kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

高津臣吾・岡田彰布・広岡達朗

 少し前の話になるが、プロ野球ヤクルトスワローズ日本シリーズ連覇を逃したのは仕方がないだろう。日本一になったオリックスバファローズとは、山本由伸が故障で第1戦を落としたあとに登板不可能になったあとでさえ大きすぎたからだ。

 日本シリーズに敗れたとはいえ高津臣吾監督の「弱者の兵法」は大したものだった。昨年の第1戦に先発した奥川恭伸を欠き、同第2戦に先発した高橋奎二もやっとこさシリーズに間に合った程度で、9月にはこの両者を欠いた戦いを強いられた。ライアン小川泰弘にもサイスニードにも、もちろん大ベテランの石川雅規にも、1イニングで大量失点したり打力の弱いチームにも打ち込まれたりするリスクがある。「エース」小川は今シーズンの最下位・中日との対戦成績が確か0勝4敗だった。サイスニード先発の広島戦でも1イニング12失点があった。9月のヤクルトは打撃戦での辛勝と大量失点の惨敗を交互に繰り返す時期があった。8月の横浜スタジアムでの3連敗で意気阻喪してしまったベイスターズにもう少し「諦めの悪さ」があればリーグ優勝争いはもつれた可能性があったが、現役時代には1998年の日本一があったとはいえ弱小時代が長かったベイスターズ監督の三浦大輔は諦めが良すぎた。それがヤクルトにとっては助かった。

 私としては、来年もそのベイスターズとスワローズの優勝争いを期待したいところだが、阪神に厄介な監督が戻ってきた。岡田彰布だ。岡田は、昨年までソフトバンクで監督をやっていた工藤公康と同様、自力のあるチームを勝たせる能力は非常に高いと思っている。私は岡田が高津臣吾中嶋聡のような「弱者の兵法」ができる監督では全くなく(おそらくこのことは工藤公康についてもいえるだろう)、監督としては高津や中嶋の方が岡田よりもずっと上だと考えているが、いかんせん現時点でのチーム力は阪神の方がスワローズやベイスターズよりも上だし、岡田の監督としての能力も少なくとも矢野燿大よりはずっと上だろうから、来年は今年以上に阪神がスワローズ(やベイスターズ)にとって厄介なライバルになると思われる。

 阪神応援で知られるデイリースポーツに、高津臣吾から見た岡田彰布について聞いたインタビュー記事が出ていたのでリンクを張っておく。

 

news.yahoo.co.jp

 

 岡田彰布高津臣吾では現役時代の経歴も対照的だ。岡田は比較的早く衰え、オリックスに移籍したが結果を残せなかった。一方、高津は岡田が成績を急落させた34歳のシーズン*1にもリリーフエースとして結果を残してMLBに挑戦し。ホワイトソックスでも結果を出した。シカゴの球場で高津が登板すると銅鑼の音が鳴り、実況のアナウンサーが「ゴーン、ゴーン、ゴーン、シンゴ・タイム」などと言っていた。

 

column.sp.baseball.findfriends.jp

 

 以下引用する。

 

 クローザーには格好いい登場曲があるが、高津の場合は銅鑼(どら)の音だった。本拠地のすぐそばには中華街があり、日本と中国を混同しているのだろうとしか思えなかった。ただ、球団史上初の日本人選手をなんとか盛り上げたいという意志が伝わり、筆者は温かく見つめていた。オジー・ギーエン監督は感性を重視した采配の指揮官で、高津は信頼感を得た。

 

出典:https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20210612-10

 

 しかし、上記引用文のすぐあとに欠かれている通り、ホワイトソックス2年目の2005年には高津は結果を残せなかった。同じ年、岡田彰布阪神監督としてチームを2年ぶりのリーグ優勝に導いた。但し、そのあとの日本シリーズで例の「334」をやらかしたが。

 

 高津の現役時代で興味深いのはそのあとだ。

 2006年にヤクルトに復帰して結果を出したが、やはり2年目に結果を出せず、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。2008年からは再渡米してカブス傘下入りもMLB昇格は果たせず韓国へ。韓国ではそれなりの成績を残したが戦力外となり三度目の渡米でSFジャイアンツ傘下へ。やはりMLB昇格は果たせず2010年には台湾へ。台湾で前期胴上げ投手となるも戦力外となり、2011年に日本に戻って独立リーグ入りした。同じ頃岡田はオリックス監督として結果を残せずにいた。

