kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「矮小な悪」安倍晋三に振り回されるこの国の政治システムの重大な欠陥とは

 昨夜(4/30)は、昼間にヤクルトが先制したところまで確認した横浜スタジアムの試合(DeNA対ヤクルト戦)はどうなったかなと、10時半過ぎに少しは試合の映像を見せてくれそうなテレビ朝日報道ステーション)にチャンネルを合わせたがなかなかやってくれず、11時をだいぶ過ぎてから、なんと雨が降りしきる球場で終盤に追いついて、延長戦の末にやっと勝った映像を見た。スコアを見ると7点の援護をもらったヤクルト先発の原樹理が中盤に大きく崩れ、いったん逆転されていた。勝って首位読売に0.5ゲーム差に迫ったのは良いが、こんな試合運びでは仮に読売との優勝争いになっても勝てそうにないと思わされた。

 テレビはそのあと、どうでも良い馬鹿騒ぎを始めたし、私は報棄てのメインキャスターである徳永有美が嫌いなのでチャンネルをTBSに替えた。雨宮塔子徳永有美よりはよほどましだが、本当に6月から小川彩佳に代わってしまうのか、それより星浩を降ろした方が良いのにとは思うが、雨宮氏が徳永よりいくらかマシとは言っても翼賛放送をすることには変わりがないので番組はやはり馬鹿騒ぎの度を強め、それにつれて強烈な眠気が襲ってきたのでそのままテレビをつけっ放しにして寝た。

 だからカウントダウンだの結婚式だの役所への届け出だのディスコで踊り明かすだのといった馬鹿騒ぎはリアルタイムではなく朝起きてからつけっ放しだったTBSの『あさチャン!』(あさは平仮名らしい。最近知った)で確認した。

 斜陽国の空しい騒ぎ以外の何物でもなく、心が重くなるばかりだったが、斜陽国の空虚な独裁者・安倍がますますのさばるのかねえ、今のところ安倍に死角はなさそうだし、などと考えるとますます憂鬱になる。

 4月最後に読み終えた本は高杉良の『呪縛 - 金融腐蝕列島II』(角川文庫 2000=字が小さいことに閉口させられた)だったが、最後から2番目、連休に入る直前に読み終えたのが、「リベラル」系コメンテーターとしてテレビでもお馴染みの元共同通信記者・青木理が書いた『安倍三代』(朝日文庫 2009)だった。

 

publications.asahi.com

 

 安倍寛安倍晋太郎安倍晋三という三代の政治家の評伝だが、このうち安倍寛についてはちょっとした思い出がある。私はブログを始めた13年前から安倍晋三を批判のターゲットにしていたのだが、当時どういうわけか主要媒体の間で小泉純一郎の後継総理候補筆頭と見られていた安倍晋三を批判することが一種のタブーになっているような風潮があったため、数少ない安倍批判の記事が載った週刊誌が出る度にそれを買い求めていたのだった。『AERA』2006年3月20日号に「昭和の妖怪継ぐ血と骨」と題された記事はその一つだったが、その記事に安倍の父方の祖父・安倍寛への言及があった。当時それを取り上げて書いた『きまぐれな日々』の記事*1から以下に孫引きする。

 

 ところで、岸は戦争末期に東条英機と対立して国務大臣を辞任。故郷の山口に帰り、「防長尊攘同士会」を結成し、政治家への道を模索するのだが、この時に軍部批判の先輩・安倍寛と出会い、“反東条”で手を組んだ。このいわば〈戦争と平和〉の出会いが、彼らの子供=晋太郎と洋子の結婚へと発展していったのである。だから、晋三の血脈には、“私は岸信介のDNAを受け継いでいる”などと軽々しく一方の血脈を選択してはならない約束=宿命(さだめ)が流れ込んでいるともいえるのだ。

 

(「AERA」 2006年3月20日号 「昭和の妖怪継ぐ血と骨」より

 

 この記事によって初めて安倍寛という政治家について知った。しかし、1946年に51歳で早世したこの政治家についての情報は今に至るまで乏しかったので、安倍寛の評伝に3分の1が割かれている『安倍三代』を買って読んだのだった。安倍晋太郎や、ましてや安倍晋三の評伝など付録に過ぎなかった。

 で、安倍寛についての感想を書くと、時代を先取りした政治家で、地元でずいぶん慕われたのも理解できるのだが、たとえば石橋湛山級の先見の明などは望むべくもなく、まあ地元の歴史に残る偉人くらいの位置づけかなと思った。

 この本は、あとになればなるほど読むスピードが増し、特に後半3分の1はあっという間に読めてしまう。ネット検索をかけたところ、下記武田砂鉄氏の書評がみつかり、それに強く共感した。

bunshun.jp

 

