kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

財務省近畿財務局職員を自殺に追い込んだ安倍昭恵と、昭恵につけ入られた「リベラル」の責任

昨日(3/9)の朝は、関東地方を襲った大雨の影響だか何だかわからないがネットがつながらなかったので、日記の更新もしなかったがそれ以上にネット情報の取得ができなかったが、そんな日に限っていろんなことがあった。

まず、その前の一昨日(3/8)午後に毎日新聞が報じた「財務省の別の文書の書き換え」を受けた朝日昨日(3/9)付の「森友文書 項目ごと消える」のスクープ第2弾があった。午後にはガラケーで見た毎日新聞のサイト経由だったと思うが、森友担当だった財務省近畿財務局職員の自殺を知った。さらに職場で見た日経夕刊の一面トップの見出しでトランプと金正恩米朝首脳会談を行うことを知った。帰宅するとネットが復活していて、国税庁長官・佐川宣寿の辞任を知った。帰宅直前に一瞬立ち読みした「週刊文春」に、安倍晋三が佐川を切り捨てるつもりだとの観測記事が載っていたが、それは雑誌発売翌日には早くも現実となった。文春によると、佐川は私の想像通り今年6月で退官の予定だったようだが、安倍に見捨てられて1年の任期を全うできなかった。もちろん退官時には巨額の退職金をもらうに違いないが天下り先のランクは落ちるだろう。しかし佐川が受けるダメージはその程度で済んでしまう。とはいえ佐川とて安倍晋三だの麻生太郎だのといった「巨悪」と比較すれば「小悪」に過ぎない。

近畿財務局職員の自殺は、またしてもノンキャリ官僚へのしわ寄せというところから、昨年5人のノンキャリ官僚を「秘書」として侍らせていた安倍昭恵の責任を改めて思い起こした。昨年、菅義偉に独断で行動したことにされた谷査恵子は、現在それなりの見返りを与えられた上でイタリアにいるらしいが、近畿財務局職員は文字通り安倍昭恵(と安倍晋三)の「生贄」となった。安倍昭恵の罪は万死に値する。

安倍昭恵の悪行については、今週初めにいただいた下記コメントで思い出したところだった。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180307/1520377364#c1520397842

id:MakegumiKyoji 2018/03/07 13:44

安倍夫婦を見ていると、ルーマニアチャウシェスク夫婦を思い浮かべる。以下は塚本幼稚園での昭恵の講演の様子。
https://videopress.com/v/bVjSd9n0
反吐が出る講演内容だが、嘘つき夫婦は周りを反民主主義者、非道徳者、国粋主義者、邪悪に染めていく正に民主主義の対極にある人物たちである。


昨年、安倍昭恵をエレナ・チャウシェスクになぞらえたのは『広島瀬戸内新聞ニュース』だったが、私もそれに便乗して下記記事を書いた。


『広島瀬戸内新聞ニュース』の昨日(3/9)付記事を以下に引用する。

 今回の一連の騒動の「正犯」(震源地)の1人は間違いなく「日本のエレナ・チャウシェスク」とも言える安倍昭恵だ。

 そして、一部のリベラル派が、安倍政権発足以降、脱原発を重視する勢い余って安倍昭恵に甘かったのも、失敗だったように思う。昭恵を増長させてしまったと思う。

 3.11以降、政治を変えないといけないという意識を持った人が増えたのは良かった。

 しかし、他方で、安倍昭恵脱原発であると言うだけで、リベラル派の中に安倍昭恵に甘くする空気があったのではないか、ということは総括すべきではないのか?

 安倍昭恵という人は、良くも悪くも戦時中回帰である。
 戦時中は原発もないけど人権もない。ガバナンスも完全に崩壊している時代である。
 だから、安倍昭恵脱原発でありつつ、籠池のおっさんが提唱した「安倍晋三記念小学校」の名誉校長を引き受けたこと、そして、総理夫人の地位を利用して、口利きを行ったことは、説明できる。
 そして、3.11以降のリベラルの内部には、反原発の勢い余って、近代合理性、近代立憲主義を軽視する向きも強かったように思える。厳しい言い方だが、安倍昭恵と「共鳴」する「隙」がリベラル派にもあったのだ。
 そして、近代合理性、近代立憲主義を軽視する風潮は、うまく安倍一派に利用され、ゴロツキ政治の復活を許した、とも言える。
 第二次世界大戦中も「近代の超克」をインテリは叫んだが、現実には近代欧米の悪いところ(植民地支配)と、日本の悪いところ(精神主義)をハイブリッドした状態になっただけだった。

 リベラル側としては、「新しい時代」を打ち立てる文脈で近代合理性なり近代立憲主義を軽視してきた面(※)はあるだろう。
 しかし、近代合理性、近代立憲主義をこの国が十分消化し切れていない段階において、安倍昭恵的なものがつけいる隙をつくってしまったのも事実である。

 正直、進歩的なリベラルや左派にとって「近代合理主義、近代立憲主義」の水準では「つまらない」と思う。いろいろ進歩的な研究をしていくのはもちろん大変結構なことだ。

 だが、政治とは現実との妥協であることも頭に入れておかないと大やけどをする。現段階の日本において、まず、「近代合理主義、近代立憲主義」の水準を「踏み固める」作業を政治的には実践すべきだと思う。

 たとえば、原発をつくったのはたしかに「近代」である。しかし、原発をなくすのも近代立憲主義、近代合理性を踏まえた苦悶を経るしかないとおもう。苦し紛れに安倍昭恵的なものに依存しても実現はしないし、今回のような大変な事態を引き起こすだけだ。


※たとえば民主党政権時代に多くのリベラルが持ち上げてきた「政治主導」などもそうであろう。「政治主導」は、安倍晋三に悪用され、官僚政治(開発独裁)どころか、ゴロツキ政治への後退となってしまった。

安倍昭恵につけ入られたといえば、すぐに連想されるのが(リベラルとは言い難く、むしろ明確に民族主義的保守ないし右翼人士だと思うが)三宅洋平だ。そしてその三宅の製造責任があるともいうべき山本太郎や、一昨年の参院選三宅洋平を推しまくり、自らも三宅に投票したと公言していた室井佑月らも、三宅と安倍昭恵の癒着について口を拭っている。私がリテラを見に行く気が失せたのも、リテラが室井なんかを重用しているからにほかならない。

安倍昭恵の偽装「家庭内野党」は本当に悪質だった。昨年の森友問題発覚直後に、さる「リベラル」あるいは都会保守のブロガー氏が直ちに安倍昭恵の証人喚問を求めることができず、安倍昭恵参考人招致でも記者会見でも何でもいいから出てきて説明してほしいといった懇願調の文章を綴ったぶざまな記事を公開していたことを思い出す。彼女あたりも安倍昭恵の「家庭内野党」偽装に騙されて昭恵に「好感」を持っていた口だったのではないか。

森友学園問題発覚直前までの安倍昭恵こそ、安倍晋三にとってもっとも強力な「補完勢力」だった。なにしろ、「リベラル」たちをすっかり骨抜きにしてしまったのだから。

「リベラル」たちには、そんな安倍昭恵につけ入られてしまったことへの総括が強く求められる。