kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

民主党、維新の党、民進党、一心太助、司馬遼太郎などなど

民主党と維新の党が野合してできる新党の名称として、民主党は「立憲民主党」を、維新の党は「民進党」をそれぞれ推し、どちらかになるらしい。この選択肢なら、「立憲民主党」になるであろうことは目に見えている。

民主と維新:党名「立憲民主党」か「民進党」14日に決定 - 毎日新聞

民主と維新
党名「立憲民主党」か「民進党」14日に決定

毎日新聞 2016年3月10日 23時28分(最終更新 3月11日 01時22分)

実務者協議 「週末に世論調査、支持多い方に」一致

 民主、維新両党は10日、合流後の新党名を検討する実務者協議を東京都内で開き、「立憲民主党」と「民進党」の2案に絞り込んだ。今週末に両党がそれぞれ世論調査を行い、14日に支持が多かった方を新党名に決定することで一致した。

 民主は継続性を重視し、立憲民主党を提案した。赤松広隆最高顧問は協議後、記者団に「安倍政権で心配される立憲主義を守るため、幅広い結集を図る」と述べ、新たな綱領にも合致するとして意義を強調。一方、維新の江田憲司前代表は民進党の名称について「国民と共に進む政党で、改革の意味も込めた」と説明した。

 両党は新党名の参考にするため6日まで一般募集を実施。関係者によると、党名変更しない「民主党」が最多の1456件で、「立憲民主党」725件、「民新党」352件、「新民主党」248件−−と続いた。【影山哲也、飼手勇介】

「一般募集」の結果で党名変更しない「民主党」が最多だったというのは民主・維新両党の政党支持率を思い出せば誰にでもうなずける話だ。両党の支持率を足し合わせても自民党の3分の1程度しかないが、民主対維新では民主が9割以上を占める。維新の党は泡沫政党なのだ。私は橋下徹を嫌う程度の激しさにかけては人後に落ちないと自認しているが、その私でさえ、橋下が松野頼久率いる維新の党を「ニセモノ維新」と呼んでバカにしているのは正当だと思う。橋下の人気にすがって橋下にすり寄った松野一派が橋下と喧嘩別れしたあとも「維新」を名乗るとは、彼らにはいったいプライドの持ち合わせなどないのだろうかと訝る。そして、そんな彼らが今度は台湾で政権交代をなしとげた台湾の民進党の名前をそのままパクろうとは、さすがに橋下一派の名前である「維新」にいつまでもしがみついたプライドの欠片もない連中にふさわしいみっともなさだと思った。こんな政党名が「立憲民主党」に勝てるはずがない。

立憲民主党」の方も、戦前に存在しながら自ら政党政治を終わらせた「立憲民政党」につながる後ろ向きの政党名だとは思うが、台湾からの丸パクリである「民進党」よりは誰が考えてもマシだろう。「民進党」は1994〜97年に存在して小沢一郎が自壊させた「新進党」に名前が似ていることもマイナス材料だ。数日前のTBSの深夜番組で、TBSの保守派の解説委員である龍崎孝(元毎日新聞記者)が、「安倍自民党の一強時代を作ったのは、新進党を立ち上げた小沢一郎だ」と言っていたが、その通りだ。その忌まわしい「新進党」に似ていて、なおかつ台湾からの丸パクリである「民進党」の名前を推す「維新の党」の松野頼久江田憲司らの面々とは、どこまで政治センスの欠如した連中なのかと開いた口がふさがらない。

その「民進党」ですら、「一新民主党」のごとき論外の政党名よりはなんぼかマシであって、「維新民主党」と等号で結ばれる「一新民主党」を推す声が某ブロガー以外の誰からも起こらなかったこともまた当然だろう。

あの人も「巨人」ファン? - Living, Loving, Thinking, Again(2016年3月11日)より

「【巨人】久保社長謝罪「膿を出し切れなかった」、3首脳引責辞任http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160309-00000016-sph-base&pos=2

高木京介野球賭博問題を巡る、 巨人球団の久保博社長の会見についての『報知』の記事。

 チームは現在、高橋由伸新監督の下、オープン戦を戦っている。久保社長は25日の開幕戦(対ヤクルト、東京D)についても言及し、「参加させてもらいたい」と懇願した。「賭博に関与していない選手たち、相手のこともある。巨人としては一新というスローガンを掲げてキャンプからやってきたので、ぜひ参加させてもらいたいと考えました」と続けた。

「一新というスローガン」か。民主党と「維新」の「合流政党」の名前を、「「一心太助」っぽい響きがある」「一新民主党」にしろと提案して、古寺多見氏から「明治時代の小説にあまり馴染みがない」と評されてしまった人がいたけれど、この人も巨人ファンなのかも知れない。

なるほど、「読売一新(維新)キョジン軍」か!

