kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

蓮舫、小池百合子の「改革の旗には共鳴している」と公言/リテラ・野尻民夫氏が民進党の経済政策を批判

一昨日(4日)、安倍晋三の向こうを張ってか伊勢神宮に参拝したらしい民進党代表の蓮舫が年頭の記者会見を行ったらしい。時事通信が記事にしている。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017010400686&g=pol

衆院選準備急ぐ=都議選、小池氏と協力協議−蓮舫民進代表

 民進党蓮舫代表は4日、伊勢神宮参拝のため訪れた三重県伊勢市で年頭記者会見を行い、次期衆院選への対応について「解散権は首相が持っている。いつどういう形で解散が行われても良いように準備は最大限整える」と述べ、早期解散も念頭に準備を急ぐ考えを示した。
 衆院選に向け課題となっている共産党など他の野党との共闘に関しては、「政策をまずきっちり詰めた上で、選挙区調整ができるのかという流れになる」と、政策の一致が前提との立場を強調。まずは各党の幹事長や政策責任者による実務者協議で政策の擦り合わせに努める考えを示した。
 また蓮舫氏は、東京都の小池百合子知事について「改革の旗には共鳴している」とした上で、今夏の東京都議選で「選挙区を含めてどういう協力ができるのか実務者レベルで進めたい」と語り、選挙協力の可能性を探るため小池氏側と具体的な協議に乗り出す意向を明らかにした。 (2017/01/04-16:29)

時事通信より)

文字通りの「右顧左眄」としか言いようがない。都議選で「右」の小池百合子にすり寄るかたわら、国政選挙のために「野党共闘」にも軸足を残す。ただ、小池への「共感」の表明が熱烈である一方、「野党共闘」にはどこかよそよそしいのは、右派政治家である蓮舫の本性の表れだろう。

民進党代表に就任後、蓮舫は実は「中身の何もない、空っぽの政治家」なのではないかとの心証を強めている。同様に思う人は少なくないのではないか。テレビのワイドショーも小池百合子にはご執心だが、蓮舫には見向きもしない。

蓮舫小池百合子へのすり寄りが何をもたらすか。それを予想するのは容易だ。

2001年の国会質疑で、「抵抗勢力と戦う小泉首相」との「共闘」を申し出た鳩山由紀夫率いる民主党がその後どうなったか。2005年の「郵政総選挙」での大敗だ。民主党はその後、反格差・反貧困ブームで自民党政治への批判が強まったのを受けて党勢を盛り返し、2009年には政権交代に至ったが、その過程においてさえ鳩山由紀夫小沢一郎は(一時期には菅直人までもが)橋下徹に秋波を送っていた。政権を奪ったあと党内抗争の結果小沢派が分裂して「国民の生活が第一」を立ち上げたあとも、小沢は「私の考えは橋下市長と同じだ」と繰り返し、衆院選を橋下(維新)と組んで戦いたい意向を表明していた。その結果が2012年の「日本未来の党」の壊滅的大惨敗だった。もちろん民主党も惨敗して政権を安倍自民党に奪回された。

小泉純一郎橋下徹といった、テレビを味方につけた新自由主義政治家にすり寄った、労組を支持基盤とする政党やそれから分かれた政党がどうなるかは、上記2005年と2012年のの民主党及び2012年の日本未来の党が鮮やかに示している。それなのに、蓮舫は同じ失敗を三度繰り返そうとしているのである。

蓮舫の無能を象徴するのが幹事長に野田佳彦を任命した人事だろう。民進党は安倍政権の経済政策よりさらに「右」に位置する経済極右政党である、と自ら宣言したようなものだ。

民進党がこのありさまでは、いくら安倍晋三自民党の非を訴えても安倍政権はびくともしない。

このことにやっとこさ気づいたのか、あの扇情的な「反安倍・反自民」の記事を売り物にするリテラ(いつぞやあそこのライター=名前は失念した=に文章をパクられて以来読みに行く頻度が減り、最近ではすっかり食傷してしまった)が、民進党の経済政策を強く批判する下記記事を掲載した。ライターは野尻民夫氏。


以下一部引用する。引用文にはこの日記のNGワード(なんとかのミクス)が頻出するが仕方がない。

(前略)しかし、安倍政権がのさばり続けている背景には、もうひとつ大きな問題が横たわっている。それは、民進党をはじめとする野党があまりにだらしなく、国民の求めているものにまったく応えられていないという問題だ。

 とくに、最大の原因は経済政策だ、というのが『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店)などの著書で知られる立命館大学経済学部教授の松尾穝氏だ。月刊誌「世界」(岩波書店)2016年11月号でも「なぜ日本の野党は勝てないのか? 反緊縮の世界標準スローガン」という論文を発表。数々の失政と横暴にもかかわらず安倍政権の支持率が一向に下がらず、民進党の支持が上がらない背景に、その経済政策があることを指摘している。

