kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

候補者は有権者が選ぶ前にすでに、その少なからずは政党組織の「ブラックボックス」の中で選ばれている。この「ブラックボックス」に焦点を当てなければ、良質な政治は担保されない。(井戸まさえ氏)

 先日、宮武嶺さんのブログに衆院東京15区補選を大きく取り上げていただいたことには大いに感激した。

 

blog.goo.ne.jp

 

 だが、当然のことながら記事にはコメントがほとんどつかない*1。これは政治ブログを長年やっている私から見れば当然のことで、特定の選挙区の記事は、2021年衆院選の東京8区のような例を除いて、注目度はどうしても低くなる。しかも今回は3補選そのものへの関心が低い。いや補選どころか、6月、あるいはもしかしたら今月中に衆議院の解散が行われるかもしれないとの政局に関する人々の関心もいたって低い。2021年衆院選に出馬して私も投票した井戸まさえ氏が書く通りである。

 

 

 以下、上記ポストの全文を引用する。

 

この4月28日に投開票が行われる3つの補選が話題だ。

 

岸田政権の支持率は最低、解散は4月にも、いや6月だとか言われてるが、社会に熱気はない。

 

これまで私は、2017年のいわゆる「希望の党騒動」に焦点を合わせた『ドキュメント 候補者たちの闘争――選挙とカネと政党』(岩波書店)で、「候補者は有権者が選ぶ前にすでに、(その少なからずは政党組織の「ブラックボックス」の中で)選ばれている」ということを書いた。

 

この「ブラックボックス」に焦点を当てなければ、良質な政治は担保されない。

 

その問題意識は、2021年の総選挙を経た現在でも変わっていない。むしろ危機感は高まっている。 編集者が付けた副題「選挙とカネと政党」が、予言のように迫ってくる。

ただ、有権者が受け取れる情報はメディアを通じてのものがほとんど、もしくは候補者側からの一方的な発信で、必ずしも実相を表しているとは限らない。

 

今回の3補選を前に、私が体験した21年の選挙をめぐる『候補者たちの闘争(その後)』の一部を共有したい。みなさんに臨界点を迎えている日本政治、与野党共に巣くう宿痾を共に考えていただけたらと思う。

 

以下、随時更新

目次

東京15区編(1)「選挙区は言えない」

東京15区編(2) この人が相手候補の会計責任者?

東京15区編(3) 公認するのは「政治の世界でしか生きられない人」

東京15区編(4) 黙殺

東京15区編(5) 選挙における「哀れなるものたち」

続く・・

 

URL: https://twitter.com/idomasae/status/1775857184070615050

 

 上記Xの末尾に予告された連載は絶対に見逃せないと思った私は、これまで「渇しても盗泉の水は飲まず」と称して自らに禁じてきたXのアカウントの開設に踏み切った。但し、リードオンリーに徹して自らの発信もしないし誰のフォローもしないという制約を自身に課す条件つきで。多くのブロガーがTwitter(当時)にかまけて発信者として埋没していった実例を山ほど見ているからだ。

 Xアカウントの開設は昨日(4/7)である。最初はXのアカウントを開設したことを隠しておこうかとも思ったが、じきにブログ記事に不自然さが現れるに違いないから、白状するなら早い方が良いと思って開設翌日の今日白状することにした。つまり、私はとうとう「盗泉の水を飲んでしまった」わけだ。

 ところで私が非常に残念に思うのは、とうとう立憲民主党東京15区総支部長に再任してもらえなかった井戸氏 vs. 同党の都連ないし執行部という、権力を行使される側 対 権力を行使する側の構造に関して、前者、つまり井戸氏の側に立とうとする人がほとんどいないことだ。大多数の人間が政党の側、つまり権力の側に立って意見を発信している。

 かつてあれほど井戸氏に同情していた泉健太支持者のnaoko氏にしても、最近は井戸氏のXを黙殺しているとしか思えない。

 それどころか、立民支持者の中には「裏で新選組と握った」手塚仁雄を礼賛する人間までいた。

 

 

 何が「手塚さんみたいに搦手が使える人が立憲にも必要だよな」だ。吐き気がする。

 この件に関しては軍畑先輩が正しい。

 

