら、青年団運動に携わっていた。A級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監されていた安部の祖父である岸信介が出所したのは、そんな青年団運動を熱心にやっていた折りだった。「自主憲法制定」を掲げて日本再建連盟を設立した岸は、地元・山口に帰るたびに啓蒙運動を展開し、家が近所だった私の父も、その教えを受けた一人だ。
 だから私も子供の頃から、岸と面識があった。夏休みに東京から山口にやってくる晋三兄弟の存在も知っていた。」
「上京して、高校・大学を出ると、私はテレビ朝日に勤めた。それまでも同郷で、かつ父親が知己である関係で岸信介安倍晋太郎とも会っていたが、放送記者の仕事が始まると接する機会は増えた。」
「それを機に付き合いは深まった。思い出深いのは、04年の参院選敗北の責任を取らされ、幹事長から幹事長代理に降格させられた日のことだ。いつも人の批判をしない男が、私の前では不快感を露(あらわ)にした。私には素の姿を見せた。同郷で同じ年齢。そんな気安さがあったのかもしれない。そのことがまた、関係を密にした。」


 末延氏は政治部長在職当時、部下への暴力事件を起こして、テレビ朝日を退職せざるをえなくなったが、その後も、安倍首相との関係をテコにテレビ朝日との関係はきれなかった。


この月刊『現代』からの引用部分だが、2007年10月6日に私が『現代』から手打ちして引用した記事からの孫引きではないか。以下、私の8年前の記事から引用する。

月刊「現代」11月号に、元テレビ朝日政治部長末延吉正が "わが友・安倍晋三の「苦悩の350日」" なるトンデモ記事を書いている。
内容は、改革者・安倍を「抵抗勢力」が潰した、福田康夫擁立で時計の針は「逆回転」を始めた、とするもので、コイズミをも「抵抗勢力」と称している。つまり、末延はきわめて安倍と近いマスコミ人だということだ。

「現代」の記事に、末延は次のように書いている。

 私の亡くなった父は山口で家業の建設業を営む傍ら、青年団運動に携わっていた。A級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監されていた安部の祖父である岸信介が出所したのは、そんな青年団運動を熱心にやっていた折りだった。「自主憲法制定」を掲げて日本再建連盟を設立した岸は、地元・山口に帰るたびに啓蒙運動を展開し、家が近所だった私の父も、その教えを受けた一人だ。
 だから私も子供の頃から、岸と面識があった。夏休みに東京から山口にやってくる晋三兄弟の存在も知っていた。
 上京して、高校・大学を出ると、私はテレビ朝日に勤めた。それまでも同郷で、かつ父親が知己である関係で岸信介安倍晋太郎とも会っていたが、放送記者の仕事が始まると接する機会は増えた。同い年の安倍を知ってはいたし、安倍が父・晋太郎の秘書になって、さらに会う機会は増えたが、その頃はそれほど親しくなることはなかった。むしろ、互いに「生意気な若造」くらいに思っていたのだと思う。
 安倍が政治家として化けたと感じたのは、小泉政権官房副長官として北朝鮮を訪問した02年9月のことだ。私もテレビ朝日の取材デスクとして、急遽、同行取材することになった。訪朝前後、私は安倍にインタビューした。私の目の前にいる男に、少し早口で短気そうなお坊ちゃんの面影はなかった。
 それを機に付き合いは深まった。思い出深いのは、04年の参院選敗北の責任を取らされ、幹事長から幹事長代理に降格させられた日のことだ。いつも人の批判をしない男が、私の前では不快感を露(あらわ)にした。私には素の姿を見せた。同郷で同じ年齢。そんな気安さがあったのかもしれない。そのことがまた、関係を密にした。

(月刊「現代」 2007年11月号掲載 末延吉正 "わが友・安倍晋三の「苦悩の350日」" より)


(『kojitakenの日記』2007年10月6日付記事「元テレビ朝日政治部長末延吉正と岸−安倍一族とのつながり」より)


「リテラ」の文章の著者・田部祥太氏がこのブログから『現代』の記事を孫引きしたに違いないと確信する理由は、上記の2つの記事、特に赤字及び青字ボールドにした部分の対比からおわかりいただけるだろう。

まず、田部氏は私が引用しなかった箇所は『現代』から引用していない。私が引用した箇所のうち、イタリックにした部分を田部氏は省いている。

また、雑誌記事でルビが振られていたのを括弧付きに表記した「露(あらわ)」という表記が田部氏の記事でも同じ表記になっている。

さらに決定的なことがある。今になって初めて気づいたのだが、私は『現代』の記事を手打ちした時、一箇所「安倍」を「安部」とtypoしてしまっていた。一方、「安倍」と正しく打った箇所もある。田部氏が引用した記事にも同じ箇所に「安部」の誤記があり、同じ箇所に誤記でない「安倍」がある。雑誌の現物が私の部屋の押し入れに今も保存してあるか、それとも処分してしまったかはわからないが、おそらく元の雑誌記事には「安部」の誤記はあるまい。

以上から、99.999%の自信を持って、田部氏は私の記事か、さもなくば私の記事を引用したネットの記事から、『現代』の記事を孫引きないし曾孫引き以上の仕方で引用していると断言できる。

私も孫引きはよくやるが、その際には「○○から孫引き」と明記することを原則としている。自分の判断で記事から引用する場合と、一度他の人が引用した記事からさらに引用する場合では、その重みが異なるからだ。

つまり、自分が手打ちなどで引用する時は、自分の判断で引用したい箇所を決める。それに対して、他の人が引用した記事から孫引きした場合、そこには引用した人の価値判断が含まれているわけだ。それを明らかにする意味で、孫引きした場合は原則として引用元のURLを明記することにしている。たまに意図的に明記しない場合もあるが、その場合には「某所で拾った」などという表現を用い、信頼性を保証できかねる情報であるとのニュアンスを示している。

私は、自分がそういう原則を持っていることを理由に、孫引きであることを明記しないサイトには全幅の信頼を置けないと考えている。

つまり、「リテラ」及び田部祥太氏に全幅の信頼を置くことは、私にはできないというわけである。

上記の記事に限らず、また「リテラ」や田部祥太氏に限らず、他のサイト経由で孫引きを行う場合は、引用元のURLを明記すべきであろう。