 松尾氏の論理は明快だ。さまざまなデータから人々の生活は豊かどころか、厳しさが増すばかりだと分析する。そして、どんな調査を見ても有権者が政治に求めているのは、景気や雇用、社会福祉であることが明らかで、大多数の有権者は、憲法改正のような安倍政権の政治姿勢とは関係なく、「景気のためだけ」に自民党に投票しているとの結論を導く。とくに10代の若い世代は、アベノミクスの破綻を喜んで煽っているような野党が政権をとったら、自分たちが就職活動をするときに就職氷河期になるのではないかと本気で恐れているというのである。

 だから、野党が自民党に勝つには原発でも安保でも憲法でもない、自民党の政策よりも人々の暮らしの苦しみや不安を取り除き、いまよりも楽に豊かになれるのだということがハッキリわかる政策を打ち出す必要があるという。それができれば選挙に勝ち、できなければ永久に自民党には勝てないだろうというのである。

これは本当にその通りだろう。一昨年の「安保法反対」は一時期安倍政権の支持率を大きく下げたが、ほとぼりが冷めると安倍内閣の支持率はV字回復した。この日記でも、野党は何を旗印に国政選挙を戦うべきかという論争が昨年あったが、SEALDs式の「民主主義って、(休符)なんだあ」「立憲主義って、(休符)なんだあ」を争点にしようとした政治勢力であるところの「国民怒りの声」がいかなる選挙結果に終わったかを思い出せば結論は明らかだろう。当時、野党は反安保法や立憲主義を争点とすべしと主張したコメンテーターは、かなり前からこの日記のコメント欄に現れなくなった。

ところが、参院選の選挙結果から何も学べないのが蓮舫であるらしい。蓮舫自身は東京選挙区で圧勝したせいか、自己を過信していたに違いない。私が党代表になれば、党の候補者はみな東京選挙区における私みたいに勝てるようになる、とでも思っていたのだろうか。

ところで、前記野尻民夫氏の「リテラ」の記事には、読み進むにつれて違和感のある文章も現れ始める。下記のくだりなどがそうだ。

「反緊縮」。要は政府が民衆のためにお金を使う――有権者はそんな政策こそ求めているというのだ。

 そこで思い出すのが2009年に民主党(現・民進党)が政権交代を果たしたときに掲げた政策の数々だ。「コンクリートから人へ」をスローガンに、子ども手当、高校無償化、高速道路の無料化、農家の戸別補償、ガソリン暫定税率撤廃……と、いずれも政府が国民のためにお金を使う政策ばかりだった。対する自民党は、これを「バラまき」と批判した。結果はご存知のとおり、財務省の言いなりになって「緊縮」を唱える自民党に、民主党は307議席と圧勝した。

引っかかったのは赤字ボールドにした「ばかり」。いや、民主党の経済政策はいいことずくめなどではなかったぞ、と思ったのだ。民主党政権はアクセルとブレーキを同時に踏もうとしていた。政権の掛け声はいつも「ムダの削減」だったし、それこそ蓮舫の悪名を轟かせた「事業仕分け」もあった。子ども手当や高校無償化はもちろん評価すべき政策だが、民主党政権は政府支出の財源として高橋洋一あたりが言っていた「埋蔵金」を当てにしていた。俺たちが政権を獲ったら「埋蔵金」を掘り出して使ってみせると豪語しながら、いざ政権を獲ったらいくら「ここ掘れワンワン」と言っても何も出てこない醜態を晒した。当時総理大臣だった鳩山由紀夫は、前述のように2001年には小泉との共闘を申し出たり、政権交代選挙直前になっても過激な新自由主義者である橋下徹に秋波を送ったりするような信念など何もない政治家だった。

リテラの記事からの引用に戻る。

 答えは実に簡単なのだ。野党の中心を担う民進党政権交代時の原点に立ち返り、政府のお金を国民のために使う政策を打ち出すだけでいいのである。財源についても、「足りなければ刷ればいい」というのが松尾氏の主張だ。それが世界の潮流であると、実例をあげつつ説いている。ヨーロッパでは、コービン英労働党党首が掲げる「人民の量的緩和」をはじめ、EU共産党や左翼党の連合である欧州左翼党、スペインのポデモス、欧州の労働組合の連合である欧州労連などが、中央銀行が財政を直接支えることを主張し、ノーベル賞経済学者のスティグリッツ氏やクルーグマン氏らもコービン支持を表明しているという。