 以下、武田氏の書評から、本の最後の3分の1、すなわち安倍晋三に関する部分を抜粋して引用する。

 

 

祖父・寛や父・晋太郎にあって、安倍晋三にはないもの

『安倍三代』(青木理・著)を読む

2017/03/19

 

 あらゆる人物評伝は、史料や証言者の声が積もり、ページをめくればめくるほど濃厚になるものだが、本書は例外。残り3分の1、安倍晋三の軌跡を追い始めた途端、万事が薄味になる。彼について問われた誰しもが、語るべきことがあったろうか、と当惑する。

 晋三が通った成蹊大学名誉教授・加藤節(たかし)は、彼を「二つの意味で『ムチ』だ」と評する。「無知」と「無恥」。「芦部信喜さんという憲法学者、ご存知ですか?」と問われ、「私は憲法学の権威ではございませんので、存じ上げておりません」と答弁した彼を「無知であることをまったく恥じていない」と嘆く。手元の原稿に記された「訂正云々」を力強く「訂正でんでん」と読む宰相は無知を改めない。

 
 (中略)
 

 晋三いわく「公人ではなく私人」の昭恵夫人が、本書の取材に応じている。寛にも晋太郎にもあった気概や努力が晋三に感じられないのはなぜか、との不躾な問いに「天のはかりで、使命を負っているというか、天命であるとしか言えない」と述べる。呆然とする。

 安倍家の対岸に住まう古老、“政略入社”した神戸製鋼時代の上司、安倍家の菩提寺である長安寺の住職等々が、晋三をおぼろに語る。彼の存在感を力強く語れる人が、どこからも出てこないのだ。

 政界を引退した、かつての自民党の古参議員・古賀誠に語らせれば「ツクシの坊やみたいにスーッと伸びていく」ような世襲議員が、現政権では閣僚の半分を占めている。「ツクシの坊や」のために変更された自民党総裁任期延長に異を唱える党内の声は極端に少なかった。支持する理由のトップが常に「他より良さそう」であっても、自由気ままな政権運営が続いていく。

「私の国際政治学(の授業)をちゃんと聞いていたのかな」と恩師を涙ぐませてしまう宰相は、その薄味と反比例するように、国の定規を強引に転換させている。周囲に募る虚無感と本人が投じる強権とが合致しない。その乖離(かいり)に誰より彼自身が無頓着なのが末恐ろしい。

 
(文春オンラインより)

 

 安倍晋三には本当に中身が何もない。それは以前から知っていた。2016年に野上忠興著『安倍晋三 沈黙の仮面 - その血脈と生い立ちの秘密』(小学館)を読んだが、やはり安倍晋三に関する記述の印象がほとんど残っていないのだ。

 

 

www.shogakukan.co.jp

 

 

 この本については、この日記で一度言及したことがある(2016年4月5日)。

 

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 だが、上記リンクの記事で書いた文章の主眼は、安倍晋三小沢一郎の奸計、もとい関係を批判することにあった。上記リンクの記事をお読みいただければわかる通り、安倍と小沢とのつながりは実はかなり根が深いのだが、小沢を切り離した安倍晋三本人については、下記の感想を述べているだけだ。

 

最後に安倍晋三だけれども、安倍晋三の生い立ちだったらどう生きたか、と自問すれば、俺もアベさまみたいな悪質な独裁者になってしまったかもしれないな、とは思わなくもない。病根は、あんな人間を総理大臣にしてしまい、かつあんな独裁者を止められないメカニズムにある。こんな言い方をしてアベさま、もとい安倍晋三を免罪するつもりなど毛頭ないけれども、祖父が岸信介で母が安倍洋子というあの環境なら、あんなルサンチマンを抱える人間になる、というあたりまではわからなくもないと思う今日この頃なのである。

 

 今回、青木理が書いた評伝を読んでも、安倍晋三の印象は稀薄そのものだった。著者の青木自身がこの本の第三部「晋三」の中のいたるところに、安倍晋三の「薄っぺらさ」「空疎さ」「凡庸さ」などに苛立つ文章を書き散らしている。ここではその実例を一つだけ以下に示しておく。引用文は長いがご容赦いただきたい。

 

(前略)私(著者の青木理氏=引用者註)はルポルタージュとかノンフィクションなどと呼ばれる分野の文章作品の取材・執筆を生業としていて、この世界では古くから「ノンフィクションの華は『事件』と『人物評伝』だ」と語り継がれてきた。

 (中略)

