kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「『希望の党』という小選挙区制がひり出した汚物のようなもの」(kemouさん)

コメント欄に埋もれさせてしまうには惜しいので、id:kemouさんのコメント(11月15日02:48〜02:49に投稿)を3本つなげて以下に紹介します。今回は私の論評は抜き。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20171113/1510532538#c1510681721
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20171113/1510532538#c1510681734
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20171113/1510532538#c1510681745

結局選挙制度に対する話題が盛り上がらないのは、所詮は野党支持者が負け惜しみ目的だけで言ってることが多いこと(だから選挙から日が経てば忘れる)、そして小沢信者という強烈な小選挙区論者が阻害要因となってるためですかね。小沢信者に絡まれるのは誰でも嫌でしょうから。それと「自民党以外なら何でもいい」となってしまいがちな野党支持者や「リベラル」が多いのもそれに拍車をかけているように思います。

私は今回の選挙は「小選挙区による体制変革を目指してきた野党側の政治改革からの一連の動き」の完全敗北を意味する結果だったと考えています。民進党という野党第1党が一瞬にして事実上の解党をしたこと、希望の党という政策が異なる政党に民進党のメンバーがなだれ込んだこと、党首が人気者で「一つにまとまる」という大義名分(?)さえあれば平気で集まれる政治家達の集団、これらは全て小選挙区的発想から行われたものですが、これは明確に有権者を馬鹿にした行為であり、私にとっては自民党がどうとかなんてことを飛び越えて、一有権者として絶対に容認してはいけないと直感させるものでした。ほんの一時的には支持が盛り上がったものの、多くの有権者もそのことに気付いたのでしょう。「自民党に対する大きな塊」という名ばかりの大義名分だけで中身がないこの政党のグロテスクさを、それに集ってしまえる政治家の空疎さを、そしてそれが野党第一党を確実視されていたはずが、自分達が排除して行き先がなくなった人達の政党にまで後塵を拝す結果を生んだのでしょう。

私はもともと小選挙区には否定的でしたが、「希望の党」の顛末はそれをさらに強い確信に変えてくれるに十分でした。「希望の党」という小選挙区制がひり出した汚物のようなものは二度と生んではいけない、これは日本政治史の恥と言ってもいいほどです。

この「希望の党」というグロテスクな産物を目にすれば、「小選挙区制のような発想はもうダメだ」とならざるをえないはずですが、そうならないのは野党支持者が陥りがちな「どんな政党だろうが非自民であれば自民よりマシで一定程度肯定できる」と見てしまう悪い癖でしょう。何せ過去には橋下、小池百合子に期待をしてきた野党支持者や「リベラル」も多数いたわけです。そうした人たちからすれば、「小選挙区だから余計負けた」という言葉にこそ多少なびいても、「小選挙区的発想の離合集散は結局何も生まない」と言っても響かないのでしょう。

小選挙区をいまだに熱烈に支持する人達は、野党第一党が信頼されるようになれば、オセロゲームのように全てひっくり返って勝利できると言います。しかし野党第一党がどうすれば信頼されるようになるかを彼らは考えません。「大きく固まれば信頼される」、これが小沢一郎的な発想だったのでしょうが、そうはならなかったことは今回の希望の党が何より雄弁に語ってくれました。いくら大きな塊であろうが、政治家として最低限守るべきものすら欠けている政党を信頼に当たる対象と考えるほど、有権者は馬鹿ではありません。

小選挙区制で勝つためには、野党第一党が信頼されることと、野党第一党が大きな塊になることの両方が求められます。しかしその2つは概して矛盾してしまう。そのことを今回の選挙は見事なまでに露呈したわけです。ただ闇雲に大きな塊になろうとしたがゆえに信頼を失い(希望の党)、そうしなかったところが信頼を受けて野党第一党立憲民主党)になった、これが小選挙区制的発想の敗北でなければ何なのでしょう。

民主党が全盛期だった頃はいくら党内がバラバラでもそれがあからさまなマイナスを見せることがなかったから、有権者もそれなりに甘く見てくれましたが、一度そうした党が政権を担った以上、有権者の目はその手の野合政党に対して厳しくなります。だから「大きな塊を作ってもう一度」なんて夢はもう通じないのです。小選挙区制に適合できて、かつ唯一ありえる可能性は一つの野党が離合集散を経ずに選挙で一歩ずつ規模を拡大していくことですが、果たして何年かかることやら・・・。

小選挙区制の問題点はすぐに「野党の議席が少なくなるから」という点にばかり注目が集まりますが、実際はもっと多岐に渡ります。小選挙区制ではどの党から出馬するかが大きく影響するため、党の公認権の影響力が肥大化します。そのため党の中枢の権力が大きくなり、党内での活発な権力争いが起きにくくなり、党の新陳代謝が停滞します。自民党の安倍一強体制が続く原因の一つもここにあるでしょう。自民党が強い時期が続くのなら、党内政権交代だけでも起きてくれればまだいいものの、小選挙区制はそれすらも起きにくくしてしまっています。また、党の看板だけで当選できることが多いことから、質の低い議員が乱造されます。

また小選挙区制は事実上第1党と第2党で争われることになりますから、それ以外の勢力はどちらかについて票の上積みをする役割を担いがちです。それゆえに結局はそうした固定票をいかに獲得できるがが選挙の趨勢を大きく決めてしまいます。公明党もそうですし最近の共産党もそうですが、こうした票の下駄はき合戦というものが本当に選挙の在り方として正しいのか、それも小選挙区制のいびつさの一つでしょう。公明党自民党の下駄になってるのは、自分達が候補者を出している小選挙区に配慮してもらうためでしょうが、こうした関係もまた本来はいびつなものです。規模が第3以下の政党だからといって下駄になるのではなく、その政党に対して支持者がちゃんと投票できる選挙制度をというのは、誰が勝つかどうかということ以上に本当は大事にしないといけないことだと思います。(おそらく小沢は新進党の経緯を考えると、公明党を下駄にすることによって自民党に対抗する枠組みを作る狙いがあったのでしょう。それが逆に自民党についたことでより小選挙区制では政権交代が起きにくくなってるのは皮肉としか言いようがありません。もっともある一つの状態が変わっただけで機能しなくなる制度なんて選ぶのが間違っているのですが。)