 昨年6月には、欧州議会の左翼党系、社会党系、緑の党系の左派三会派(11カ国、18議員)が欧州中央銀行に書簡を送り、欧州中銀がつくった資金を「ヘリコプターマネー」として直接、市民に配当するよう要求した。また同じ月に欧州左翼党とイタリア共産党再建派がコンファレンスを開いた。そこでも、「もっとおカネを刷って、雇用を創出するプランに投資せよ」とか「インフレはまったく問題ではない。価値を失うことを恐れて誰もおカネをポケットに入れたままにしなくなるので、おカネが回るようになるからだ」「欧州中銀はおカネを刷って公共サービスに融資すべきだ」といった発言が相次いだ。詳細は松尾氏の著書(前掲書)を読んでもらいたいが、中央銀行の緩和マネーで財政ファイナンスして民衆のために使えという主張は、欧州左派勢力にとってはほぼ常態化していると言ってもいいようだ。

 ところが、日本では肝心の民進党が財務官僚に洗脳された元財務相野田佳彦氏が幹事長を務めているから大胆な方針転換ができない。

上記は、鳩山由紀夫のような人気取りだけの政治家のあり方に回帰してもらっては困る点を除けば同意できる。

 一方、新自由主義政策の“ご本尊”だった自民党は、第2次安倍政権発足後から「アベノミクス」などという言葉の目くらましを使ってかたちだけの方針転換を演出し、景気刺激を展開した。これが功を奏して民衆の支持を集めた。しかも、自民党の場合は本来、批判勢力となるはずの“極右”を取り込んでしまっているため、「右」からの異議申し立てが起きない構造になっている。さらに、欧米と違って「左」からの批判の声もほとんど聞かれない。

「左」からの批判どころか、最近民進党の党勢衰退に伴って目立つようになった「民進党信者」が安倍政権の経済政策を「安倍や自民より経済軸上の右」から批判するのが目立つ。昨日取り上げた朝日新聞の原真人(笑)なども(原が民進党を支持しているかどうかは別として)これに数え入れても良いだろう。原の記事についた「はてブ」のコメントなどで、左派だの左翼だのという言葉を使っている例をよく見かけるが、原は左派でも左翼でもなくリベラルですらない。括弧付きの「リベラル」とはいえるかもしれないが。

 だが、アベノミクスは見かけだけの「反緊縮」だから、化けの皮が剥がれるのも早かった。政権側は「アベノミクスは道半ば」などと詭弁を弄して失政を取り繕った。一方、有権者の側もアベノミクスの有効性に疑問を覚えつつも他に有効な選択肢がないから、ダラダラと支持を続けている。これが、現在の「1強」の正体なのだ。

というか、安倍政権の経済政策もまた、アクセルとブレーキを同時に踏んでいると思う。たとえば安倍晋三は企業に賃上げを要請しつつ、設備投資を呼び込む政策も掲げるが、企業が設備投資に金を使うと労働者の取り分はそれだけ少なくなる。またそれ以上に、安倍政権の経済政策には、従来の自民党のそれを引き継ぐ新自由主義政策が根強く残っていることが安倍の思うような成果があがらない原因になっている。とはいっても、野党第一党である民進党があのざまであって、その経済政策は安倍政権よりももっと酷いから、有権者の多くは自民と民進とを秤にかけて自民党候補を選んでしまうのだ。

 こうなると、勝つための処方箋は明快だ。「反緊縮」「反新自由主義」の旗を掲げ、「政府が庶民のためにお金を使う」「大きな政府」という目標を明確にした本格的な左翼・社会主義的政策を示せばいいのだ。「政府が庶民のためにお金を使う国」がいいのか、「企業が世界でいちばん活躍する国」がいいのかを、有権者に選んでもらうというわけだ。

 ところが、民進党の向いている方向はまったく逆だ。野田幹事長にいたっては、国民がこれだけ不景気と生活苦にあえいでいるというのに、消費税10%への引き上げを再延期する自民党の方針を批判し、いまだ「財政健全化」という名の財政緊縮を主張するというトンチンカンぶりだ。

 これではいつまでたっても、安倍自民党に勝てるわけがない。緊縮財政などという財務省の言いなり路線はとっとと捨てて、庶民のためにお金を再配分せよ。それしか、自民党政権を倒す方法はない。

「野田幹事長」ももちろん酷いが、それより野田を選んだ蓮舫だね。「野党共闘」に配慮してか、蓮舫への批判が不活発であるように私には思える。安倍自民の「1強」を打破するためにも、野党のダメなところはダメと、反安倍・反自民の人間こそが率先して批判しない限り、現状を打破するきっかけはつかめないと私は信じる。

最後に、リテラの野尻氏が引用した松尾匡氏の著作にリンクを張っておく。私も昨年買って読んだ。といっても春に買ってから半年間「積ん読」にしたあと、参院選やら都知事選やらが終わったあとの10月になってやっと読んだのだったが。読んだあと、この日記にではなく、『きまぐれな日々』で記事にした。


この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案

この経済政策が民主主義を救う: 安倍政権に勝てる対案