 高津の現役引退は、独立リーグ・新潟で監督を兼任した2012年だった。引退は44歳の誕生日を2か月後に控えた同年の9月だった。

 自分のやりたいことをやった、ある意味わがまま放題の現役生活であると同時に、米メジャーリーグから日本の独立リーグに至るまでさまざまな環境に身を置いた。このことが高津の強みになっているように思われる。さまざまな境遇に置かれた人の立場と気持ちがわかるからだ。もちろん高津の選択はヤクルト時代やホワイトソックス時代の蓄えがあったからこそできたのであって、それを持たない選手たちの気持ちが全部わかるというものではないだろうけれど。私が3,4年前に高津の「著書」を立ち読みした時に感心したのもそのことだった。本には、ヤクルトの二軍監督だった高津が阪神のファームと交流戦をやった時、二軍戦にも活躍した選手に景品が出され、その恩恵に対戦相手もあずかることができるために景品を獲得したヤクルトの二軍選手が喜んでいたことが書かれていたが、だからといって高津からは恵まれた環境にいる阪神に対するやっかみなど全く感じられず、恬淡とした印象だったことに好感を持った。それは、高津がアメリカのメジャーリーグから独立リーグまでのいろんな環境に身を置いた経験からではないか。

 一方、北陽高校早大阪神と進んだ岡田は、阪神が暗黒時代を迎えると根気が続かず早く衰えた。野球に関する知識や勘は抜群だが、こらえ性には疑問がある。前述の334だの2008年の大逆転負けだのは、そんな岡田の弱点を露呈したものではなかっただろうか。岡田は選手としても監督としてもオリックス「にも」在籍したけれども、オリックス時代にも阪神のことばかり考えていたような節があり、正直言ってそんな岡田に好感を持つことはできない。

 

 ところで、広岡達朗が早くも来季の阪神優勝を予想している。

 

sportiva.shueisha.co.jp

 

 しかし、上記リンクの記事本文を読むと、悪いけれども失笑を禁じ得ない。

 

 昨年、今年とそれぞれリーグ連覇を果たしたオリックスとヤクルト。今年チームを26年ぶりの日本一へと導いたオリックス中嶋聡監督と、昨年の覇者であるヤクルト・高津臣吾監督が指揮官として特筆されるのは、ともにチームのモチベーションアップのための空気づくりに余念がないことだ。選手たちが長丁場のペナントレースにベストの状態で臨めるよう、いかに環境を整えたかは、結果が物語っている。

 そんな時代と逆行するかのように、阪神は絶対君主のような岡田彰布15年ぶりに監督に据えた。関西屈指の人気球団である阪神に対して、球界のご意見番である広岡達朗は怪気炎を上げるがごとく言い放つ。

 

守りの野球こそが優勝への近道

 

「巨人が堕落している今だからこそ、セ・リーグの他球団は本気で優勝を狙っていけると思っていたが、岡田が監督になったことで来季は阪神が優勝筆頭候補だ。ヤクルトがリーグ連覇を達成したと言っても、圧倒的な力で優勝したのではなく、他球団が勝手にこけただけ。岡田率いる阪神はやるぞ」

 

 早稲田大の後輩ということを踏まえても、広岡がこれほどまでに大きな期待をかけるのは珍しい。

 

「岡田がオリックスの監督時代(201012年)、キャンプの視察中にアドバイスを送ったことがある。『おい岡田、野球はピッチャーが70パーセント勝敗を握るのに、監督がブルペンに行かなくてどうする?』って言ったら、すぐに向かったよ。あいつは言われたら素直に言うことを聞く。阪神の第一次政権時代(200408年)は、あいつ自身がまだ研究不足だったため、ピッチャーの重心を下げるにはどうやって指導していいのかを知らなかった」(後略)

 

出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2022/11/18/post_286/

 

 「偉いのは俺様だけだ」という、いかにも広岡らしい独善性を感じさせる。

 「ヤクルトがリーグ連覇を達成したと言っても、圧倒的な力で優勝したのではなく、他球団が勝手にこけただけ」というのはその通りではあるが、圧倒的な力を持っていないヤクルトがなぜ前半戦で最大貯金「28」を作り得たのかを広岡は説明できない。

