kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「安倍晋三記念小学校」の件、安倍晋三・安倍昭恵・稲田朋美の「掌返し」に唖然、呆然…

いやあ、昨日(2/24)は呆気にとられた。

幼稚園児に「安倍さん頑張れ!安保法制国会通過良かったです!」とまで叫ばせるほど熱誠の限りを尽くしていたのに、いとも簡単に見捨てられた。

なにしろ、突如として名誉校長が蒸発したかと思えば「名誉校長を辞任した」と事後通告してくるわ、「網タイツの一穴」にしてかつてポル・ポトばりに徴農制を唱えたり故加藤紘一の実家の放火を笑いものにしたり映画『靖国 YASUKUNI』を検閲して公開を妨害したりした「国会で涙 国会外で被害者意識」の「気持ち○い」防衛大臣に感謝状をなかったことにされるわ、あげくの果てには教祖様に「しつこかった」などと罵倒されるわ。籠池泰博はさぞいたたまれない思いだっただろう、と同情してしまいそうになった。

安倍晋三だの安倍昭恵だの稲田朋美だのの冷血ぶりには背筋がぞっとするというか、血が凍る思いだ。

この日記で塚本幼稚園を取り上げたのは数日前が初めてだったが、その存在は数年前から知ってはいた。世の中に変な幼稚園は少なくなく、特に印象に残っているのはショスタコーヴィチ交響曲第5番作品47の終楽章、通称「強制された歓喜*1を子どもたちに演奏させていた「伊勢崎あすか幼稚舎」だった。これを知ったのは4年前、2013年5月だった。



はてなブックマーク - 伊勢崎あすか幼稚舎 ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番 革命 - YouTube より私がつけたブコメ(2013年5月1日)。

kojitaken 音楽 教育 幼稚園 ショスタコ先生の第5交響曲終楽章が「強制された歓喜」と言われているのは周知だけど、北朝鮮の幼稚園では絶対にこんな曲選曲しないよ。編曲が妙にシュールで、ショスタコ先生の原作以上にいわくありげな響きがする 2013/05/01


この伊勢崎あすか幼稚舎の動画としては、他にもスメタナの「モルダウ」や少し前にこの日記で取り上げた久保田早紀久米小百合)の「異邦人」などが公開されている。

幼稚園もこれくらい突き抜けてないと面白くない、塚本幼稚園みたいなベタな極右幼稚園なんて、と思っていた。

しかし、塚本幼稚園の歴史が短くないことは全然知らなかった。

幼稚園で「教育勅語」 - Living, Loving, Thinking, Again(2006年7月3日)より

 大阪市の私立塚本幼稚園(淀川区、約二百三十人)と私立南港さくら幼稚園(住之江区、約百八十人)が、年長組の園児約百二十人に、教育勅語を暗唱させていることが一日、分かった。

 園側は「幼児期から愛国心、公共心、道徳心をはぐくむためにも教育勅語の精神が必要と確信している」と説明しているが、文部科学省幼児教育課は「教育勅語を教えるのは適当ではない。教育要領でも園児に勅語を暗唱させることは想定していない」としている。

 両幼稚園の園長を務める籠池靖憲氏によると、幼児期から古典に親しむため、一昨年から月一回、年長組の園児を対象に論語の勉強を始めたが、「教育の神髄を短い言葉で伝えているのが教育勅語」と考え、昨年十月ごろから教育勅語を教えているという。

 年長組の園児は毎日、一時間目の授業の初めに担任の指導で教育勅語を暗唱。保護者にも口語の訳文に「今こそ教育勅語の精神が必要」という園長の所感を添えて配布したという。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060702/mng_____sya_____007.shtml 

 『東京新聞』の記事からだが、「ある保護者は「こういう教育をするとは知らずに入園させた」と戸惑いをみせるが、園側は「保護者の不満の声は聞いていない」としている」とも。ただし、これらの幼稚園のサイトを見た人によれば、そもそも右翼的な教育をしている幼稚園であるそうな。私立だから仕方がないともいえるし、偶々近所だということで子どもを入れてしまったのが災難だったともいえるし。

 ただ、「幼児期から古典に親しむ」ということと「幼児期から愛国心、公共心、道徳心をはぐくむ」ということは全く別の次元の話であることはたしかだ。


Wikipediaを見ると、塚本幼稚園は11年前どころか戦後間もない1950年に開園、1953年に大阪府の認可を受け、学校法人森友学園の設立は1971年だったらしい。これにはびっくり仰天した。

