kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「大震災で『格差』を忘れた日本人〜いったい何が起こったのか」(橋本健二、現代ビジネス)

今日の一本はこれだ!と思った。昨日(3/11)付の記事なので1日遅れではあるけれど。著者の橋本健二教授はマルクス主義系の社会学者と記憶する。

大震災で「格差」を忘れた日本人~いったい何が起こったのか(橋本 健二) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)(2017年3月11日)

大震災で「格差」を忘れた日本人〜いったい何が起こったのか
この国が直面する喫緊の課題
橋本 健二早稲田大学教授・格差社会研究)


東日本大震災から、6年が過ぎた。この震災の前後で、日本の社会は大きく変わった。それとともに、人々の関心も大きく変わった。災害と原発の問題に人々の関心が集まるようになった反面、忘れられがちになった問題も少なくない。

そのひとつが「格差」の問題である。

思えば震災前は「格差社会」が流行語となり、「格差社会論」と呼ばれる言説が世に満ちあふれていた。毎月何冊もの本が出版され、中身は玉石混淆だったとはいえ、それぞれに一定の読者を獲得していた。格差と貧困が現代日本の解決すべき課題だということが、共通認識となりかけていた。

ところが震災の後になると、さっと潮が引いたように、「格差社会」という文字を見かけなくなった。どうでもいいことだが、震災前には私のもとにも格差社会に関する本を書いてくれという依頼が続々と舞い込んだのに、最近ではさっぱりで、こちらから提案しても渋い顔をされることが多い。


震災で格差を忘れた日本人

人々の意識に大きな変化があったことは、世論調査の結果からも明らかだ。一例として、内閣府が毎年行っている「国民生活に関する世論調査」の結果を見てみよう。

この調査は、「お宅の生活の程度は世間一般からみてどうですか」という設問を設けていることでよく知られている。回答は「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」の5つから選ぶことになっていて、マスコミなどでは「中の上」「中の中」「中の下」の合計が「中流意識」と呼ばれることが多い。

真ん中3つを合計するのだから比率が高くなるのはあたりまえで、これを「中流」とみなすのは問題だが、それでも人々の意識の変化をみるのには役に立つ。

たとえば「上」「中の上」と回答するのは自分を「人並み以上」、「中の下」「下」と回答するのは自分を「人並み以下」と考えているわけだから、その比率は格差の動向を反映する。実際、1990年代後半以降には、「中の中」が減少して、「人並み以上」と「人並み以下」がともに増加した。格差拡大が人々の意識にも表われたのである。

ところが震災後になると、「中の中」の比率が跳ね上がり、その分「人並み以下」が減少した。もちろん、震災後に格差拡大が縮小して低所得者が減ったわけではない。

2014年夏に行われた「所得再分配調査」によると、日本の経済格差は震災前の2008年に比べ、年金の支給額が増えたことなどから中高齢者の一部でやや縮小したものの、非正規労働者と失業者の増加を反映して若年層で明らかに拡大したため、全体としては高水準のまま横ばい状態にある。

それでは、何が起こったのか。

国民生活に関する世論調査によると、現在の生活について「満足」と答える人の比率は、21世紀に入ってから低迷を続けていたが、震災のあった2011年から顕著な上昇傾向を示し、2013年には70%を越えた。

震災があり、不景気も続いているのに、人々の生活満足度が上がったというのか。人々の政府への要望をみると、「防災」が大幅に増えた反面、「高齢社会対策」「雇用・労働問題への対応」が大幅に減っている。

どうやら震災は、日本人の意識に次のような変化をもたらしたらしい。

震災で命を落としたり、家を失ったり、避難生活を余儀なくされている人々に比べれば、自分たちはまだまだマシだ。自分を「下」だなどとは考えないようにしよう。老後の生活や雇用、そして格差の問題などは、震災復興と防災に比べれば二の次だ、と。

格差社会論が広く受け入れられる素地は、こうして失われたのである。


一刻の猶予も許されない

しかし、格差の問題を忘れ去ってしまうわけにはいかない。なぜかというと、ひと言でいえば、「格差は末代まで祟る」からである。悪い冗談ではない。ひとつの調査結果を紹介しよう。

1965年に「社会階層と移動全国調査」という調査が行われた。実はこの調査は、1955年から10年おきに行われているのだが、この年だけは調査の項目が他の年よりも詳しく、調査対象者の祖父・父親・本人の職業、子どもの学歴を尋ねている。

つまりこの調査データを用いれば、格差が3世代後の子孫にどのような影響を与えているかを確認できるのである。しかも家が農家の場合は、地主・自作・小作の別まで尋ねている。

調査当時は技術的な問題もあって、さほど詳しい分析が行われなかったのだが、改めてデータを詳しく分析した結果、次のようなことが分かった。

(グラフの引用を省略しました。グラフは元記事をご覧下さい=引用者註)

父親の学歴は、祖父が地主だと高く、小作だと低い。本人の学歴は、父親が地主だと高く、小作だと低い。ここまでは、まあ当然だろう。

それでは祖父の学歴は、3世代後にあたる本人の子ども(つまり曾孫)にどのような影響を与えているか。

地主の曾孫の大学進学率(短大を含む)は、男性が35.7%、女性が36.4%だった。自作だと、男性が17.0%、女性が14.6%。そして小作だと、男性が11.1%、女性が4.3%である。大学進学率には、男性で3.2倍、女性で8.5倍もの差がある。

