昨年来のコロナ禍で旅行など全く思うに任せないのだが、朝日新聞のツイートにこんなのをみつけた。
空と海の間にある駅、餘部(あまるべ)。
— 朝日新聞デジタルマガジン&Travel (@asahi_and_t) 2021年9月13日
「海の見える駅」バックナンバーです。雄大な景色に加え、鉄道遺産を観光資源にした好例。https://t.co/awEUZs0t1Whttps://t.co/u7yXVJWUb4
元記事へのリンクは下記。
ああ、「余部鉄橋」が架け替えられてからもうずいぶんになるはずだなあと懐かしく思い出した。
ここには二度行ったことがある。
一度目は兵庫県民だった小学生時代で、もう半世紀近く前のことだ。二度目は2007年春で、当時橋梁の架け替え工事中だった。だからまだ「余部鉄橋」は現役だった。現在の橋梁はコンクリート橋なので「余部橋梁」と呼ばれている。当時は高松市在住で、朝早く起きて瀬戸大橋線*1、山陽本線、播但線、福知山線、山陰本線と乗り継いで餘部駅で降りた。よく晴れた日だった。帰りは山陰本線で鳥取に出て、因美線、津山線、山陽本線、瀬戸大橋線で戻るつもりだったが、夜になって雷雨となり、津山線であと数駅で岡山駅というタイミングで落雷のために電車が止まってしまい、タクシーで岡山駅まで代行輸送された。こういう時には往々にして瀬戸大橋線も止まるが、幸いこの日は止まらなかったので夜遅く高松に帰り着いた。
二度餘部駅を訪れた三十数年間に、列車の転落事故があった。1986年も押し詰まった12月28日のことで、強風に煽られた回送列車が転落して工場を直撃し、車掌1人と工場の女性従業員5人が死亡し、客室内にいた日本食堂の従業員3人と工場の従業員3人が重傷を負ったという。日本食堂の従業員3人は、あんな高いところから落ちてよく死なずに済んだものだ。私はこの事故が起きた年の3月に山陰旅行をした際、この余部鉄橋を通過していた。なお1996〜07年に放送されたNHKテレビ小説「ふたりっ子」*2で、餘部駅の隣の鎧駅が重要な舞台の一つになった。
記事にある、ふもとへの下りと登りは、小学生時代にも2007年にももちろんやったが、現在はエレベータで40秒で上り下りできるという。
現在は、旧余部鉄橋の線路跡が遊歩道になっていてベンチも置かれているようだ。
旧余部鉄橋時代の橋梁や現在のエレベータ(「余部クリスタルタワー」というらしい)の写真は朝日のサイトには出ていないので、下記リンクを参照されたい。
餘部駅といえば、地名が新字体の「余部」なのに駅名が「餘部」になっていることにも触れなければならないが、その理由も上記サイトに載っている。同じ兵庫県内の姫路市に「余部」と書いて「よべ」と読む駅があるからだ。実は私はこのことを兵庫県民時代には知らず、のち岡山県民時代か香川県民時代に青春18きっぷで姫新線に乗った時に知った。しかし残念なことに、姫新線はまだ全線制覇はしていない。津山−新見間にはまだ乗ったことがないのだ。あと広島県が手薄になっていて、島根県に至っては山口県とともに1986年の山陰旅行以来降り立ったことがない*3。だから例の松本清張の『砂の器』で有名な亀嵩駅のある木次線は全くの手つかずだ。
前回は高松からの鈍行列車の日帰りだったので余部にいた時間はあまり長くなかった。香川−岡山−兵庫−鳥取−岡山−香川という、岡山駅から先でループを描く鈍行列車の旅の方に主眼があったといえるかもしれない。今度行くチャンスがあれば、もう少し現地でゆっくりしたいものだと思った。
コロナ禍の現在、再訪の機会がいつ作れるかもわからないが。