kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

田中慎弥『神様のいない日本シリーズ』をめぐって

田中慎弥芥川賞受賞時のインタビューで「もらっといてやる」と語ったのは民主党野田佳彦(「野ダメ」)政権当時、2012年のことだった。

その田中が安倍晋三をモデルにした『宰相A』を出して話題になっているという。

安倍晋三の「A」はアドルフ・ヒトラーの「A」芥川賞作家の野心作 - 新刊JP

だが私は、金を出してまで買って読もうとは思わない。そのうち図書館にでも入ったら「借りて読んでおいてやる」程度に思っている。この小説が政治性抜きに価値を見出せる文学作品であるかどうかは読んでいないのでわからないが、そうでなければ文学作品(芸術)としての価値はないというのが昔から一貫して変わらぬ私の考えである。以下脱線するが、芸術に関する思想の中でも、私がこの世でもっとも忌み嫌って止まないのは、スターリン時代のソ連が御用イデオロギーとして広めた「社会主義リアリズム」である。

社会主義リアリズム | 現代美術用語辞典ver.2.0

社会主義リアリズム
Социалистический реализм(露), Socialist Realism(英)

社会主義リアリズムはソヴィエト連邦において「革命的発展」に寄与する唯一の芸術様式として1934年に公式化され、他の社会主義国ならびに非社会主義国内の一部にも影響を与えた。スターリンが絶対的権力を掌握した後に開かれた第1回ソヴィエト作家総同盟会議(1934)で、ゴーリキーらにより「社会主義リアリズムは階級闘争の機関」と位置づけられた。その際、「現実を『革命的発展』において」、「われわれの英雄」を示し、必然的に実現する「われわれの未来」を捉えるように書かなければならないと理論化され、その文学的方法論が他の芸術ジャンルにも体系的に導入された。20年代から、トロツキーの芸術家への援助も含んだ国家介入の提言や教育人民委員(29年まで)ルナチャルスキーによる芸術論も社会主義リアリズムを用意したと言えるが、20年代後半になるまではロシア・アヴァンギャルドを含め、美学的多様性が容認されていた。しかし、最終的には「労働者に関連した題材を労働者に理解できるよう写実的に表現して党の目的を支持する」社会主義リアリズムのみが公認芸術とされ、前衛芸術は形式主義的なものとして弾圧の対象となり、80年代末まで国内で日の目を見ることはなかった。社会主義リアリズムの代表的な美術作品はV・ムーヒナの彫刻《労働者とコルホーズの女性》(1937)、B・ウラジミルスキーの絵画《スターリンに花束を》(1949)などであるが、忘れてならないのは圧倒的な数のプロパガンダ・ポスター(たとえばN・コチェルギンやK・ゾトフなど)である。他の社会主義国への影響に関して言えば、たとえば50年代に同手法を公式化した中国では「形式においては民族的、内容においては社会主義的」というスターリンのテーゼと一致するかたちでソ連型リアリズムに中国民間芸術を融合させた。社会主義リアリズム衰退後、その批判的表現である旧ソ連のソッツ・アートや中国のポリティカル・ポップが注目されたが、他の旧社会主義国においても同様の芸術傾向が生まれた。また、旧東ドイツにおいて社会主義リアリズムの美術教育を受けた作家ら(G・リヒターや新ライプツィッヒ派)の後の絵画が高い評価を得るなど、負の遺産としてのみ捉えられない側面もある。

著者: 長チノリ


上記の筆者は「負の遺産としてのみ捉えられない側面もある。」と書いているが、私は「社会主義リアリズム」を全否定する。これに対する批判というか悪口雑言はこの日記に何度となく書き連ねてきた。それは、私が旧ソ連の作曲家、ドミートリー・ショスタコーヴィチの音楽を愛好するせいもある。私が旧ソ連を蛇蝎のごとく忌み嫌う一因もここにある。旧ソ連とは、人間の精神を抑圧する国家であった。私の「社会主義リアリズム」全否定論は、感情に深く根ざすものである。異論は承るが、私がそれに同意することは絶対にない。