 

 「毎度毎度の下町軽視」は立民と新選組に共通して見られる悪しき特徴だ。そして下町で強いのが公明と共産である。

 立民が「須藤元気擁立しかけた」件についていえば、私には明らかに立民の都連及び執行部が自ら酒井菜摘候補予定者に一定のダメージを与えたとしか思えない(怒)。

 

 

 私はこの件でようやく「野党共闘」に歩み寄りを見せたかに見える山本太郎に一定の評価を与えたが、手塚に対する嫌悪感は増す一方だ。

 

 

 その新選組の構成員といえるかまでは知らないが、少なくとも新選組系の人であるさとうしゅういち氏のブログに、2021年の参院広島再選挙について書かれた記事が公開されたので以下に紹介する。これも政党対候補者という権力の対立構造に関するものだ。

 

hiroseto.exblog.jp

 

 以下引用する。

 

#楾大樹 先生の「問題作」=「#茶番選挙 仁義なき候補者選考」を購入し、拝読しております。あけび書房 1320円(1200円+税)。

 

#さとうしゅういち 自身も当事者となった #参院選広島再選挙 。この選挙で、当初は野党第一党から声が掛かっていた #楾大樹 先生が、候補者選考で繰り広げられた有権者不在の茶番を暴露しています。
わたし自身もこの選挙に際して、とある野党第一党党員から「選挙に出るなら縁を切る。俺の地域に二度と出入りするな!!」などとまるで戦国大名か何かのような罵詈雑言のお電話をいただきました。

 

しかし、その方のご自宅がある地区が選挙後に大洪水になった際、わたしはボランティアに伺いました。その方はバツの悪そうな顔をしておられました。


また、この選挙において、野党第一党候補の方に対してわたしは、ギリギリまで1本化を模索はしていました。

 

その条件として「伊方原発即時廃炉」含む「即時原発ゼロ」を同候補側に提示。しかし、同候補陣営幹部の

野党第一党地方議員は「候補者は具体的な政策がわかる人じゃないから」との返答。自分たちでバカにしている人

を候補に担ぐ。これこそ、女性蔑視も良いところです。

 

それはともかく、自公の国政与党だけでなく、野党第一党も「県民の手に政治を取り戻す」庶民革命において、「県民により政治を取り戻される」対象物であるということだと思います。


民主的な候補者選び、予備選なり候補者同士の公開討論会など、オープンな選挙にしていかないと、政治は一部の「えらい人」のもののままです。


もう一つ疑問は日本最古の左派野党が、簡単に野党第一党候補に乗ってしまったこと。結局、同党も庶民の味方と言いながら実際には一部幹部の意向で政党本来の政策とかけ離れた人を推す。そのことが現在、同党内部での不満の増大につながっているのではないか、と外部からですが心配する次第です。

 

(『広島瀬戸内新聞ニュース』2024年4月7日)

 

URL: https://hiroseto.exblog.jp/30886153/

 

 2021年当時にはさとう氏は共産党に近い無所属の政治家だったが、その後地元の共産党の政治家から圧力を受ける等の件があって新選組系の人になった経緯があると私は認識している。

 上記記事に留保をつけるとすると、極端な党首独裁政党である新選組もまた、自公や立民・共産などと同様に「庶民により政治を取り戻される」対象物だとしか私には思えないことだ。

 しかしながら、「人事権を行使する権力である政党 対 人事権を行使される候補者」の対立構図において、候補者の側に立つというのは絶対に欠かせない視点だ。そのことは強調したい。

 そして、そのような視点を持った人たちが各党支持者にほとんどいないことは、本当に大きな問題だ。

 この国の人々は、あまりにも(身近な=つまり自らが支持する)権力に従順でありすぎるのではないか。言い換えれば、あまりにも権威主義が強すぎるのではないか。

 この状態からいかに脱却するかが、現在のような大きな変革の時代に生きる人々にとっての最大の課題の一つだ。私はそのように信じて疑わない。

*1:当該記事のコメント欄についても言いたいことがあるが、それは本記事には盛り込めなかった。機会というか時間があれば改めて書きたい。