kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

原発推進主義者・吉本隆明の「継承者」を自認しているらしい副島隆彦(呆)

下記の本が図書館に置いてあったので借りて読んだ。もちろん、著者・吉本隆明の主張には全く賛成しない。


「反原発」異論

「反原発」異論


この本を本屋で見かけたことはない。論創社というマイナーな出版社から出ているし、発行部数も少ないに違いない。最近の図書館では貸し出しカードは用いられないので、私の前に借りた人がいたかは確認できなかったが、誰もいなかったと思われる。本が真新しく、栞紐(しおりひも=ブックマーク用の紐)が使われた形跡がなかったからだ。

本の中身については何も書くことはない。(新)左翼に信奉者の多い吉本隆明というのは、原発に関してこんな考え方をしていた人だったんだなあ、と確認した程度だ。もちろん知ってたけど(笑)。

ここでこの本を取り上げるのは、あのトンデモ男・副島隆彦(ソエジー)がこの本の序文を書いていることを記録しておくためである。その最後の部分を引用する。

 私は、吉本隆明の生き方の多難さに多くを学びながら、同じくそれに自分の人生の多難さを重ね合わせて生きている自分に気づいている。どうしても孤立してしまう少数の優れた理解者しか得られないキツい人生だ。これが吉本主義と吉本思想の継承者ということだ、と深く腹に念じて生きるしかない。そして吉本隆明の、透徹して極め抜いた生き方と思想を次の世代に伝えてゆく。

 吉本隆明は、敗北し続けた日本の民衆の、民衆革命の敗北を一身に引き受けて死んでいった悲劇の革命家だ。いくら説得しても理解してもらえることが少ない民衆の側の恐怖心と愚かさに起因する敗北の責任を我が一身に引き受けて、吉本隆明は死んでいった。

 ヨーロッパ民衆(労働者)のために闘い続けて、敗北していった、社会主義(ソシアリズム*1)思想の大成者、カール・マルクスの思想を全身で受け継いだ、偉大なる日本の革命家だった。

(「悲劇の革命家 吉本隆明の最期の闘い」(副島隆彦)/吉本隆明『「反原発」異論』(論創社,2015)12-13頁)


私が副島を鼻で笑ったことはいうまでもない。

そして、この副島がかつて「小沢信者」たちに持ち上げられていたことも忘れられない。「副島」を「そえじま」と読めない「小沢信者」たち*2はよく「福島先生」などと書いていた。副島が東電原発事故後の2011年8月に行われた「小沢一郎政治塾」(小沢の政治資金集めパーティー)に講師として招かれて講演し、「ティーパーティー」(茶会。過激な新自由主義者の団体)を宣伝していた事実も改めて蒸し返しておこう。


もう「小沢信者」は実質的に絶滅しているが、彼らが信奉した「反知性主義」は、安倍晋三とそのなかま(信者)たち(=いわゆる「ネトウヨ」)に継承された。「立憲主義」を無視する安倍とその信者の主張は「反知性主義」そのものである。彼らは今、この世の春を謳歌している。間接的に安倍と「安倍信者」(=ネトウヨ)を撃つ意味も込めて、「小沢信者」という「死者」を改めて鞭打っておこうと思う今日この頃なのである。

[追記]
本書「あとがき」より。

 吉本さんの影響を最も受けた全共闘世代の人びとが、こぞって「反原発」「脱原発」のほうへ行くなか、吉本さんを深く理解しようとしているのは、管見によれば数えるほどしかいない。副島隆彦さんと瀬尾育生さん加藤典洋さんくらいだと思う。これは、寂しいことだ。
 あれだけいた、吉本信奉者・吉本主義者はどこに行ったんだろう。吉本さんの思想はそんなに軽いものなのだろうか。本書は、ある種軽いインタビュー集に見えるかもしれないが、一人で全世界を背負おうとする、死ぬまで革命思想家だった人の残した、「重い遺書」でもある。

(「編者あとがき」(宮下和夫)/吉本隆明『「反原発」異論』(論創社,2015)270頁)

*1:原文ではルビ=引用者註

*2:かつてのさる「アルファブロガー」氏や「きまぐれな日々」のさる常連だったコメンテーター氏など