本論に戻る。『宰相A』には食指が動かない私だが、以前本屋で文春文庫版の頁をパラパラとめくってみて食指が動いたものの買わなかった、同じ田中慎弥の『神様のいない日本シリーズ』(文藝春秋,2008)の初出時のハードカバー版が図書館に置いてあったので借りて読んだ。読書記録を参照すると、先月末から今月初めにかけてだった。


神様のいない日本シリーズ

神様のいない日本シリーズ


タイトルの「神様」とは往年の西鉄ライオンズの名投手・稲尾和久のことで、3年連続で読売球団と戦った1958年の日本シリーズで、初戦から3連敗したチームを救った救世主だった。なにしろ第3戦から5連投して第4戦から4連勝、しかも第5戦では自らサヨナラホームランを放つという大活躍ぶりだった。この日本シリーズが行われたのは私の生まれる前だが、少年時代に日テレ系の在阪系列局(準キー局)である読売テレビ(今では極右民放局となり果てた)が放送していた読売戦ナイターが早く終わった日に、放送時間終了までの埋め草として、西鉄の3連敗4連勝のVTRが流されたのを見てその偉業を知った。その当時は私も現在のような「反読売の闘士」でもヤクルトファンでもなかったし、日テレもライバル球団の偉業を称える度量を持ち合わせていた。

そして、「神様のいない日本シリーズ」とは、西鉄と同じ3連敗4連勝を西鉄の後身球団である西武ライオンズが広島相手に達成した1986年の日本シリーズである。この年社会人になった私はテレビを持っていなかった*1。この年私は、ミニコンポのチューナーでテレビのスポーツニュースの音声だけ聴いて、試合の光景を想像していたのだった(もちろん、AMラジオ中継のある時間に帰宅した時は、それを聴いていた)。ヤクルトのブロハードが読売の槙原から逆転2ランを放って広島のリーグ優勝をアシストした試合*2も、西武ライオンズ球場で平日のデーゲームとして行われた日本シリーズ第3戦から第5戦までの3試合も、そうやって結果を知った。後者は、当時NHKテレビで夜に放送されていたダイジェスト版の音声を聴いた。第5戦の解説は、元読売監督ながらたとえば長嶋茂雄に対するような悪感情はどうしても持てなかった故藤田元司氏だった。数年前、この試合のダイジェストの映像をYouTubeで見た。もちろん著作権法違反だろうから、現在も見られるかどうかはわからない。

第5戦は、このシリーズの7年後に早世した広島のリリーフエース・津田恒実から西武ライオンズの救援投手・工藤公康がサヨナラ二塁打を打って、延長12回の投手戦に決着がつき、第1戦に引き分けたあと3連敗していた西武が初勝利を挙げた。その後、広島市民球場に舞台を戻して行われた第6戦から第8戦までの3試合は、3対1、3対1、3対2というロースコアで、しかもビジターチームの勝利ということもあって、「奇跡の再現」というにはほど遠い印象の、しかし勝敗だけを見れば疑いもなく「奇跡」を再現したシリーズだった。この3日間、私は神戸に遊びに行っていた。第8戦は月曜日だったが、有給休暇をとっていた。しかし実はこの日は単なる予備日だった。特に予定はなく、単に少年時代を過ごした神戸でもう1日のんびりしたかっただけだった。だから広島まで足を伸ばして日本シリーズ第8戦を見に行こうかとも一瞬思ったが止めた。その後28年間、日本シリーズ第8戦は行われていない*3。見に行っておけば良かったと今にして思う。