 その人物評伝に類する私自身の取材・執筆時もそうだったし、いち読者として接した名作の数々もそうだったのだが、題材として狙い定められた人物の突出した才能や生き様であるとか、波瀾万丈の生涯であるとか、逆に目を背けたくなるほどの悪辣さとか狡猾さとか、その人生につきまとう悲哀とか、あるいは時に暑苦しいほど過剰に発せられるエネルギーであるとか、そうしたものに惹かれたり反発したりし、しかし、当該の人物への離れがたい魅力に取り憑かれてしまうのが常だった。

 このルポルタージュでいえば、晋三の祖父・寛にせよ、父・晋太郎にせよ、青年期から激しくエネルギーを発散させたり、生来の才能に知と人脈を重ねつつ成長していく様に、私はかなりの魅力を感じた。取材すればするほど垣間見えてくるエピソードや言動に、すべて賛同はしないまでも、惹きつけられた。俗っぽい物言いをするならば、ワクワクするような楽しさを覚えた。

 晋三が敬愛する岸信介もおそらくはそうなのだろう。少年期、青年期から超秀才として名を馳せ、革新官僚として傀儡国家・満州の経営にあたり、戦後はA級戦犯容疑者に列せられながらも、それを逃れると一挙首相の座にのぼりつめた。特に傀儡国家を差配した岸の行動には謎が多く、いまなお数々のノンフィクション作家や研究家が関連の取材、研究にあたっている。岸を肯定的に評価するにせよ、否定的に評価するにせよ、その存在が放つ磁場の強さを物語るものといっていい。

 しかし、晋三は違った。成育過程や青年期を知る人々にいくら取材を積み重ねても、特筆すべきエピソードらしいエピソードが出てこない。悲しいまでに凡庸で、なんの変哲もない。善でもなければ、強烈な悪でもない。取材をしていて魅力も感じなければ、ワクワクもしない。取材するほどに募るのは逆に落胆ばかり。正直言って「ノンフィクションの華」とされる人物評伝にふさわしい取材対象、題材ではまったくなかった。

 しかし、それが同時に不気味さを感じさせもする。なぜこのような人物が為政者として政治の頂点に君臨し、戦後営々と積み重ねてきた“この国のかたち”を変えようとしているのか。これほど空疎で空虚な男が宰相となっている背後には、戦後70年を経たこの国の政治システムに大きな欠陥があるからではないのか。(後略)

 

青木理『安倍三代』朝日新書 2019, 266-268頁)

 

 引用文中、青字ボールドにした部分にまず笑ってしまった。「善でもなければ、強烈な悪でもない」ということは、安倍晋三が「強烈ではない悪」というか「矮小な悪」であると言いたいのだろう。確かに安倍晋三とは「矮小な悪」の化身のような人間だと私も思う。

 しかし、赤字ボールドにした部分によって、そんな安倍晋三を冷笑した口元がたちまち凍り付いてしまう。確かにこの国の政治システムに大きな欠陥があったが、政治に関する常識を持ったこれまでの政治家はあえてそれにつけ込もうとはしなかった。しかし安倍晋三にはそんな良識の持ち合わせなどなかった。だから「無知」と「無恥」という「二つのムチ」に侵された*2安倍晋三は無邪気勝つ無遠慮にその政治システムの欠陥につけ込んだ。

 著者が言う「政治システムの大きな欠陥」ある程度具体的に言えば「権力を縛る」はずの立憲主義の機能不全、つまり法治主義ならぬ人治主義が罷り通る政治システムが続いていたということだろう。現に東大法学部卒の学歴を誇る自民党礒崎陽輔が下記のツイートを発したのは、第2次安倍内閣が発足する半年あまり前の2012年5月だった。

 

 

  上記ツイートが引用されているブログ記事(下記リンク)によると、

磯崎議員は1982年に東大法学部を卒業したそうであり、その時期、東大法学部で憲法を教えていたのは、ほかならぬ芦部信喜先生です(1963年~1984年)。

 とのことだ。

 

ameblo.jp

 

 2015年に書かれた上記ブログ記事にもある通り、立憲主義は戦前の帝国大学でも教えられていた。現に戦前の政党名は立憲政友会や立憲民政党など、「立憲」を冠したものが多かった。戦前の立憲主義統帥権の独立を定めた大日本帝国憲法そのものの欠陥を軍部や右翼などに突かれて崩壊したが、戦後民主主義の時代にも十分な復権を遂げたとは言い難かったようだ。現に、2015年5月になっても「左」側から下記のようなブログ記事が現れるていたらくだった。

 

critic20.exblog.jp

 

