kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

筒美京平死去

 私は筒美京平の死去について感慨を多く持つ人間なのだけれど、いつか読書ブログに書いたような理屈っぽい記事を書いて公開するのもどうかと思っていたので何も書かずにきた。

 最初に結論を書くと、筒美京平とは「日本の歌謡曲の西洋化を完成させた人」ということになろうか。少しだけ理屈をこねればそれは「機能和声に支配された音楽」であって、人聞きの悪い言い方をすれば「西洋音楽による植民地支配」の完成というべきか。昔、柴田南雄(1916-1996)*1という現代作曲家が、世界中のどの国でもポップスは同じような西洋化の道をたどる」という意味のことを書いていたのを読んだ記憶がある。立ち読みでそれを知ったのは1981年頃だったか。柴田のような現代作曲家にとっては、というよりワーグナーよりあとの西洋の作曲家にとってそれは、解き放たれるべき束縛だったのだろう。しかし、21世紀の今に至るまで、彼らがそれに成功してきたようには思えない。そういえば故武満徹(1930-1996)は日本の歌謡曲が大好きだった。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 以下引用する。

 

偶然ながら、最近、脳内ジュークボックスで太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が1週間に1度くらいかかっていたのだった。

 

 私の場合は、筒美京平の訃報を知る1か月前の9月12日に、あるきっかけから「太田裕美 ゴールデンJ-POP THE BEST」という、20年以上前に出た2枚組のCDをiTunesに移してあったのを引っ張り出して聴いていたのだった。太田裕美以前には、筒美京平南沙織に多くの曲を提供してきた。私は「南沙織 ゴールデンJ-POP THE BEST」も持っているのだが、こちらは太田裕美ほどには面白くない。筒美京平は1970年代半ば頃から一段と洗練の度を増したかのようだ。とはいえ小学生の頃には南沙織の「色づく街」(1973)が大好きだった。国鉄甲子園口駅から阪神国道(国道2号線)に向かう商店街でよく流れていた。蛇足ながら、私はなぜか阪神タイガースのファンにはならなかったが、大のアンチ読売にはなった。

 

筒美京平は(TV番組どころか)公の場に顔を出すことも殆どなく、どんな顔をしているのかということも知らなかった。 

 

 そういえばそうだ。私も「報道ステーション」で初めて筒美京平の顔を知った。有名歌手が死ぬと異様なほど長い時間をかけて訃報を報じるこの番組だが、筒美京平の死はいやにあっさり流してしまった。

 

今回の訃報をきっかけに、記憶を手繰り寄せて、古いCDを引っ張り出してきたり、YouTubeで検索したり、或いは脳内ジュークボックスを再生したりしている人も少なくないと思う。筒美京平という鍵言葉でどんな曲を想起したのか? これによって、生活史の一端というか自己(self)の一端が顕わになってしまうかも知れない。私が再生しているのは、「ブルー・ライト・ヨコハマ」も「真夏の出来事」も「魅せられて」も勿論そうだけど、上の記事で言及されていない曲だと、「飛んでイスタンブール」(庄野真代)、「東京ららばい」*5中原理恵)、「たそがれマイ・ラブ」(大橋純子)といったところだろうね。

 

 私の場合は太田裕美でも南沙織でもなく「また逢う日まで」(尾崎紀世彦, 1971)が真っ先に再生される。いつもそうだ。先月もそこから太田裕美を思い出したのだった。しかし、「生活史の一端というか自己の一端が顕わになってしまう」とは、実にうまいこと言いますねえ。今回の記事からいろいろ分析されても仕方ないかなと思いながら書いています。

 

 ところで上記リンクの記事で引用された朝日新聞デジタルの記事*2によると、筒美京平(本名・渡辺栄吉)は「元々はクラシックのピアニストを目指していた」のだそうだ。さもありなん。だから太田裕美の「夏風通信」*3みたいに自在な転調を繰り返したあと最終的にはサビで5度上に落ち着くという凝った曲が作れるんだ。ただ作曲家のあり方としては典型的な「保守派」の人だったと思う(もちろんそうでなければ歌謡曲の人気作曲家にはなれない)。その点では少し前に安倍晋三にすり寄るコメントを発して顰蹙を買った松任谷由実と共通している。筒美京平といえば「歌謡曲」であって、今の「J-POP」とは断絶しているかのような幻想を持っている人も少なくないかもしれないが、もちろんそれは誤りであって、両者は完全に連続している。たとえば、今世紀初めごろに鈴木雄大という人がMISIAに提供した「飛び方を忘れた小さな鳥」の転調を聴くと、私は前述の「夏風通信」を思い出してしまうのだ。両者は転調のコード進行こそ全然違うが、「自在な転調を繰り返したあと最終的にはサビで5度上に落ち着く」という明確な共通点がある。そしてそれは完全に「西洋音楽の機能和声」の掌の上で踊る音楽なのだ。「日本のポップスの西洋化」が行き着いた地点だというのが私の認識。

 いや、最後は結局理屈っぽい話になってしまった。

*1:吉田秀和(1913-2012)と仲が良かったらしい。

*2:https://news.yahoo.co.jp/articles/df06620abda0b4662c48353949d52a1e8f1ea033

*3:アルバム「こけてぃっしゅ」(1977) 収録曲。