kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍昭恵と「水からの伝言」的トンデモ国粋主義極右思想

今朝の朝日新聞(4/6)文化面に、「安倍昭恵氏の思想とは」と題して、『文藝春秋』3月号に掲載されたノンフィクション作家・石井妙子氏の書いた記事「安倍昭恵『家庭内野党』の真実」の内容が一部紹介されている。非常に興味深いので抜き書きする。以下、本記事の引用部分はすべて4月6日付朝日新聞文化・文芸欄掲載の塩倉裕編集委員署名記事による。

 脱原発に共鳴し、巨大防潮堤の圏説に疑問を呈し、有機農法に取り組む。左派的イメージの言動で、右派的な夫との〈違い〉が注目されてきた昭恵氏。だが石井氏は今回、「ふたりは価値観の基礎の部分を共有」し、「安定した関係性」を築いている、と記した。

 共有点の一つは、「日本の伝統」を称賛し、それが敗戦を機に米国によって奪われたと考える傾向だ。

これは的確な指摘だ。非常によく納得できる。私は安倍夫妻の「仮面夫婦」説が出る度に苛立ち、昨夜遅くに公開した記事でも、引用した『週刊女性』の記事のうち、安倍夫妻「仮面夫婦」説が書かれた部分を削除したくらいだ。私は「仮面夫婦」どころか安倍夫妻は一心太助もとい一心同体であると考えている。もちろん姑の安倍洋子は安倍昭恵に怒り心頭であろうことは想像に難くないが、安倍晋三は安倍洋子よりも安倍昭恵の側に立っていると考えなければ一連の森友学園事件に関する安倍晋三の異常なリアクションは理解できない。なにしろ安倍晋三は国会の質問で安倍昭恵の名前が言及されるだけで、野党の質問者が言ってもいないことを勝手に「犯罪者扱い」などとブチ切れているのだ。

特に、「日本の伝統」が「敗戦を機に米国によって奪われた」と安倍夫妻が考えているという指摘は、もっと世の「リベラル」によく認識してもらいたいところだ。安倍晋三は「リベラル」によって左記の指摘とは逆に「アメポチ」と位置づけられることが多いが、これは安倍晋三といえども権力機構に強く働く「惰性力」に抗することができないために過ぎず、安倍晋三は本心ではあの孫崎享が理想とするところの「自主独立派」であると私は確信している。ついでに書くと、だからこそ孫崎はあのトンデモ本『戦後史の正体』の中で岸信介を天まで届かんばかりに持ち上げたのだろうと想像している。過去に何度か書いたことだが、孫崎が『戦後史の正体』を書いた頃、安倍晋三自民党内で不遇をかこっていた。一方、小沢一郎一派は当時の与党・民主党から離党して新党「国民の生活が第一」を作ったものの、単独で衆院選に勝てる見通しは全くなかった。孫崎が意図したのは、そんな不遇同士の安倍晋三小沢一郎をくっつけることではなかったか。私は本が出版された当時からそう思っていたし、その想像は今でも変わっていない。ただ、安倍晋三が総理大臣になってしまったために「確信せる反米右派」とまではいえない安倍晋三が惰性力に従って「従米政治」を続けているだけの話だ。

朝日新聞記事の引用に戻る。上記引用文のすぐあとに続く部分は、最近右傾化の度を極端に強めている「ニセ科学批判クラスタ」に見解をうかがいたいところだ。

 もう一点として「信仰」を挙げた。水は人間の思いを受け取ると主張した「水の波動」理論で知られる江本勝氏(2014年死去)。昭恵氏がその主張や神道に共鳴している点を紹介しながら石井氏は、首相夫妻が「信仰」的なものも媒介にして深く結びついている可能性を示唆した。

出た、「水からの伝言」。「リベラル」系ブログの世界でも、2008年に「水伝騒動」というのがあったのだが、安倍夫妻が「水伝信者」であることは以前から知られている。この日記でも5年前に下記記事を公開した。


なお、上記にリンクを張った記事では、安倍昭恵のブログにリンクを張って、胸の悪くなるような昭恵の文章を引用しているのだが、今回の引用に際してそれらのリンクが削除されていることに気づいた。何か都合の悪いことでもあるのだろうか。

例によって長くなったのではしょる。朝日記事からの引用の続き。

 昭恵氏は昨秋、社会学者の西田亮介・東京工業大准教授によるニュースサイトのインタビューに応じ、宗教を問われて「どちらかというと神道です」。首相については「主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんです」と紹介した。「(私は)日本の精神性が世界をリードしていかないと『地球が終わる』って、本当に信じているんです」と語る場面も。

なんとぶっ飛んだトンデモ国粋主義極右思考だろうか。アブナ過ぎないか、この夫婦。そして、アブナ過ぎないか、こんな安倍昭恵にシンパシーを感じる「リベラル」諸氏。

朝日の記事には、私の好まない中島岳志東工大教授のコメントの載っているが、それは飛ばして記事の結びの部分を引用する。

 家庭内野党から右派に転じたとの見方について、西田さんは次のように語る。

 「そのリベラルなイメージが元々、メディアの作り出した一面的なものに過ぎなかった。首相夫人なので多様な人々が寄ってきて、本人がそれぞれに共感していっただけでしょう」

 昭恵氏自身はどう考えるのか。首相官邸の首相夫人付き職員宛にメールで取材を申し込んだが、5日までに返答はなかった。

そう、「リベラル」たちが勝手に安倍昭恵に「共感していっただけ」なのだ。そして、彼らの安倍昭恵へのシンパシーが森友学園事件の追及にブレーキをかけ、安倍内閣の支持率低下の歯止めになっている。

「リベラル」たちが水から、もとい自ら安倍晋三の補完勢力になってしまった。これがこの「崩壊の時代」の実相だと思う今日この頃なのである。