 上記ブログ記事のタイトルにある「青版の岩波新書」とは、長谷川正安の『日本の憲法』第二版のことだ。私はこの記事を読んで長谷川正安という共産党系の憲法学者に関心を持ち、のちに同じ著者による同じ書名の新赤版岩波新書である『日本の憲法』第三版に私の忌み嫌う「レーニン主義者」の白井聡の推薦文が書かれた帯を付けて復刊された時に買って読み、確かにこのマルクス主義憲法学者の書いた日本国憲法の解説書には「立憲主義」の文字は全く載っていないことを確認した。それどころか長谷川正安は自衛戦争にも肯定的だった。このことは2016年4月にこの日記に書いた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 マルクス主義憲法学のみならず、「あたらしい憲法のはなし」にも「立憲主義」の言葉はない。このことは、確か水島朝穂氏あたりがしばしば指摘していたことではなかったか。つまり、戦後民主主義の教義からはなぜか「立憲主義」の影が薄くなっていたため、権力の暴走を抑える機能が不十分だった。

 最近の日本共産党においては、実質的な「人治主義」そのものである「民主集中制」の悪弊が最近になってもろに噴出している。やはり人治主義政治家の権化ともいうべき現国民民主党衆院議員・小沢一郎の口車に乗って、衆院大阪12区補選に自党の衆院比例代表近畿ブロック選出議員を議員辞職の上無所属で出馬させたあげくに、自党の有権者からも他候補に票が流出するぶざまな惨敗を喫した。それなのに、下記東京新聞記事に見られる通り、共産党には敗戦の総括をするつもりなど毛頭ないらしく、惨敗したそのままの路線を今後も突っ走ろうとしている。

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201904/CK2019042902000150.html

 

共産に無所属擁立案 参院選、野党候補一本化

 共産党は夏の参院選改選一人区での野党候補一本化に関し、一部で公認を無所属に切り替えて擁立する考えを他党に提案する方針を固めた。元職が無所属で出馬した衆院大阪12区補欠選挙は敗れたものの「市民と野党の共闘に大きな財産となった」(志位和夫委員長)とし、連携のモデルになると判断した。共産幹部が二十八日、明らかにした。

 立憲民主、国民民主、共産など野党五党派の一本化のめどが立ったのは三十二ある一人区のうち三選挙区のみ。共産候補での一本化合意はない。共産公認の場合、立民や国民は支持を受ける連合などの理解が得られず、支援しにくい事情がある。共産は無所属にすれば各党の理解を得やすいと踏む。

 一方、全て無所属とすれば「党の存在感がなくなり、比例代表の得票に影響が出かねない」(幹部)として、他党との協議を通じて選定する。

 二〇一六年参院選でも共産は一人区の共闘を推進したものの、候補者を一方的に取り下げた。唯一公認が立候補した香川選挙区では当時の野党第一党民進党から推薦・支持を得られなかった。

 

東京新聞より)

 

 自由党が4月26日に解散した現在、上記記事にある「立憲民主、国民民主、共産など野党五党派」のうち四党派目は社民党なのだろうが五党派目がどこを指すのかよくわからない。まさか新元号名を冠するという恥ずかしい行為に走った某政治団体でもあるまいがとは思うが、それはともかく、上記東京新聞記事には辛辣な「はてなブックマーク」のコメントがいくつもついている。

 

b.hatena.ne.jp

 

東京新聞:共産に無所属擁立案 参院選、野党候補一本化:政治(TOKYO Web)

あの結果を見てこの結論。科学の党は今いずこ。

2019/04/30 14:56

b.hatena.ne.jp

 

東京新聞:共産に無所属擁立案 参院選、野党候補一本化:政治(TOKYO Web)

今の野党共闘は、手段が目的化しているような気がする。今月、大阪の補選で共産党系無所属が惨敗したばかりだが、これについての検証ができているのか?「この道しかない」と思い込んでいないか?

2019/04/30 16:01

b.hatena.ne.jp

 

東京新聞:共産に無所属擁立案 参院選、野党候補一本化:政治(TOKYO Web)

やめとけ

2019/04/30 16:45

b.hatena.ne.jp

 

 こんな惨憺たる現在の日本の政治状況に支えられて、「矮小な悪」である安倍晋三が日本をぶっ壊そうとしているわけだ。昨日から今日にかけて馬鹿騒ぎがピークを迎えた感のある改元についても、安倍晋三は自らの「元号制定権力」の行使を誇示する言動に走りまくり、日本国民は安倍に内閣支持率上昇で応えた(尻尾を振った)。このように為政者によって意のままにされる元号というのも、この国の「政治システムの大きな欠陥」の一つだろう。

 「崩壊の時代」これに極まれり。寒心に堪えない。元号が代わろうが、ブログ記事の締めの言葉は当分変わりそうにもない。

 

*1:http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-106.html

*2:安倍晋三の恩師である成蹊大名誉教授・加藤節の安倍晋三評。本書290頁より。