思い出話を長々と書き連ねたが、そんな2つの日本シリーズを題材に使った田中慎弥の小説を読んでみようかと思ったのだ。

小説のあらすじは、ネット検索で見つけたブログ記事から引用する。ネタバレを含むので、知りたくない方は以下を読まないでいただきたい。

「世代を超えて」田中慎弥作「神様のいない日本シリーズ」まとめ | masayanishida weblog

「世代を超えて」田中慎弥作「神様のいない日本シリーズ」まとめ

2009年に芥川賞候補となった,まいど田中慎弥のやさしさあふれるお話です。

1958年,ひとりの少年が,家族のために野球を諦めました。それが「あの男」と呼ばれる主人公の父親です。叶えられなかった「あの男」の野球への思いは,彼を想う妻,その子供である主人公を経由して,孫へと引き継がれます。その孫が「野球をやめる」と言い出したところから物語が始まり,三世代にわたる野球への思いを,主人公である父親が語るというストーリーになっています。

この話で印象深いのは「あの男」の想いを家族が引き継いでいくことです。一人の少年が家族のために夢を諦めなければならなかったことは世界にとってはちっぽけなことですが,一人の少年の人生にとってはすごく大きなことだったのだと思います。それを家族が共有し引き継いでいくところに感動しました。じつは「あの男」の妻となった女性は野球をものすごく嫌います。なぜなら,野球を諦めきれない「あの男」は野球が原因で失踪してしまうからです。しかし,野球を憎みながらも,「あの男」の想いを理解しているばかりに,「あの男」からの手紙を装って息子へメッセージを送り続けます。

「野球をやれ」と。

しかしその息子(この物語の語り手)はいくらメッセージが届いても野球に興味を持ちません。好きな女の子にうつつを抜かしています。そして父親から譲り受けたバットも川へ捨ててしまいます。結局おやじの想いは伝わりませんでしたが,好きな女の子とは結ばれます。そして子が生まれ,生まれてきたその子は,やっと来た待ち人のように,何も知らないままに野球を始めるのです。

今の子どもが何か習い事を始めるのは,親の指示でやらされることよりも,「自分がやりたいから」やっていることが圧倒的に多いと思います。きっとこの話の子もそうなのではないかと思います。やりたいことをやらせてもらえているというと聞こえはいいですが,ぼくは良いことばかりでもないと思います。なぜなら,自分の気持ちや夢は,マンガに出てくるほど確固たるものではなく,不安定なものだからです。そういうわけで,ぼくは自分という存在を超越した何かを与えてあげることが,親の仕事の一つだと考えています。

なのでこの子は,じいさんばあさんの野球に対する想いを聞かされた孫はいったいどういうふうに感じるのかはとても興味があります。きっとすぐにはわからないけれど,時間をかけて染みこんでいくのではないかと思います。世界にとってはすごくちっぽけな出来事でも,50年経ってまだ,一人の人間に影響を与える意味をもつ,という話が,とても素敵だと感じました。うーん,田中慎弥作品は,優しい。


この小説の主人公の人生と、リアルの田中慎弥の人生とは違うし、小説に描かれた主人公の父親と、リアルの田中慎弥の父とは、その人間像はかけ離れている。下記もネット検索で見つけた。2ちゃんねるの過去ログだが、2012年11月22日付の朝日新聞教育面掲載の「おやじのせなか」(各界の有名人が父について語るコラム。週1回掲載される)が引用されている。

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1353725415/ より(430〜432番の書き込み)

34歳の死 実感のない重さ

 「死ぬ」ということを残していった存在です。

 私が4歳のときに死にました。休みの日に草野球をしていて、倒れてそのまま。9月でした。

 生きて動いている記憶はありません。その日、私は近所の家に預けられ、その家のおばさんが急に泣き出した。子供の目から見たら、大人が泣くなんて不思議ですよね。その感覚が残っていて、振り返って、あれは父が死んだ日だったんだ、と。

 生きていれば69歳。九州で生まれ、愛媛で育ちました。中学を卒業して、山口県下関市で洋服販売会社の従業員になった。母とは職場結婚です。優しくておおらかな人だったようです。

