kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「まず離党して」という当たり前のプロセスを経ず、「立憲民主党総支部長が水面下で移籍を希望した」というシナリオを書いたのは自民党さんだと思います。(もんくま氏)

 なんとかるる氏(漢字のフルネームを書くのも面倒臭くなった)の件で、下記の連ツイが印象に残っているので忘れないうちに記録しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後のツイートが肝。

 るる氏の記者会見は確か明日(13日)だったと思うが、その記者会見より前に、るる氏の方から自民党にアプローチしたと既に報じられていて、私もそうだったのかなどと思っていたのだが、自民党による一本釣りだったのが真相だともんくま氏は示唆しているわけだ。

 確かに、1996年の衆院選後に自民党野中広務加藤紘一らが大々的に民進党公認で当選した国会議員の「一本釣り」をやらかし、民進党の議員が次々と自民党に靡いて行ったという歴史的事実もある。自民党の方から動いたという説に説得力がある。

 報道では、当初噂された野田聖子ではなく、古屋某なるるる氏が対決した相手にるる氏が直接アプローチしたとのことだったが、実はその前段階で野田が大きな役割を果たしていたのではないかとの心証を私は強めている。

 2020年にるる氏が最初に山岸一生衆院議員を頼った時には、山岸氏はまだ国会議員ではなかった。なぜなら2019年の参院選で東京選挙区に立候補して落選していたからだ。私は立民の某参院議員がツイートで「×××君」と親しげに書いた日本維新の会の候補を落選させるための戦略的投票で山岸氏に投票して悔しい思いをしたのでよく覚えている。この時朝日新聞の情勢記事によって同情を集めて漁夫の利を得たのが該某立民参院議員氏だった。あの頃、現在はツイートアカウントを削除したさる方がその人を熱烈に応援していたことが忘れがたい。その方は強硬な反泉健太の論者だったので、彼のツイートアカウント削除を私は大いに惜しんでいる。

 それはともかく、るる氏(と古屋某)の選挙区は私の亡父の出身地を含むし、るる氏が最初に頼ったのが私が参院選で投票した山岸氏の事務所だったとはと思うと、るる氏の行動は非道そのものではあるとはいえ、若干の残念さを感じる。

 そんな個人的な感慨はともかく、最初に立民候補の中ではリベラル派に属する山岸氏を頼ったことや新聞社のボートマッチに対する回答の情報などから、るる氏は当初はリベラルな立ち位置にいたことがわかった。

 そのるる氏が立民を去って自民党入りするまでの間には、やはり泉執行部への違和感があったのではないかと疑われる。もちろん、だからといって自民党、それも悪名高い極右議員である古屋圭司に会いに行くなどもってのほかの妄動ではあるが。

 現在ではもんくま氏もるる氏を見放しているようだ。

 

 

 るる氏の利用価値はもう終わった。つまり地方政治家としての前途も全く開ける見通しはないということだよね。その通りだろうと私も思う。るる氏は政治家になることを諦めた方が良いだろう。

 それにしても、サポーターズの下記ツイートを見るにつけ、なんとも後味の悪い騒動だった。

 

 

 るる氏が失ったものはあまりにも大きかった。しかし覆水盆に返らず。It is no use crying over spilt milkだ。

 ウェットに記事を締めるのは趣味ではないので、もう一つもんくま氏の痛烈なツイートをリンクする。

 

 

 そうは問屋が卸してなるものか(笑)