kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

火事と喧嘩は江戸の華?

東京に移住してはや7年、学生時代にも東京に住んでいたから東京在住歴も13年超となり、過去在住歴最長だった神奈川の14年に迫りつつある。生まれてから「大阪+兵庫+岡山+香川」の西日本に住んだ時間と「東京+神奈川」の東日本に住んだ時間がほぼ同じくらいとなり、最初の東京在住時の終わり頃*1にファンになったヤクルトスワローズを再び応援するようになってからも長く(一昨年はリーグ優勝に舞い上がった)、すっかり江戸っ子(?)が板についてきたかと勝手に思いつつ「火事と喧嘩は江戸の華」とばかりにコメント欄の喧嘩は笑って見ている今日この頃。火事(よくいわれる「炎上」)は困るけどね。

なにしろ私自身がまだ江戸に舞い戻る前から、他のブログや自ブログのコメンテーターに喧嘩を売ってばかりいる、と言われることのある人間だから、同郷(大阪府生まれ)の河合奈保子みたいに「けんかをやめて〜♪」と言う(歌う?)資格など全くない。

ただ、自分自身の経験からいえば、根に持ったり持たれたりは困るよなあ、というのはある。私自身は論争なり喧嘩なりだけでは根に持たないが、たとえば下記のような場合には大いに根に持つ。

  • 論争・喧嘩相手が裏工作をしていることを知った場合。たとえばブログ仲間に「なんであいつ(kojitaken)のブログにコメントなんかするんだ」と同調圧力をかけた卑怯なブロガーを私は知っている。なぜ知ったかというと、それを言われた本人が『きまぐれな日々』のコメント欄の鍵コメ(非公開コメント)で教えてくれたからだ。仲違いをしてから10年近くになる今でもしつこく、時々そいつのHN名を出して批判することがあるのは、その時の恨みを未だに根に持っているからだ。
  • 私のブログのコメント欄には私に迎合するようなコメントをしていながら、他のブログのコメント欄で私の悪口を書いているのを見つけた場合。そういう場合は直ちにこの日記で指摘してコメンテーターを批判した上でコメント禁止処分をとり、なおかつしばらくそいつが私の悪口を書いたブログのコメント欄にそいつが再び現れないかを監視する。現れたら再度この日記でそいつを罵倒することはいうまでもない。このケースは過去に二例あった。1人はすぐに視界から消えてくれたが、もう1人は長年(数年間)粘着していた。しかし今ではすっかり見なくなった。
  • 上記の2例は例外中の例外の稀なケースだが、比較的よくあるのは、批判されると自らの人格を否定されたかのように傷つく人たちだ。こういう人たちは苦手だ。たとえば、10年くらい前にブログ仲間を批判した時、「自分がやられたら嫌なことを人にするな」と言われたことがある。だが、政治に関する意見が人によって違うのはあったり前であり、自分の意見が人と違うときには違うと言い、相手が間違っていると思ったらはっきり批判するのが当然のあるべき姿だろう。それを友情といっしょくたにされては困るのである。そういうことを言われると、私は同調圧力をかけられたと感じるし、何より「批判してくれるな」という物言いは、「自分が批判を受けない特権を持っている」という傲慢そのものの態度であると私は常日頃から考えているので、その手の態度をとる人間には非常に頭に来る。だから、私からの批判もエスカレートする。そういえば比較的最近にも、お前(kojitaken)は2つもブログを持っている権力者だが私はか弱いコメンテーターだ、という意味(と私は解した)の文章を書いてきた人間がいてそれに激怒した。このケースではたいてい極めて険悪な関係になり、精神衛生上非常に悪い。

しかし、上記3例以外の場合に私から根に持つことはないので、その点はご安心いただきたい。コメンテーター同士の喧嘩の場合はいろんなパターンがあろうと思うが、私が喙をはさむ筋合いはないので何も言わない。

実は記事の前振りを書こうとして長くなったので、全く無内容だけれど独立した記事にする。本論はあとで書く。

*1:学生時代の東京在住時の初めの頃は単なる「アンチ読売」に過ぎなかったが、1984年8月にヤクルトがそれまで歯が立たなかった読売を神宮球場で3タテした頃くらいから心惹かれるようになった。主に神奈川県在住時に野村ヤクルトをずっと応援していた。ただ、野村ヤクルト最後の年(1998年)にはヤクルトが優勝争いから脱落したこともあって、横浜38年ぶりの優勝を応援する「にわか横浜ファン」になったこともある。それ以外の年にも、横浜スタジアムにヤクルト戦以外の試合を年1度だけ見に行く習慣があった。