なぜなら、数年前に塚本幼稚園の悪行を知った時、塚本といえば国鉄(1987年以前)の各停で大阪に行く途中に停まる駅じゃないか、そんな塚本の名前を汚しやがってと憤慨したのを思い出したからだ。アレは、私があのあたりにいた頃からずっと存在していたのだ。知らなかっただけだった。ちなみに私は子どもの頃、大阪府吹田市の幼稚園に通っていたが、小学校に上がる前の年に塚本を通り過ぎて兵庫県に転居した。

そんな塚本幼稚園を運営する森友学園はどうやらずいぶんな放漫経営をしていたようだが、安倍晋三夫妻だの、10年ほど前に「『右』も『左』もない」ブロガー・「喜八」が絶賛し、多くの「リベラル」ブロガーどもが城内実とともに応援の旗を振った平沼赳夫だの、かつては橋下徹、現在は松井一郎をトップに戴く大阪維新の会だのとの結びつきによって現在まで息を長らえるばかりか文字通り法外な利益供与を受けていたものと見られる。

そんな苦節云十年(右翼用語としては「くせつでんじゅうねん」と発音する)の努力が水の泡と化し、単に瑞穂の國記念小學院の認可が下りなくなるばかりか、塚本幼稚園や学校法人森友学園までぶっ潰れてしまうのはないかと、要らぬ心配もとい期待をしてしまう今日この頃なのであった。

某ブログのコメント欄(ブログ主はまともだが「小池信者」とおぼしき常連コメンテーターがひどい)を見ると、名古屋のCBC中日新聞系のTBS系地方局)は在名局でありながら、フジ系などの他系列がワイドショーのメインの話題を小池劇場から金正男暗殺に切り替えてもひたすら「小池劇場」をメインに据え続けているとのこと。このコメンテーターは、TBS系はCBCをキー局にして、フジ系と朝日系は在阪局(関テレとABC朝日放送)をそれぞれキー局にすべきだ、日テレ系は今のままで良いけれど、などとふざけたことを書いていた。どうやら「小池百合子命」の中日新聞CBCがよほどお気に入りのようだが、私は大反対である。フジ系と朝日系はどうでも良いが、TBS系は北海道放送、日テレ系は広島テレビをキー局にすべきだと思った。理由は単純で、昨年の日本シリーズを戦った北海道日本ハムファイターズ広島東洋カープの地元局だからである。但し今年万一読売が優勝した場合でも日テレをキー局に戻してはならないことはいうまでもない(ましてや阪神が優勝した場合に読売テレビをキー局にするなどもってのほか)。ついでに、TBSはCBC制作ワイドショーのネット受けを止めるべきであろう。

例によって脱線したが、何が言いたいかというと、安倍昭恵に名誉校長を「辞任」され、稲田朋美が感謝状を「取り消」され、あげくの果てには安倍晋三に「しつこかった」と言い放たれた森友学園は、彼ら極右の指導者夫妻や防衛大臣に裏切られて縁を切られたことによって、今後ワイドショーが扱う対象としても「解禁」され、その「トンデモ」ぶりが叩かれる可能性が出てきたことだ。

例によって、森友学園が運営する塚本幼稚園はこんなにまでトンデモだったんだよ、と「消費」されてそれでおしまい、結局安倍内閣の支持率は高止まりしたままこの件の影響をみじんも受けず、大阪維新の会の大阪における高支持率も揺るがず、となりかねない。それこそ「大山鳴動してネズミ(籠池泰博)一匹」だ。

そんなふざけた「幕引き」など、絶対に許してはならないのである。

*1:この交響曲は、楽譜に調号は書かれていないが調性音楽で(つまりスターリン時代のソ連が弾圧した無調音楽あるいは十二音技法による前衛作品ではなく、「社会主義リアリズム」に忠実な新古典的手法で書かれている)、ベートーヴェンの「第9」と同じくニ短調で始まってニ長調で終わり、一聴しただけでは「苦悩から歓喜(あるいは「人類みな平等」的な世界平和)へ」というコンセプトを踏襲しているかに見せかけながら、実はその終楽章は「強制された歓喜」であってスターリンを皮肉ったものだというのが現在では定説になっている。しかしかつての日本ではこの交響曲は「革命」というニックネームで呼ばれ、ロシア革命をたたえる音楽だとみなされていた。NHK-FMで解説者を務めていたクラシック音楽評論家の主流は、ソ連や東欧をこよなく愛する「左翼」たちだった。