kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

金田正一死去

 プロ野球史上最多勝利記録をもつ「カネやん」金田正一が死んだ。国鉄スワローズで353勝、読売で47勝の計400勝を挙げた。但し、1969年に読売で挙げた最後の1勝は「やらせ」だった。それはもう半世紀も前の話だ。私はテレビのプロ野球生中継で金田が投げるのを見たことはない。解説者としてはよく覚えている。国鉄スワローズの後身であるヤクルトを贔屓することは一切なく、現役時代の終わり頃に属した読売を熱烈に応援していた。もっともあの頃の日テレ系読売戦中継では誰もがそうだった。読売に一度も所属したことがない元阪神村山実(1998年死去)でさえ読売を応援していた。どこまでが本音でどこからが演技だったかはわからない*1

 金田正一の年度別の投手成績は、日本プロ野球機構のサイトで確認できる。

 

http://npb.jp/bis/players/71073801.html

 

 国鉄時代の2年目にあたる1951年から国鉄に在籍した最後の年である1964年まで14年連続の20勝以上で、最高は1958年の31勝。先発も救援もやり、先発投手の勝ち星を奪うこともしばしばだったと聞く。国鉄では誰も金田に逆らえなかったのではないか。

 そんな金田も、1965年の読売移籍後は一度も20勝を挙げられなかった。移籍2年目の1966年など、わずか4勝に終わっている。読売に移籍した投手にはありがちな話だ。9連覇初期の読売は異様に強かったから、金田のわがままも通らなかったのかもしれない。

 金田は、のちロッテオリオンズの監督になって1974年の中日との日本シリーズにも勝った。しかし今でも、金田といえば国鉄スワローズやロッテではなく、読売の投手として語られることが多い。弊害の多い「名球会」といい、日本プロ野球の歪んだあり方の象徴でもあった。もっとも晩年金田は「名球会」から追い出されたんだったっけ。

 もちろん金田正一プロ野球史上最高の投手だったのだろうが、あえて「読売帝国主義」の負の側面も書き記した次第。

 謹んでお悔やみ申し上げます。

*1:とはいえ元阪神村山実江夏豊は、「強い読売」に立ち向かった自分たちを誇りにしていた。明らかな「裏返しされた読売ファン」だった。ましてや金田は自ら望んで読売に移籍した。テレビ解説での彼らの読売応援は、多分に本音だったに違いない。