kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

今日(3/26)サンデーモーニングを降板した橋谷能理子氏は聴神経腫瘍を患っていた。実は私も耳が悪い

 橋谷能理子氏が本日(3/26)限りでサンデーモーニングを降板した。私は気づかなかったが自ら「降板」と言い、卒業との言葉を使わなかったそうで、その潔さが良い。

 安倍晋三が殺された直後の放送で、関口宏とニュースを読み上げる女性たち3人が揃って喪服のような黒服を着ていたのに対して、昨年4月から「風を読む」だけの出演に限定していた橋谷氏が普段と同じような服装を敢然と着用していたことも印象に残った。関口宏は橋谷氏の爪の垢を煎じて飲むべきだろう。

 しかし橋谷氏をブログ記事に取り上げようと思った理由はそれだけではない。橋谷氏は2018年に聴神経腫瘍を患ってガンマナイフによる放射線治療を受けたものの、右耳の難聴と耳鳴りに今も苦しめられていることを知ったから取り上げることにした。下記は橋谷氏のブログの2018年12月2日記事へのリンク。

 

ameblo.jp

 

 また下記は同2021年6月3日付記事へのリンク。

 

ameblo.jp

 

 橋谷氏は現在も右耳の難聴が続き、耳鳴りは24時間つまりノンストップだそうだ。

 実は私も耳鳴りを伴った難聴持ちで、耳鳴りはノンストップで2010年以来ずっと続いている。耳鳴りはことに仕事疲れを含むストレスが大敵であって、昨年後半から今年2月半ばくらいまでは最悪だった。

 難聴の進行自体はここ数年止まっているが、2018年8月にはそれまで高音だけだった難聴が低音にも及び、どえらく難儀したことがあった。幸い低音の難聴はイソバイドという苦い飲み薬(利尿剤)を1日3回服用して元に戻った*1。しかし、いったん進んでしまった(高音の)難聴は元には戻らない。耳疾の原因は私とは違うであろう橋谷氏も、私と同様に難聴も耳鳴りも元には戻っていないとのことだ。

 難聴になって以来、音は記憶で聴くものだということを体験的に知った。聞こえがいい加減だと、脳が勝手に変な音を作って訳のわからない和声として聞こえるというとんでもない現象を体験したのだ。

 低音の聞こえが悪かった時の現象だが、低音部の音程が5度ずれて聞こえたことがあった。4年前に管弦楽の伴奏がついたマーラー短調の歌曲を聴いた時に、低弦の伴奏が5度ずれて複調の音楽として聞こえてしまった。なんじゃこりゃと思って同じ曲の再生を止めて最初からもう一度聴き直すと、今度はまともに聞こえた。脳がその曲の記憶を取り戻したことによって脳内回路のエラーから回復したようだ。このあたりの聴覚のメカニズムは現代医学でもほとんどわかっていないのではないだろうか。

 低音の聴力が回復したあとも、久しぶりに聴く曲は音感が乱れていて、聞き直すとまともに聞こえる現象に何度か遭遇した。現に今日もそれがあった。こうした経験から、聴力を保つためにはどうやら音の記憶を保つ必要があって、音楽を聴く時間が長い方が良さそうだということがわかった。しかし昨年からつい一昨日の金曜日まではずっと忙しかったので音楽を聴く時間も思うに任せなかった。なお橋谷氏の聴神経腫瘍が発症したのと同じ2018年以来、私は音楽を聴く時には補聴器を着用している*2。しかし倍音が多い楽器の音はホワイトノイズのような成分が重なって聞こえてしまってうまく聞けない。高音は補聴器で増幅しても「シャー」というノイズとして聞こえてしまうのだ。鍵盤楽器では倍音成分の少ないピアノの音が一番聴きやすいが、倍音成分が非常に多いオルガンは最悪であってオルガン曲は正直言ってほとんど楽しめない。ハープシコードチェンバロ)は両者の中間というか楽器にもよるがたとえば1989年にキース・ジャレットゴルトベルク変奏曲を弾いた八ヶ岳高原音楽堂のハープシコードなどはかなりピアノ寄りなのでそこそこ楽しめる*3。楽器ではヴァイオリンが厳しい。オルガンのように聴けないレベルではないが、ヴァイオリンの音には倍音が多いためにピアノとの二重奏ではピアノの音ばかり強く聞こえてしまう。ただ、ピリオド楽器古楽器)のヴァイオリンは現代の楽器よりはかなり聴きやすい。今日はかつて愛聴していたマーラー交響曲第5番テンシュテット指揮ロンドン・フィルの1978年録音)に久々にチャレンジしたが、このところずっとゴルトベルク変奏曲(ピアノ及びチェンバロ)やモーツァルトベートーヴェンブラームスなどのピアノ曲を聴いて音の記憶がある程度取り戻せたおかげかどうかなんとか楽しめた。Macのミュージックのタイムスタンプを見たらこの演奏を聴くのは実にブログ開設以前の2006年1月以来17年ぶりだったが、そのせいもあって懐かしさを覚えた。なおベートーヴェンも猛烈な耳鳴りに苦しめられたとのことで、伝音性難聴だとされてきた彼の難聴は実は感音性難聴ではなかったかとの説もあるらしい。作曲家ではスメタナフォーレも晩年に難聴を患った。特にスメタナは悲惨で、精神に異常をきたして世を去った。また、自ら耳の近くで大きな音を鳴らすオーケストラのヴァイオリン奏者たちには職業病としての難聴の人が多いとも聞く。そういう人たちではなくとも単なる加齢による聴力低下以外の原因によって5%ほどの人は耳鳴りや難聴に苦しめられるとのことだ。難聴とはそのくらいありふれた疾患なのである。

