kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「何度も受診して濃厚接触を繰り返す」リスクよりも本来検査を受けるべき人が受けられないリスクの方が今の日本ではずっと高いのでは

 3月11日に公開した下記記事のコメント欄を2件紹介する。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 id:suterakuso

私は科学的な主張の是非の判断段材料として、よく「名取宏(@NATOROM)」氏と「片瀬久美子(@kumikokatase)」氏のツイートを見ています。

この検診についてのNATROM氏の主張を私なりにまとめると、次のようになるのではないかと思います。
●軽い症状の人の検診は推奨しない。
●理由は、検診のために多くの人と濃厚接触することになるにも関わらず、検査結果は対処法や治療方針に影響しない(陽性でも対処法や治療方針は実は変わらない)からだ。
●軽い症状の人は、出歩かないのが一番だ。
●広島の例も、検査の疑陰性が多いことが指摘されている中で、何度も受診して、濃厚接触を繰り返したことの方を、むしろ、憂う。
●感染を広げないために必要なのは、休業補償だ。
●診断書がなければインフルエンザを理由に休むことができないような社会のあり方がよくない。
●「安心」のために、医学的に必要性の高い症例に検査ができなかったり、現場が疲弊したりしないことを願う。
●余裕があれば、調査や監視目的の検査をしてもよいが、その余力がなさそう。
いかにも医者としての考え方で、また、検査体制に余裕があるかどうかについては議論の余地があるようにも思いますが、基本的に納得できる主張だと思います。

片瀬久美子氏では、次のツイートが関係あるでしょうか。
>検査をして欲しいという人達を否定するために、極端な「検査不要論」に陥る人達が少なくありません。
個々の人だけを見たら偽陰性の率が高めの検査をするメリットは少なくても、全体から見ると検査をすることで感染者の広がりを把握できて、感染防止対策に生かせるという社会的なメリットがあります。
https://twitter.com/kumikokatase/status/1234993051220627457
>一応説明しておくと、検査するかどうかは厚労省が示した基準に従って行い、陽性でも軽症者は生命の危険性は低いので、新型コロナウイルス感染者だと自覚して自宅で他人に感染させないよう用心しながら養生し、もし治癒に向かわずに悪化する場合は、医師の判断で入院という手順で良いと考えています。
https://twitter.com/kumikokatase/status/1235246809175359492
>「軽い風邪症状でも原則自宅で静養する」というのを皆がきちんと守れば良いのだという意見もありますが、仕事を休み難い人達や経済的理由から仕事を休めない人達は、「きっと新型ウイルス感染ではないだろう、大丈夫だ」と考える方に傾き、普段通り仕事に行くのではないかという心配があります。難しい
https://twitter.com/kumikokatase/status/1236312158276706304

 

 

 NATROM氏と片瀬氏では言っていることがかなり違いますね。東電原発事故に付随した甲状腺がん検診の件では、私はNATROM氏の言い分を認める立場ですが、上記surerakusoさんのまとめにある広島の感染発覚の件は、NATROM氏には同意できません。

 なぜなら、あの人は広島県で最初の新型コロナウイルス感染者だったからであって、あの事例が示すのは、広島県にあの人以外の感染者がいたということだからです。つまり、日本での新型コロナウイルス検査は極端に手薄になっていることを意味します。

 あとなかなか休めない社会のあり方が問題というのは言わずもがなであって、現に私なんかもその部類です。特に近年は組織の管理が異様にうるさくなって、組織全体のノルマをこなすために退職者(それも締めつけがなければ辞めずに済んだかもしれない人たち)がやるはずだった仕事が年度末に回ってきたのでヒーヒー言っています。なんでもう年寄りの部類に属する人間になったのにこんな目に遭わなければならないんだと文句を言いながら。

 ましてや、いわゆる「ブラック企業」に勤める人たちは、私よりもっとずっとひどい目に遭っていることは想像に難くありません。つまり、NATROM氏が言うような「何度も受診して濃厚接触を繰り返す」リスクよりも、本来検査を受けるべき人が受けられないリスクの方が、今の日本ではずっと高いんですよ。その意味から、今回は氏の意見発信には全然説得されません。

 

 urinarazuke

ネトウヨ(特に医師系)が「検査数を増やせば医療崩壊」なる謎理論を盛んに吹聴しているが、全くもって意味不明。
検査件数を増やすことと重症者対応を強化することは両立できるし、医療崩壊を招くかどうかは「軽症者を入院治療の対象とするか、自宅待機にとどめるか」で決まるもので、検査で陽性でも軽症ならば入院治療の対象とせず自宅待機で経過観察すれば済むこと。
むしろ、検査をせずに軽・無症状の感染者が野放しにされ、感染者の自覚がないまま自由に出歩くことが更なる感染拡大につながる危険が大きい。

PCR検査は偽陰性(「偽陽性」と勘違いしている輩は論外として)が多いから有用性が低い」という意見もあるが、PCRが陰性ということは(検体採取の手技に誤りがなければ)その時点で鼻・のどに検出可能なウイルス遺伝子が存在しないことを意味するから、仮に偽陰性であってもその患者は他者にウイルスを伝播する危険性が低いわけで、防疫上は大きな問題ではない。
他方、PCRが陽性であれば(検体処理時のコンタミでもなければ)その患者は鼻・のどにウイルスを排泄していることを意味するから、他者に伝播する危険性が高い感染者を確実に拾い上げることができるわけで、防疫のためにPCR検査の意義は大きい。
医師でも理解していない人が多いが、「治療」と「防疫」の対象患者は必ずしも同じではないことに注意が必要である。

「新型コロナは指定感染症だから、軽症者や無症状者も全員入院隔離しなければならず、病床がパンクする恐れがあるから、無闇に検査して感染者を拾い上げてはいけない」
なる言説もよく見かけるが、「見ぬもの清し」「臭いものに蓋」の本末転倒、ナンセンスであるのみならず、そもそも法律を理解していない全くの誤りである。
感染症法第19条の規定(新型コロナにも準用される)は、
都道府県知事は、一類感染症のまん延を防止するため必要があると認めるときは、(中略)当該患者を入院させるべきことを勧告することができる。」
であり、「入院させなければならない」とはどこにも書いておらず、都道府県知事(及びその部下の保健所長)の裁量で自宅待機にとどめることは可能で、和歌山県はじめ多くの地域では実際にそのように対応している。
反対に、「まん延を防止するため必要があると認めるとき」は、たとえ軽症者・無症状者であっても入院隔離することも可能で、同条には、勧告に従わない者を強制入院できる規定もある。
自宅待機指示に従わずにみだりに外出したり、どこぞのように「ばら撒いてやる」などの愚行に及ぶような輩には、強権発動も可能なわけだ。
同条に規定する入院隔離の目的が、「治療」よりも「防疫」にあることを理解していれば自明のことなのだが…

 

 「検査数を増やせば医療崩壊」という妄言は、極右夕刊紙の「夕刊フジ」が言い募っています。その時点で論外だと思っています。

 いま強く思うのは、検査が進まなければ実態がわからないので、疑心暗鬼を生じてしまって必要以上の恐怖心を抱いてしまうし、正しい対策もとれないということです。実態がわからなければ「正しく恐れる」ことなどできるはずもありません。

 実態がわかったからこそ和歌山県は正しい対処が行えて、結果を出せたのでしょう。自治体の規模が東京などより小さいからできた、などという言い分は、卑怯なエクスキューズに過ぎないとしか私には思えません。