笑ってしまったが、上記リンク先記事によると、広岡達朗が読売球団について

少なくとも1年間の活動停止のペナルティを与えられるほどの出来事だ。

と言っているという*1

私も同じことを書いたし*2、リベラル系ブログでは最多のアクセス数を誇ると思われる宮武嶺さんのブログも同じことを書いている。


また、在広島の活動家にして大のカープファンであるさとうしゅういちさんも同趣旨の記事を書いている。


昨夜(3/10)だったか、元大阪読売の大谷昭宏も報棄てで「開幕を遅らせろ」と言っていた。だが開幕の延期は私には嫌な思い出がある。3月以後は今年と同じ暦だった2011年、東日本大震災の影響を考慮してプロ野球の開幕が延期されたが、その時にナゴヤドームの中日対ヤクルト3連戦が終盤に回され、さらに遅れて開幕したあとの北陸シリーズの中日対ヤクルト2連戦が2試合とも雨天中止になったため、2011年のセ・リーグは9月下旬以降に中日対ヤクルトの4連戦が二度も行われるという異常な日程になり、最初の4連戦に3連敗して4戦目にやっと勝ったヤクルトは、二度目の4連戦に今度は全敗して2位に落ち、目前にしていたリーグ優勝を逃した。しかも、その二度の4連戦を前にして中日球団のフロントが落合博満監督の退任を明言したことが中日の選手の目の色を変えさせた。あの年明らかに斜陽だった中日の戦力を考えると、落合監督が代わればその先しばらくは中日に優勝のチャンスは訪れないであろうことは、あの年中日と優勝を争ったヤクルトを応援した私には容易に想像がついた(事実、その後高木守道谷繁元信と監督が代わった中日は、年々成績を落とし続けている)。だから私は、余計なことをしやがってと中日の無粋なフロントに対して腹を立て、これでヤクルトは逆転負けしてしまうのではないかとこの日記に書いたら、その通りの結果になったのだった。その4年後、今度はこれほど都合の良い展開が続くなんて、と驚くばかりの逆転優勝を阪神と読売を相手になしとげたが、それはまさに野村克也の言う「勝ちに不思議の勝ちあり」の見本だった。そして、2011年の逆転負けは同じ野村の言う「負けに不思議な負けなし」の見本だった。この年のヤクルトは、それまで本拠地・神宮球場で8勝1敗2引き分けと圧倒していた中日との本拠地最終戦(それは8月に行われ、その後の中日戦9試合はすべて敵地・ナゴヤドームでの試合だった)に、2点をリードしながら逆転負けした。隙を感じさせる負け方だったので、これはアブナイな、と思っていたら、本当に優勝を逃してしまった。あの試合で小川淳司監督の勝負運は尽きたと思う。次の阪神戦にではなくあの中日戦に村中恭兵を先発させていれば、あの年ヤクルトは優勝できたと今でも私は信じている。しかしあの年の中日戦本拠地最終戦にヤクルトは負け、その後の敵地での中日戦に1勝8敗と負け越して、このシーズンの中日戦にも負け越した。10回戦終了時点で8勝1敗1引き分けだったにもかかわらずである。あの年中日に勝ち越していたら、その前後の7年間を合わせて8年連続で中日戦に勝ち越しているはずだった。その相性の良いはずの中日戦に、あの年の終盤のナゴヤドームでの試合にだけはコテンパンに負け続けたのだった。

ヤクルトと中日の話はこれくらいにするが、あの「アブナイ」ブロガー氏は読売(「巨人」)ではなく横浜DeNAベイスターズのファンだったかと思う。その方が「一新民主党」の党名候補から連想すると言った「一心太助」について、

司馬遼太郎が「一心太助」のような武士にへいこらする町人がヒーローになるというのは大阪では考えられないことだと述べていたような気がする

とのことだけれど、「一心太助」の物語自体、実は私はよく知らなかった。Wikipediaで見て、

職業は魚屋。義理人情に厚く、江戸っ子の典型として描かれることが多い。三代将軍徳川家光の時代に、大久保彦左衛門のもとで活躍したとされる。

ことを知った。大久保彦左衛門の皿を割った話は、全く聞き覚えがないわけではなかったが、ピンとはこなかった。大阪には6歳の頃までしかいなかったし、関西にも高校卒業までしかいなかったけれども、大阪(関西)で一心太助が人気がないというのは、ありそうなことだとは思う。

司馬遼太郎一心太助については、こんなブログ記事を見つけた。

大阪ことば あいうえお :ふりうり(2014年12月25日)より

前うしろのタライに商売の魚をいれ天秤棒で 
江戸中をまわり 
『威勢の良いたんかを切る一心太助

ぼてふりのシンボルやけど…


(蛇足番)

司馬遼太郎さんが 言うには
太助がどんなに 正義づらしてタンカを
切っても そんなんあきません…と。

何でか言うたら…
大久保彦左衛門という大物を
後ろ盾にして…タンカを切ってる。

『司馬先生 えぇとこ突かはりますな…』と 横町の大旦那。

司馬遼太郎永六輔に向かって一心太助を批判したとの情報もネットで見つけた。

http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=13&community_id=190045&bbs_id=5028056

升屋小右衛門(山片蟠桃) > 一心太助

実在の偉人と講談にでてくる架空の魚屋さんを並べちゃいけないんですけどねぇ。
あえて商人つながりで比較材料にしてみました。
山片蟠桃への司馬先生の思い入れはいわずもがな、太助に関しては「何かというと大久保彦左衛門の屋敷に出入りしていることを誇りにしているような魚屋ですよ。あんな嫌なやつは大阪にはいませんよ」と、永六輔氏に向かって言ったらしいですね〜。