 私自身が上記のような状態だから、まさしく同年代で私も居住経験のある香川県高松市の出身、しかも私とは違って音声が勝負の世界に生きてきた橋谷氏の気苦労はいかばかりだったかと思わずにはいられなかった。だから私も自らの耳疾をカミングアウトすることにした次第。

 なお私は東京都議選では共産党の畔上(あぜがみ)三和子氏にいつも投票している。それは畔上氏と江東区共産党には下記の実績があるからだ。

https://www.azegami-miwako-jcp.info/zisseki2

 

  • 高齢者の聞こえのバリアフリーのために補聴器購入費補助の条例提案をおこない、運動と連携し江東区では現物支給と現金支給を実現しました。

 

 私自身は大枚はたいて両耳でン十万円の補聴器を購入したが、上記のような活動は共産党ならではであり、立民をはじめとする他の野党は共産党には全く及ばない。弊ブログに対して「反共分子」なるレッテルを貼る怪しからん某暴犬もいるが、私だって共産党に一定の評価をしているのだ。ただ単に志位和夫小池晃を筆頭とするふざけた共産党中央の執行部が許せないだけである。だから国政選挙では今後しばらく候補者も比例も共産党には投票しないと決めているが、地方選挙となると話は別だ。ただ都議選は統一地方選とは時期がずれているため今回行われるのは区議選と区長選であり、区議選では必ずしも共産党候補に投票してきたわけではない。都議選では畔上氏の一択になるだけである。

 

 補聴器の話をすると、たとえばアメリカでは若い頃にロックを聴きすぎたためかビル・クリントンが難聴で、現役大統領時代の51歳の1997年頃以降と記憶するが、ずっと補聴器を着用している。しかし補聴器への理解が遅れている日本では補聴器の普及率も欧米と比較して非常に低く、つけていると奇異の目で見られることすらある。作家の星野智幸氏がやはり難聴に苦しめられているが、氏のエッセイやツイートには政治的な意見表明を含めて共感するところが多い。下記はその例。

 

 

 

 上記2つのツイートは本当にその通りで、私の難聴も原因不明であり、低音の難聴には利尿剤が効いたが高音の難聴と耳鳴りには有効な治療法もない。ただ経験的に音の記憶を失わないことが難聴の進行を食い止めるのに役立ちそうなことがわかっただけである。それがわかって悔やまれるのは、もっと早くから補聴器をつけていればここまで悪くはならなかったのではないかと思われることだ。難聴者だってその指標に限ればマイノリティである。別の尺度では性的マイノリティだったり在日外国人だったりすることによって、この国では差別される。だから、リベラルは外国にばかり阿って国内の労働者を蔑ろにしているなどと書くカーマインスパイダーさんのコメントは私には決して容認できないし、束になって高齢者攻撃を仕掛けてくるひろゆきだの成田悠輔だのたかまつななだのに至ってはパブリックエネミー以外の何物でもないとみなしている。人間誰しもある尺度で測られればマイノリティになるのである。

 そんな毒々しい連中がのさばるテレビの世界で長年毅然とした姿勢を崩さなかった橋谷能理子氏には敬意を表したい。本当に長い間お疲れさまでした。

*1:一度中断したらまた悪くなったため1日3回の服用を再開し、延べ2年ほど服用したあと今度は止めても悪くならなかったので現在では飲んでいない。

*2:普段は外していることが多いが、音の記憶を保つためには着用している時間がもっと長い方が良いのかもしれない。

*3:ヨーロッパの楽器だと苦しいことが少なくない。