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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

加藤一二三引退

最近になって「ひふみん」と呼ばれて注目されていた将棋の加藤一二三九段がついに引退に追い込まれたらしい。なぜ引退に「追い込まれた」かについては、下記毎日新聞記事に詳しい。

将棋:加藤九段、引退へ…C級2組から陥落 最年長77歳 - 毎日新聞

将棋
加藤九段、引退へ…C級2組から陥落 最年長77歳

毎日新聞2017年1月19日 23時40分(最終更新 1月20日 01時08分)

 第75期名人戦毎日新聞社朝日新聞社主催)のC級2組順位戦9回戦の残り11局が19日、東京と大阪の将棋会館で指され、竹内雄悟四段(29)が佐藤慎一五段(34)に勝って3勝目を挙げたため、この日対局がなかった1勝7敗の加藤一二三九段(77)は同組51人中下位10人になることが確定し、規定で現役引退が決まった。加藤九段は将棋界の史上最年長棋士で、約63年のプロ生活に終止符が打たれた。

 加藤九段は現在、名人挑戦者を決める順位戦の最も下のクラス、C級2組に在籍。同組は各自10局を戦い、今期は下位10人(42位以下)に降級点が付く。加藤九段は降級点が3回目となるため、フリークラスへの降級が決まったが、同クラスは原則65歳が定年のため、自動的に引退となった。ただし順位戦の残り2局と、3月までに抽選がある棋戦で勝ち進んだ対局は指すことができる。

 加藤九段は「まだ今後の対局も残っており、全力投球する所存ですので、進退に関するコメントは最後の対局が終わってからに致したい」との談話を発表した。

 加藤九段は福岡県出身。1954年に14歳7カ月でプロ棋士となる四段に昇段し、昨年、藤井聡太(そうた)四段(14)に抜かれるまで最年少プロ入り記録を保持していた。順位戦では毎年昇級昇段を果たし、18歳でA級八段に。「神武以来の天才」の異名をとっていた。

 20歳で名人挑戦者となったが、故大山康晴十五世名人ら当時のトップの壁は厚く、初タイトルは69年の十段(竜王の前身)。名人戦は3回目の挑戦となった82年の第40期で、千日手局を含む延べ10局にわたる激戦の末に中原誠十六世名人を破り、名人の座に就いた。

 タイトル獲得は名人1期のほか、王将1期、十段3期、王位1期、棋王2期の計8期。順位戦の最上位、A級在籍は名人1期を含む36期で、大山十五世名人に次ぐ2位。通算成績は1323勝1173敗で、タイトル戦の持将棋を含む対局数は2497局。対局数、負け数は歴代1位。勝ち数は大山十五世名人、羽生善治王位(46)に次ぐ歴代3位。

 最近は「ひふみん」の愛称でテレビのバラエティー番組にもたびたび出演している。【山村英樹】

毎日新聞より)


まあやりたいことをやり通して限界に達したということで、悔いのない将棋人生だっただろうなと思う。

将棋界自体は、毎日と朝日との間で主催権の交代があったあげく2008年から両社の共催になったが、それよりも東京ドームという邪魔物以外の何物でもない施設ができた1988年に創設されたばかりの読売新聞社主催の竜王戦が最高の権威あるタイトルとされていたりするあたりから胡散臭さを感じさせるようになってはいるのだが。現在の渡辺という竜王も、姓がナベツネと同じだし風貌にも怪しげだし、何より最近の「不正ソフト使用疑惑」において三浦弘行九段にあらぬ嫌疑をかけた張本人の一人だったりするので好感は全く持てずにいる。

ここで読売の話を出したので、連想は例によって野球の方に行ってしまう。一二三といえば阪神タイガース一二三慎太という選手がいたが、戦力外になって石川ミリオンスターズに入団したらしい。一二三慎太 - Wikipediaを参照すると、

「一二三」という名字は父の実家がある熊本県八代郡を中心にわずかに存在する珍姓で、先祖は肥後国の侍である。

とのこと。加藤一二三は姓ではなく名だから関係ないが、加藤も九州(但し福岡県)の出身だ。九州の珍姓といえば、やはり阪神にいて入団早々に故障したために不本意なプロ生活に終わった源五郎丸洋をすぐに思い出す。源五郎丸は佐賀の出身だ。また、一昨年ラグビーのヒーローとして一躍注目された五郎丸歩は福岡の出身。「五郎」とは山の名前によくあり(飛騨山脈、通称北アルプス黒部五郎岳野口五郎岳など)、大きな石が転がっている場所を表す「ゴーロ」が転じたものだし、「丸」も神奈川県の丹沢山塊にある檜洞丸(昨年、17年ぶりに登った)などがある。軽くネット検索をかけると、(昔の?)朝鮮語で峰を「マル」と言ったとか。そんなわけで、(源)五郎丸は山と関係のある姓だろうと思って「五郎丸 山」でググってみると、その名も五郎丸という名前の山が徳島県にあることがわかった。

但し、記事に「『丸』は徳島県特有の山の名称」とあるのは明らかに誤りで、神奈川の丹沢山塊や山梨の大菩薩山塊に多数ある。

加藤一二三の話がいつの間にか山の名前の話にそれてしまった。少し戻ってプロ野球選手の話をすると、一昨年に69歳で亡くなった元日本ハム(他にどっかの球団にもいたことがあって、『××の星』にも実名で登場して中日相手の開幕戦でノックアウトされていた)の高橋一三の名前を知ったのは、加藤一二三の名前を知るよりあとのことだったので(それまでは、最初は新聞記事に出てくる「高橋一」として最初に認識し、その後亡父がよく見ていた××戦野球中継で「たかはしかずみ」という読みであることを知ってからもかなり長く「一三」と書くことは知らなかった。知ったのはもしかしたら『××の星』によってだったかもしれない)、「加藤一二三みたいな名前だな」と思った記憶がある。もちろん、加藤一二三の「ひふみ」も最初から知っているはずもなく、「なんて読むの?」と親に聞いて知ったはずだ。子どもの頃、古い新聞の縮刷版で知った名前でもっとも思い出深いのは、戦前の横綱である「男女ノ川」(1971年没)であって、「みなのがわ」と読むと知ったときには、「なるほど!」と感動したものだ。横綱の醜名はもちろん「筑波嶺の峰より落つる男女川」で知られる筑波山に源流を持つ男女川であって、筑波山には男体山と女体山がある。筑波山には万葉集の時代から歌垣の風習があったらしい。私が筑波山に初めて登ったのは2010年の東京転居直後のことだった。

結局また山の話になってしまった。時間がきたのでこれでおしまい。