格差社会論」の重要な論点のひとつに、「格差の固定化」があった。親の格差は子どもの進学や進路選択に影響し、子ども世代に機会の不平等が生まれる。こうして富裕層の子どもは富裕層に、貧困層の子どもは貧困層になりやすくなる、という問題である。

こうした問題があるとすれば、「機会の平等が保証されていれば、競争の結果として格差が生まれても問題ない」と単純にはいえなくなる。なぜなら、親世代の結果の格差は、子どもの世代の機会の格差を生み出すからである。

そして上の分析結果は、こうした機会の格差が、子ども世代のみならず孫、曾孫の世代にまで影響すること、つまりいったん拡大した格差は、数世代後にまで影響することを示している。文字通り、格差は末代まで祟るのである。

いま格差拡大が深刻なのは、20歳代と30歳代である。

家族形成の時期を迎えつつあるこれらの世代の内部の格差は、今まさに、子ども世代の格差を生み出しつつある。10年もすれば、これが進学機会の格差となって表われる。さらに10年もすれば、経済格差となって表われる。

こうして今日の格差拡大は、以後数十年にもわたって日本社会に影を落とし続けるだろう。

格差是正は、日本社会が直面する緊急の課題である。震災と原発に気を取られている間に、手遅れになりかけている。一刻の猶予も許されない。

(現代ビジネスより)


「震災と原発」に加えて、森友学園(アッキード)事件もあり、はてなブログ有料オプションを使って(=身銭を切って)下記共用ブログを開設している私自身もブログを放置しているていたらくだ。


上記リンク先のトップページをご覧いただければわかる通り、2017年に入ってから記事の更新が一本もない。それというのも、ブログ管理人の私が放置しているのが最大の原因だが、人々の間で格差や貧困の問題が意識の後景に退きつつあることもしばしば感じる。たとえば2008年には、東京都知事になる前に麻生内閣厚労相をやっていた頃の舛添要一が「私は高福祉高負担の方が良いと思う」と発言したことがあったが、その後東京都知事になって舛添の姿勢が後退したとはいえ、昨年にはそれとは関係ない件で(私の推測では官邸=安倍晋三一派=の意を受けて)マスコミが舛添を追い落とす「劇場」に人々が拍手喝采したうえ、あろうことか自らも極右にして過激な新自由主義者であり、手下の「都民ファ□ストの会」の代表に安倍晋三も真っ青の極右中の極右・野田数(かずさ)を持つ小池百合子都知事に選んで熱狂するという惨状を呈している。

震災で格差論が後景に退いたことには、他に当時の政権与党・民主党内の反主流派だった小沢一郎が、震災と原発を時の菅直人政権への攻撃材料として利用しようとして、それに少なからぬ「リベラル」たちが乗ってしまったことも理由として挙げられる*1。このプロジェクトは、当初小沢が橋下徹との連携を模索したものの失敗し、立場的には社民党あたりに近い嘉田由紀子を担いで「日本未来の党」を立ち上げ、それに東京新聞までもが丸々乗っかって大騒ぎしたものの結局衆院選民主党ともども惨敗し(民主党日本未来の党とは、絵に描いたようにみごとな「共倒れ」だった)、自民党が政権をトリモロして第2次(2014年衆院選以降は第3次)安倍内閣が発足するという最悪の流れにつながった。さらに悪いことには、下野した民主党が右派新自由主義政党である維新の党と合流して民進党となり、昨年の代表選で選ばれた蓮舫が幹事長に野田佳彦を任命して「安倍政権より(経済政策的には)右」の財政再建至上主義・経済極右政党色をますます強めてしまった。その必然的帰結として、現在蓮舫や野ダメ(野田佳彦)は小池百合子にすり寄っている(当然ながら小池に冷たくあしらわれているが)。いくら安倍政権が森友学園(アッキード)事件で躓いても、野党第一党がこのていたらくであればすぐには再々政権交代は予想できず、夏の都議選、これには公明党と組んだ「都民ファ□ストの会」が間違いなく圧勝するだろうが、この「ファ□ストの会」が国政政党化した政党(シンシンシン党、いや新・新進党。ジンジンジン・松原仁あたりもこれに加わりそうな悪寒がする)が再々政権交代で生まれる政権与党になりかねない。いや、地方では自民党が強いだろうからそう簡単にはいかないだろうし、それを思うと小池百合子による自民党乗っ取りの線も考えられるが、この「崩壊の時代」の真っ只中にあっては何が起こるかわからない。いずれにせよ一つだけ確かなのは、格差や貧困の問題を後景に退かせる社会的圧力が震災後ずっとかかっていて、この国の民はそれに押し流されて今まできてしまったことだ。

そんな中、6年目の「震災の日」を選んで書かれた橋本健二教授のコラムは、私にも耳の痛い内容だった。つまり、上記社会的圧力が作った流れに押し流された人間には私自身も含まれる。それはわかっているのだが、なかなか思うように時間を割けないというのが正直なところだ。

なお、私はかつて橋本教授の書いたちくま新書『階級都市―格差が街を侵食する』を読み、この日記で取り上げたことがある。

*1:もともと小沢一郎新自由主義者として格差の拡大に寄与してきた政治家だったから、自らの過去を否定するかのような格差論よりは、1991年の青森県知事選で核燃サイクル推進派の応援に「剛腕」をふるった以外には自らの関与が比較的少なかった「原発」論で騒ぐ方が心地良かったのではないかと私は推測している。また、問題は何も当の小沢本人に限らず、小沢を応援した「リベラル」たちにとっても、脱原発とは彼らの逃げ場に過ぎなかったのではなかったかと考えている。