9月1日は1923年に関東大震災が起きた日だが、それ以前の昔から二百十日(にひゃくとおか)と言って台風に見舞われやすい「災厄の日」とされている。そういえば二百十日と二百二十日(にひゃくはつか)を教わったのは小学生時代だった。2年生と5,6年生の時に男性教師が担任だったが、そのどちらだったか。二百二十日も二百十日と同じ「災厄の日」だが、こちらは現在の9月11日頃に当たる。
政界でも9月1日に災厄が起きたことで忘れられない年がある。それは2008年だ。この年の9月1日に福田康夫が政権投げ出しを表明した。理由は、「福田首相では衆院選に勝てない」と考えた公明党の動きに福田が嫌気が差したからだと当時解説された。あの時、私は大きな衝撃を受けるとともに、公明党とはなんと馬鹿な政党なのか、と呆れたものだ。あの時、これでまた政治が悪くなるぞと予感したが、その予感は的中した。
福田康夫は、前任者だった安倍晋三が福田同様政権を投げ出した時に安倍がやりかかっていた極右政策をことごとく棚に上げ、政治にまともな方向性を取り戻させた総理大臣だった。おそらく、今世紀に入ってもっともマシな総理大臣だったといえるのではないか。
福田のあとを受けた麻生太郎内閣は、就任早々衆議院を解散する役割を担って誕生したはずだったが、自民党が行った世論調査で衆院選の勝ち目がないとの結果が出たことから、森喜朗らが麻生を羽交い締めするかのように解散を阻止したとされている。あの頃、『きまぐれな日々』で「麻生はいま解散しないと衆院選に勝てないぞ、昔から『追い込まれ解散』は負けと決まっている」という主旨のことを書いたが、当時しばしばコメントをもらっていた「現実主義」的なコメンテーターから反論を受けた。しかし私の予測の方が正しかったことが翌2009年8月30日の「政権交代選挙」で証明された。
あの「政権交代選挙」も、次なる災厄を招く出来事だと選挙直後から思ったが、事態は危惧した通りとなり、2012年12月には第2次安倍内閣が発足して戦後日本は「崩壊の時代」に突入した。もうすぐそれから5年になる。
前振りが長くなったが、今年の9月1日も新たな「災厄の日」になりそうだ。民進党代表選で前原誠司が選ばれるからである。
前原の統治能力は、2005〜06年の民主党代表時代、特に「偽メール事件」への対応で、その実力のほどをたっぷりと見せてもらった。民主党政権時代にも、八ッ場ダム建設問題に性急に対応しようとして失敗し、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事故に強硬な対応をしようとして失敗するなど、およそ実績というものを残していない。その前原は、おそらく前任者の蓮舫同様小池百合子にすり寄ろうとして民進党に大きなダメージを与えるだろう。
しかし、国会議員のみならず、地方議員、選挙の立候補予定者や党員・サポーターまで総ぐるみで前原誠司を圧勝させる結果を民進党自身が選ぼうとしているのだから、民進党がどうなろうがもう知ったことではないとしか言いようがない。なにせ私は、2010年代に入って民主党→民進党やその公認候補に投票したことは、昨年の参院選で田中康夫を落とすために鼻をつまみながら小川敏夫に投票したただ一度しかない人間であって、当然ながら民進党支持者ではない。
だから、民進党代表選前から選挙戦中にかけて、前原誠司と小沢一郎が互いに相手を褒め合う気持ちの悪い関係であるらしいことはネットに流れてくる報道の見出しで知ってはいたが、記事の中身までは読もうという気が起きず放置していた。
しかし、根っからの民進党シンパである『日本がアブナイ!』のブログ主は熱心に目を通していたようだ。このブログとしては何年ぶりかと思わせるほどの見るべき記事を公開した。
思ったのは、こんな記事が書けるんだったらなんでもっと早く書かなかったのかということだ。この直前に書かれた神戸・灘中の校長の話なんか、もう1か月も前の手垢のついた話だ。