 あげくの果てに「岡田は早稲田の先輩である俺の言うことをよく聞く『うい奴』だ」と言わんばかりのコメント。「なんだこいつ」としか思えない。

 かつてのテレビ観戦で広岡が発したコメントとしてもっとも印象に残っているのは、1987年9月に西宮球場で行われた阪急対西武戦で広岡が西武の森監督をこき下ろしていたことだ。広岡はこの試合でも「相手が勝手にこけているだけ」と言っていた。この試合は土日に行われた首位攻防2連戦のどちらか(たぶん土曜日の試合)で関西テレビが制作していたが、私は当時横浜在住だったので関テレのネットを受けたフジテレビで見ていた。試合は西武が優勢だったので*2広岡の機嫌は悪かった。この試合での広岡の解説を聞いて、「ああ、巷間言われていた広岡と森との確執は本当だったんだな」と確信した。広岡は森をヘッドコーチにして1982年と83年に連続日本一になったが84年には阪急の独走優勝を許した。どうやらこの年の不振をめぐって広岡と森は対立したようだ。森が去った85年に広岡西武はリーグ優勝したものの日本シリーズ阪神に敗れた。広岡は上記記事で守備力の大事さを力説しており、それは確かに正しいと私も思うけれども、事実としては日本シリーズでは広岡西武はバースの3試合連続本塁打に代表される阪神の打力に粉砕された。そして、1986年から森監督によって西武の真の黄金時代が始まった。その森西武を止めたのが1993年の野村ヤクルトだった。

 「弱者の兵法」を真に得意にしたのはその野村克也だった。広岡も1977年にヤクルトを球団創設以来初の2位(同じ年、阪神は球団創設以来の最低勝率で4位)、翌1978年には初の日本一になっているし(阪神は球団創設以来初の最下位でもちろん2年連続の最低勝率更新)、最近YouTubeで見た同年の日本シリーズ第5戦の動画で、先発に梶間健一を立てる奇襲で阪急の大エース・山田久志に挑み、山田を打ち込んで継投で見事に勝って王手を掛けた試合のハイライトを見た。広岡もさすがに「弱者の兵法」に長けていたことは認めざるを得ないが、しかしながら当時のヤクルトには松岡弘がいて、大杉勝男がいた。松岡はこのシリーズで2勝2セーブであり、勝ち試合にはすべて登板した。前記の第5戦でも、松岡は前日の第4戦に続いて救援してセーブを挙げた。

 そして、いしいひさいちがいみじくも漫画に描いた通り、広岡はスワローズを日本一にした監督ではあるけれども、スワローズを最下位にした監督でもあった(1979年)。そして、広岡が辞めてしばらく経った1982年から86年までの5年間で最下位4度という暗黒時代がスワローズに訪れた。

 何より私は広岡の「管理野球」が大嫌いだった。あんなものは読売で大監督とされた川上哲治からの借り物でしかない。

 幸いなことに広岡の予想は当たらない。昨年の日本シリーズでは「1勝3敗になってもまだオリックスが有利だと思っていた」と平然と抜かしていた。あの胃の痛くなるような第6戦の大接戦をものにして日本一になれたのは、監督が高津臣吾だったからに他ならない。マクガフの2度のイニング跨ぎが成功してスワローズが日本一を決めた時、それまでマクガフをけなしてばかりいた私はぐうの音も出なかった。あんな采配は広岡にはできなかったに違いない。

 もっとも、今年の第5戦ではそのマクガフが打たれた。消化試合でプロ入り初勝利を挙げたばかりだった山下輝を先発させて9回表まで4対3と*3、高津の「弱者の兵法」が成功してヤクルトが王手を掛けるまであとアウト3つまでこぎ着けたが、ここでマクガフ得意の「やらかし」が出てしまった。負け惜しみを言わせてもらうと「だから野球は面白い」ということになろうか。

 それでも、来年では高津得意の「弱者の兵法」で、阪神や読売など盛大に蹴散らしてもらいたい。ただ「常勝球団」というのは決して好まないので、ベイスターズにも頑張ってもらいたい。広岡達朗のような「本来盟主であるべき××があのざまだから、宿命のライバルでかつ大学の後輩が監督をやる阪神がんばれ」などというふざけた態度こそ、私がもっとも激しく敵視する対象だ。

*1:岡田と高津の誕生日は同じ11月25日なので、ここではその年に35歳になったシーズン(岡田は1992年、高津は2003年)を指す。

*2:それどころか、この22回戦から最終戦まで西武は阪急に5連勝し、一時首位を明け渡していた阪急を再逆転して2年連続のリーグ優勝を果たした。阪急との対戦成績は12勝12敗2引き分けだった。つまり西武は7勝12敗2引き分けの負け越しから残り5試合の全勝で五分に持ち込んだ。

*3:8回終了時点で4対3というスコアは、奇しくも1978年の同じ第5戦で広岡が梶間先発の奇襲を仕掛けた試合の8回終了時点でのスコアと同じだった。1978年の第5戦ではヤクルトが9回表に山田久志から3点を奪ってダメ押ししたが、エースを7失点しても完投させた当時の阪急・上田利治監督の采配は現在では非難の対象だろう。山田はこの試合で150球を投じた。