kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

安倍晋三の銃撃死は東電原発事故に似ている

 安倍晋三の銃撃死は東電原発事故に似ている。ともにそんなことが起きるはずがないと高を括っていたら起きた。東電福島第一原発津波への備えが全くできていなかったし、安倍晋三自民党は、東電に似て(広義の)テロにあまりにも無防備だった。

 安倍晋三暗殺の件で、奈良県立医大奈良県警がとばっちりを食っている。このうち奈良県立医大及び銃殺現場に居合わせた看護師ら医療従事者に対して一部の安倍支持者及び「信者」が浴びせかけた非難は誹謗中傷、言いがかり以外の何物でもない。

 事件が起きたのは7月8日の午前11時31分頃だったが、私が昼休みにYahoo! JAPANにアクセスした12時03分頃には既に安倍は「心肺停止か」と報じられていた。つまり実質的には即死だ。弾丸が体内で骨に当たって弾道が変わり、よりにもよって安倍晋三の心臓に大きな穴を開けたのだった。これではいかな先端医療でも手の施しようがない。私は「心肺停止」との文字列を見た瞬間、安倍は殺されたと思った。おそらく多くの方も同じだったに違いない。

 しかし現地の看護師と思われる医療従事者が行った心臓マッサージを批判し、あれをやらなければ安倍は死ななかったのではないかと書いたツイートを発したものの、それは適切な医療行為だったと指摘されて、数時間後にそれを削除した馬鹿者がいる。菊池誠である。この物理学者はここまで恥知らずになったかと呆れた。死亡診断には医師の診断が必要だし、その診断にはできれば遺族(安倍昭恵)にも立ち会わせたいと考えるのが普通であって、奈良県立医大はその通りにした。蘇生は無理だと知りつつ大量の輸血も行った。人の世は理屈だけでは動かないので、このような医療行為を行わなければならない場面はどこかの病院で毎日繰り返されている。奈良県立医大に落ち度など全くないことはあまりにも明らかだ。しかしそれを全く解さない人間が多すぎる。

 一方、奈良県警の警備に不備があったのはおそらく事実だろう。しかし、大元の責任はその備えを十分に行わなかった自民党及び安倍晋三にある。自民党は、安倍の街宣先を長野から急遽奈良に切り替えた。長野が「文春砲」と「新潮砲」の十字砲火を浴びて当選がほぼ不可能になったために急遽切り替えたものだ。この際に、自民党及び安倍側に奈良県警との意思疎通が十分あれば、というより、テロの危険性に対する備えをするつもりがあれば、あの銃撃は防げた可能性が高い。SP個人や奈良県警トップへの非難ばかりして、自民党や安倍本人を「被害者」としてしか扱わないのは、東電のトップを免責するに等しい愚行である。安倍は国会でもテロの危険性を訴える辻元清美を嘲笑する答弁をしていた。その安倍本人が銃殺された今となってみれば「なんという暗君だったのか」と思わずにはいられない。

 そんな安倍を国葬だの国民葬だのにしようなどという馬鹿げた話があるが、安倍の葬儀などもう終わったではないか。せいぜい自民党葬か統一教会葬くらいで十分だ。

 なお、実は私は安倍晋三に対して少なからず同情している。だってあんな不運は滅多にないからね。ことに弾道が体内で変わって心臓をぶち抜くなんてそんなことがあるのか。しかも死ぬと同時に自らと統一教会との関係が再発掘され、後世の歴史書にはおそらくネガティブな記述しかされないことがほぼ確定した。本人はほぼ即死だったから苦しんだのもほんの一瞬だったに違いないが、あんな死に方はしたくないものだし、あんなふうに安倍に死んでもらいたくはなかった。

 何より、安倍を生け捕り(言論で打倒した後の安倍の逮捕・収監)にできなかったことは残念至極であり、私はなんという取り返しのつかないことをしてくれたのかと山上を恨むばかりだ。山上を祭り上げることなどあってはならない。それは5.15事件の犯人の助命を嘆願したのと同様の愚行であり、戦前の歴史はその4年後の2.26事件やそのさらに翌年の「崩壊の時代」突入へとつながっていったのである。