 死んだ時が34歳。だから私も34歳で死ぬって思っていた、本当に。だから35歳になった時に「だまされた」って気がしたんですよ。35歳になった時に「だまされた」って気がしたんですよ。34歳で死ぬと思っていた自分にだまされたというか。

 父は私と言う子を得て死にました。私は独身ですが、結婚して子ができると死んでしまう気がするんです。男は雄としての生殖能力を使い果たして死んでいくのだろうと、30歳を過ぎたころから常に思っています。それから野球をするとそれこそ死んじゃう。

 父について考えることは、死について考えること。当然、「そう簡単には死なないぞ」と思うんですが、34歳を超えて「いつ死んでもおかしくない」と言う思いもある。ただ父は死んだのですが、父の死という出来事は、自分の体験にはないんです。喪失感もないし、物心がついたときには父はいなかった。そういう「体験」はしていないけど本当で、でも自分の実感はない」ということを小説の中で突きとめたいという気持ちはあります。私の小説は父と息子が出てくる作品が多いのですが、小説を書くために父という要素を持ち出しているのか、父というものを探りたいので、それで小説でやっているのか、どちらかは分かりません。

 最近父を知る人に「似てきた」と言われます。顔の輪郭とかですね。その度に思います。「ああ、死ぬんだな」って。


小説を読み終えてからこの文章を読むと興味深い。どこがどう興味深いかは面倒臭いので書かないが。

*1:テレビを買ったのは翌1987年の今頃、確か4月30日だった。テレビを買って初めて見たプロ野球中継は、後楽園球場で行われた同年5月2日の読売対ヤクルトのデーゲームだった。この試合は、読売・江川、ヤクルト・荒木の両先発で始まり、ヤクルト打線が江川を打ち込んで8対2で快勝した(http://2689.web.fc2.com/1987/GS/GS4.html)。こんな気持ちのいい勝ち方はなかった。この年の読売対ヤクルト戦では、読売の胴上げ試合となるかと思われた10月8日の試合も思い出す。この夜、ヤクルトは前夜の大敗(http://2689.web.fc2.com/1987/GS/GS24.html)に続いてリードされた。読売の先発は大嫌いな江川だし、このまま見続けていたら読売の優勝決定のシーンを見せつけられると思うと腹が立ってきたので、テレビを消して外出した。帰ってきてニュースステーションを見たが、当時、プロ野球の優勝チームが決まった日にはそれを通常のニュースをそっちのけで報じていたニュースステーションが読売の優勝をなかなか伝えない。これはひょっとして、と期待しながらもまさかと思ったが、やがてスポーツニュースのコーナーでヤクルトの逆転勝ち(http://2689.web.fc2.com/1987/GS/GS25.html)が伝えられ、「まさか」は期待通り現実となった(86年と87年にヤクルトが見せた意地を覚えていただけに、のちに元読売の高田繁(現横浜DeNAベイスターズGM)がヤクルトの監督を務めた時代に、ヤクルトが2年連続で読売・原監督の胴上げを見せつけられた時には怒りが収まらなかった)。同時に、江川の現役プロ生活最後の勝利になるはずだった通算136勝目も幻と消えた。敗戦投手は江川ではなく角だった。結局読売の優勝は、読売の試合が行われなかった翌日、マジック対象チームの広島が中日に敗れて決まった。さらにその翌日からは、広島市民球場で広島対読売の3連戦が予定されており、読売の胴上げを目の前で見たくない広島は、中日戦には戦意を欠いていたとも評された。

*2:http://2689.web.fc2.com/1986/GS/GS26.html

*3:2010年の第7戦に中日が勝っていれば24年ぶりに第8戦が行われるところだったが、1986年のシリーズを思い出させる延長戦の多いシリーズの最後は、延長でロッテが中日を下し、第8戦は実現しなかった。