kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

須藤元気の「あと伸び」の最大の要因は山本太郎の応援なんかではなく須藤氏が9候補中唯一の江東区出身者だったからだ

 昨日ぶっ叩いた下記Xはまだ撤回もされていないようだ。もっとも閲覧回数わずか598回だからほとんど注目されていないポストではあるが。

 

 

 これはいうまでもなく虚偽に基づいて酒井菜摘氏を貶める悪質なポストだが、なぜこういう言説が出てきたかというと、おそらくNHKがネットでやっていた開票速報を見ていた人が、途中までいっこうに各候補者の差が開かなかったところから生じた誤解だろうと気づいた。

 開票作業は、玉入れの数を数える方式で行われたようだ。ひとおつ、ふたあつ、みっつーという掛け声とともに、籠に入った玉を一つずつ投げ上げるあれだ。それが同じ候補者の名前が書かれた投票用紙100枚を一つの玉として行われた。

 だから、酒井菜摘、須藤元気、金沢結衣、飯山陽、乙武洋匡各候補の票は、ある時点まで並んでいた。そして5人のうち真っ先に票が増えなくなったのが5位の乙武だった。それに気づいた私は下記記事を書き始めたのだった。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 この記事は書くのに結構時間がかかったので、書き終えて公開した頃には開票率99%にまできていた。その時点ではもう酒井菜摘候補の得票が4万9千票を超えていて、あとは端数を確定させるだけだった。

 だから、開票速報をずっと追っていたわけではないが、最後の方は酒井候補の票が伸びるばかりだったに違いない。そして、その途中を見た人は、「なんだ、酒井の票はたいして多くないじゃないか」としか思わなかったのだろう。確かに得票率29%だからそんなに多くはないのだが、昨年12月の区長選での得票率21%と比較すると8ポイント、率にして38%増えている。これを「区長選からほとんど票伸ばせてない」などとは誰にも言えないはずだ。

 だがネットでは、途中経過を見て誤解した人が発したXを、酒井氏やリベラル派をあまり好まない人たちがリポストし、それを仲間内の人たちの誰も指摘しない。指摘するのは酒井氏は支持するものの立民右派を嫌う私のような人間だけということになってしまう。

 ああ、だからXは嫌なんだよ、と思ってしまった。私はやむなくアカウントを開設したが、Xのポストは1件もしていない。

 ところでもう一つ、選挙戦終盤での須藤元気の票をヤマシン(山本太郎信者)たちが狂喜するという現象についても触れておく。

 選挙が終わってみれば、選挙戦中に勢いが変わった候補は2人だけだった。それは前記須藤元気と維新の金沢結衣であって、須藤は伸び、金沢は沈んだ。下記Xで三春充希氏が指摘する通りである。

 

 

 金沢の失速については、巷間言われる通り、維新代表の馬場伸幸が応援演説で「立憲共産党」を連呼して酒井候補を罵り続けたことが金沢候補の足を思いっきり引っ張ったものだろう。そんなのを聞かされた聴衆は、ああ、金沢さんは相当酒井さんに引き離されてるんだろうなとしか思わないだろうし、実際その通りの選挙結果だった。

 一方、須藤氏の伸びに関して、三春氏は24日に山本太郎が須藤氏の応援に入ったことを指摘している。それが須藤氏の表の伸びに影響した可能性を示唆しているとも読めるが、それは大いに疑問だ。

 

 

 なぜ大いに疑問かというと、それは江東区元号新選組政党支持率が低い地域だからだ。同じ東京でも、たとえば中央線沿線とは全然違うのである。新選組は立民ともども城東が苦手なのだ。強いのは公明と共産であって、だから今回の補選でも立民は共産との共闘を選んだのである*1

 同じ三春氏がポストした下記Xが、須藤氏が伸びた最大の要因を示唆している。

 

 

 

 須藤元気に投票した人たちが同氏を選んだ理由の筆頭は、9候補者中唯一の江東区出身者だったことだろう。

 やたらとうるさいばかりの選挙戦だったけど、結局誰が良いのかさっぱりわからなかった。それなら地元の須藤さんを、といった具合に、決めかねたあげく最後の最後に須藤氏を選んだとか、あるいは毎日毎日チャリを漕いで選挙運動をしていた須藤氏に出くわして須藤氏への投票を決めたとか、そんな人たちの方が、山本太郎が須藤さんの応援演説に入ったから須藤さんに決めた、という人よりもずっと多いだろう。第一、区民であっても山本が須藤氏の応援に入ったことなど知らない人の方が圧倒的に多いはずだ。私もXで見なければ知らずに終わるところだった。Xのアカウントを開設したのは今月に入ってからのことである。これほど毎日のように東京15区補選のブログ記事ばかり書いてきた私でさえそうなのだ。江東区民のうちどれくらいの人が山本の須藤氏応援入りを知っていたというのだろうか。

 選挙全体についていえば、これほど外野席からばかり注目されて、区内では盛り上がらなかった選挙は経験がない。肌感覚では昨年12月の区長選と同じくらいの熱気のなさだったが、実際の投票率も区長選と同じくらいだった。これが衆院選参院選の本選だと、候補者の顔写真が貼られた掲示板の前で何やら話をする夫婦とか友達同士とかが結構いるものだが、今回はそうした場面に遭遇することがほとんどなかった。だが補欠選挙の注目度はそういうものであって、投票率が本選よりもずっと低くなるのが普通なのである。今回の東京15区補選もその例に漏れなかった。

 それにしても、外野席から聞こえてくる選挙評論が選挙区内にいる人間にとって的外れなものばかりであることがよくわかった。的外れの選挙評論についてはこれまで大濱崎卓真や安積明子の具体例を挙げて批判してきた。

 今日は4月の最終日。ようやく一区切りつけられる。あとは読書・音楽ブログに短い記事を公開し、その告知記事を出したら今月の更新は終わりになる。

*1:なお実は私は毎回の都議選では共産党候補に投票している。立民候補と公約を比較すると、どうしても共産候補を選ばないわけにはいかないからである。私は、共産党の体質への批判を強めた現在であっても、国政選挙でなければ共産党への投票に抵抗を全く持たない人間だ。