猛暑のせいもあるが、「崩壊の時代」ならではの、あらゆる言葉が通じなくなった時代になって、何を書くのも空しい気分になって、先月はついに月の半分の日も日記を公開できなかったし、今月は今日で17日だがようやく7日目の更新だ。
辛抱強く、日に多数の記事を発信している『広島瀬戸内新聞ニュース』でさえ、現在の「市民連合」「野党共闘」が政権を倒せるとは思っていないことを告白する記事を書いている。
日本の今後は「三国志」「南北朝」を学べば大体推測できる【備忘録】 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2018年7月14日)
日本の今後は「三国志」「南北朝」を学べば大体推測できる【備忘録】
前漢=大日本帝国
後漢=日本国
董卓=安倍晋三
王允=安倍晋三を(政治的にも含む)「暗殺」する人。
人口減少社会=三国志の時代も今も同じ
反董卓連合軍=いまのままの市民連合・野党共闘?
三国志と南北朝のカオス=安倍晋三「暗殺」後にやってくる日本のカオス
前秦などの異民族王朝=中国、韓国、マレーシアの企業。いまや日本企業より給料高い。日本人経営のブラック企業から人材を奪っていく。
六朝文化(漢文化と北方異民族文化が融合。躍動)
今後の日本も、外国企業流入で文化が融合し新しい文化が花開く可能性もある。
既存の日本人が明治以来、アジアでトップだったというプライドは一旦捨て、むしろいろんなルーツの人がいたのが日本だと認めたら案外、日本は明るくなる可能性あり。
少し前に橋本健二の『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)を読み、一昨日からブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大の『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房)を読んでいるが、これらの本を読みながら、なぜ今の「市民連合」「野党共闘」はダメなのだろうと考えている。
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- 作者: ブレイディみかこ,松尾匡,北田暁大
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まず共産党については、「民主集中制」の当然の帰結である「上意下達」の問題が、2015年以降に党執行部が大きく右傾化した時に、党員全体がそれに合わせて大きく右傾化した弊害が大きい。「上意下達」の問題は、たとえば『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』では、
「(レフト)1・0(旧来左翼=引用者註)のトップダウン的なところが死ぬほど嫌い」(ブレイディみかこ=145頁)
「いや、トップダウン志向というのは2・0(90年代的な「左派」または「リベラル」=引用者註)の人が正しく批判しているように1・0の悪癖なんだから、それが死ぬほど嫌いなのはまったく正しいと思いますよ(笑)」(松尾匡=145頁)
といった具合に、論外の存在としていとも簡単に切り捨てられている。
しかし、現実の「野党共闘」「市民連合」ほどトップダウン的な性格の強い政治勢力は、他に自公与党くらいしか思いつかないほどひどい(笑)
それは、実質的に「野党共闘」を仕切っているのが「民主集中制」の共産党と、「信者」を集める傾向が際立っている一方で、自身が代表を務める政党の支持率が0.0%である(つまり一般的には人々に全く支持されていない)小沢一郎であることを思えば明らかだろう。最近何かといえば枝野幸男が小沢と密談している立憲民主党も、日に日に「トップダウン政党」色を強めているように見える。
ことに共産党が政治思想的な面(たとえば天皇制に対する態度)ばかりではなく、新自由主義者である小泉純一郎にすり寄るなどの行為に出ている弊害は大きい。というのは、「野党共闘」勢力における最左派である共産党がネオリベにすり寄れば、もともとネオリベ体質の強い旧民主党系の立憲民主党や自由党(小沢一郎)などが安心してネオリベとつるめる空気が生まれる。事実、少し前に小沢一郎と小泉純一郎が野合する動きが報じられた。この小泉も、私に言わせればしゃしゃり出てくるだけで「野党共闘」候補の票を減らす、百害あって一利なしの存在だ。
その結果、橋本健二が昨年末に書いた『新・日本の階級社会』で書いた下記の期待を裏切る現状が生じてしまった。
もし階級社会の克服を一致点とする政党や政治勢力の連合体が形成されるなら、その支持基盤となりうる階級・グループはすでに存在しているといっていいだろう。アンダークラス、パート主婦、専業主婦、旧中間階級、そして新中間階級と正規労働者のリベラル派である。これらの、一見すると多様で雑多な人々を、格差社会の克服という一点で結集する政治勢力こそが求められるのである。そのような政党が登場すれば、これらの人々の政党支持は激変する可能性がある。その可能性の一端は、二〇一七年一〇月の衆議院選挙での立憲民主党の躍進にあらわれたといっていいだろう。
(橋本健二『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)301-302頁)
その立憲民主党だが、少し前の一部幹部による跳ね上がったネオリベ的言動が目障りだな、と思う間もなく政党支持率が急落した。上記橋本健二の言葉に即していえば、立憲民主党も「そのような政党」ではなかった。そう少なくない有権者に見切られた結果の政党支持率急落だろうと私は考えている。
もっとも、立民の新自由主義への傾斜は、昨年暮に蓮舫の入党を認めた時点で既に始まっていた。『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』で松尾匡が指摘するところによれば、蓮舫は、民進党代表時代の2017年5月2日に日本経済新聞のインタビューに答えて「財政均衡を憲法に入れたい」などと言ったらしい(同書126頁)。おそらく蓮舫の無知に起因するのだろうが、これは「経済極右」の主張そのものだ(なお、松尾匡も示唆している通り、自民党の改憲案にも同じ条項を憲法に加える構想がある)。
こんなのが去年まで民進党代表だった。この人が代表になった途端、小池百合子にすり寄る醜態を演じ、「都会保守」のブロガー氏を「ちょっとワクワク」させたことは記憶に新しい。そういう姿勢に「ワクワク」する人たちが、民進党から現在の立憲民主党の支持層に一定数いることは、前記ブロガー氏を例に挙げるまでもなく事実だが、残念ながら「ワクワクする」人たちよりも、その手のネオリベ志向によって民進なり立民なりから離反する人々の方が数がずっと多い。そのことが最近の立憲民主党の支持率低下に表れていると私はみている。
おそらく、自力ではなく他力で安倍政権が終わった後の混沌(カオス)をやり過ごして生きていくほかないのだろうが、想像するだけでうんざりする。