しばらく前に、『広島瀬戸内新聞ニュース』が、前原誠司は昔社会党が失敗した「社公民路線」の再現を狙っているが失敗に終わるだろうと書いていたが、上記『日本がアブナイ!』の最新記事を読むと、その「『社公民路線』の再現」は、小沢一郎の狙いでもあることがよく理解できる。
同記事は、リンクこそ張っていないが下記『withnews』に掲載された小沢一郎のインタビュー記事を引用している。
下記は、小沢一郎さんに聞いてみた「野党って何ですか?」「政界再編は?」 - withnews(ウィズニュース)(2017年8月30日)掲載の小沢一郎の発言より。
「確固たる野党共闘こそが、政権交代の近道だ。共産党はこちらと一緒になろうなんて思っていないし、こっちも思っていない。ただ、今の政権よりもマシな、国民の生活に目を向けた政権をつくらなきゃならない、という点では一致している」
「今の政権では将来の国が危うい、国民生活も危ういと思う人たちは、みんな一緒になって衆院選を戦えばいい」
「そのために、自民党に代わる受け皿になる勢力をつくらなければいけない。(中小の勢力が)四つも五つもあったのでは、受け皿とは国民は見なさない。だから、『一緒にならなければダメだ』とぼくは言っている。かつて民主党と自由党が一緒になったように」
つまり、小沢は共産党を除く野党が一緒になって、最後に共産党と共闘すれば良いと思っているわけだ。要するにまず「社公民合意」ならぬ「民社自合流」ありき。これが小沢の構想だ。
また、下記産経記事も引用されている。
【民進党代表選】前原誠司元外相「自由党の小沢一郎氏はわれわれの政策理念に近い」 - 産経ニュース
【民進党代表選】
前原誠司元外相「自由党の小沢一郎氏はわれわれの政策理念に近い」
民進党代表選(9月1日投開票)に立候補している前原誠司元外相は29日、インターネットメディア「IWJ」に出演し、自由党の小沢一郎代表について「(他党の中で)もっともわれわれの政策理念に近い考えを持っている」と述べた。前原氏は小沢氏と会食を重ねていると明かした上で、「(代表選公約に掲げた)『オール・フォー・オール(みんながみんなのために)』の理解者で、外交・安全保障政策も現実路線で一致している」と語った。自由党との連携については「最終的にどういう協力なのか、党内や他党との議論で深めたい」と述べた。
(産経ニュース 2017.8.29 17:13更新)
これらの記事を引用したあとに続く『日本がアブナイ!』の記事は、久々に読ませる。小沢と前原の長年の確執と最近の蜜月ぶり。2005年に小沢が自身に近い京セラの稲盛和夫を介して前原誠司に接近を図ったものの前原に拒絶されて失敗した話は以前から知っているが、最近某所で、今の小沢と前原の蜜月は、連合の仲介で両者が手打ちをして以来だと教えてもらった。連合といえば、大の反共労組である。しかも1993年に小沢が担いだ細川護煕の政権基盤は、まさしく「反自民・非共産」の「社公民連合」だった。それに前原のほか小池百合子や枝野幸男を国会議員として含む日本新党の細川護煕が「○くて××な御輿」として担がれて細川政権が発足したのだった。
前原誠司は、その小沢と現在「蜜月」関係にある。前原の小池百合子へのすり寄りも、小沢の意図と一致している。
こうして整理してみると、小沢こそ「『社公民路線』への回帰」の首謀者の中核であることがよくわかる。なるほど、前原と小沢が意気投合するはずだと思った。
それと同時に、やはり小沢とは「『野党共闘』に仕掛けられた『トロイの木馬』」なんだなあとも思わされる。「野党共闘」論者は、小沢の危険性にもっと目を向けるべきだ。今頃こんなことを書いても遅すぎたかもしれないが。
ともあれ、今日前原誠司は民進党代表に文句なしの圧勝で選ばれる。
これが「崩壊の時代」の崩壊を一段と進める契機となることは間違いない。