kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

小池百合子を応援した港区長は落選したのに、小池は支援してもいない清家愛次期区長にすり寄った(呆)

 まだ都知事選出馬表明をしていない小池百合子が港区長選を制した清家愛氏にすり寄って失笑を買っている。

 

 

 

 事実関係は清家氏が「朝、知事から都庁に来てほしいと急に電話があった」と語った」とある通りだ。小池自ら清家氏にすり寄ったのだ。

 

 

 

 

 小池百合子の「勝ち馬」オーラか。

 それは2023年12月のやり直し江東区長選の頃にはまだあった。

 あの選挙に最初に手を挙げたのは「おっさん東大生」猪野隆だっただろうか。次いで立民の江東区議、酒井菜摘が手を挙げた。弊ブログの過去記事を見ると、酒井は区長選出馬のために立民を離党したという。先の衆院東京15区補選では立民公認だったが、そこは地方選と国政選挙の違いだ。小池百合子も毎回無所属で立っているから、産経新聞やテレビの無責任コメンテーターたちの蓮舫批判はおかしい。

 2024年4月の衆院東京15区補選の時点では「オーラ」は完全に失せていた。わずか4か月前に勝ちを確信して余裕で大久保朋果の応援演説をしたばかりの小池は、自らが有権者の情に訴えれば劣勢をはね返せるとでも思ったか、自ら吹き込んだ乙武洋匡応援応援メッセージの録音を区内の固定電話に片っ端からかけさせた。私自身も小池の音声を聞いて、小池の執念に背筋が凍りついた。党開票日前日に四つ目通りを歩いていたらは、その聞き覚えのある音声が乙武選挙カーから聞こえてきた。明らかに小池自身がウグイスを務めていた。しかし選挙結果は超極右の飯山陽の後塵まで拝しての5位という大大大惨敗だった。乙武洋匡という小池が打った駒が悪かったのは確かだが、ここまで自らの神通力が失せていようとは小池自身にも計算外だったのではないか。

 たった4か月でこんなに変わってしまう。

 今、下記の本を読んでいる。

 

www.chuko.co.jp

 

 フランス革命時の流れの変化の激しさはすさまじかった。革命初期の1790年7月には皆が「国民、国王、国法!」叫んでいたのに、それから2年半後にはルイ16世は断頭台の露と消えた。それを思えば、わずか4か月で小池の「勝ち馬オーラ」が失せようが驚くことはない。

 ただ現時点で都知事選の投票が行われるなら、まだ小池が若干有利とみられる。テレビ(のワイドショー)も、大阪で維新が受けているような全面的支援を今のところ小池に向けて懸命に送っている。

 問題は、小池が都知事選に出てしまうと、任期を終えた時には75歳になるから国政への復帰はほぼ不可能になることだ。勝った場合でもそうだが、仮に蓮舫に負けるような事態になればその瞬間に小池の政治生命は事実上断たれる。

 

 

 私は別に立民の支持者ではないので、小池が出馬を諦めてくれた方が精神衛生上良い。なにぶんガチガチの反小池なもので、小池が勝つかもしれないと思うだけでぞっとする。でも都知事選に出ない場合には衆院選への出馬もあり得る。もんくま氏は東京9区に出てこられたら山岸一生衆院議員でも勝てないと言っていたが、15区に出てこられたら酒井菜摘衆院議員はもっと勝てない。自民党の江東総支部は強烈な反小池らしい一方、江東区には小池の腹心たる大久保朋果区長がいる。まあもんくま氏が書いた通り、かつて刺客として小林興起を完膚なきまでに叩きのめした東京10区が一番ありそうだ。でもその場合、小池は自民党公認で出ることになる。果たしてそんなことを小池がするだろうか。

 

 

 小池は都知事選にも衆院選にもテレビにも出ないで、故郷の芦屋にでも帰って隠居してくれるのが一番良い。小池は子ども時代に兵庫県芦屋市東北部の阪急沿線に住んでいたとの情報がある。

 

mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp

 

 以下引用する。ブログ主は会津出身で東京在住の方のようだ。

 

しかしなあ・・・

YouTubeで多数のチャンネル登録者を抱える「一月万冊」で、主とそのお知り合いのジャーナリスト(?)氏が小池百合子さんの生家を兵庫県芦屋市に訪ねるというビデオを上げていた。

「芦屋のお嬢様」となれば、関西圏ではとんでもないステータスらしく、東京だと「田園調布のお嬢様」や「成城のお嬢様」という感じだろうか(芦屋は大阪市や神戸市の中心街ではない、六甲の丘陵地に在るから、東京都心部の「番町のお嬢様」や「麻布・白金のお嬢様」ではないだろう)。

小池さんはその「芦屋のお嬢様」であることも、「カイロ大首席卒業」と同じほどに自ら喧伝してきたらしいのだ。

ところがその生家は、芦屋のいわゆる「六麓荘の大邸宅群」と遠く離れてはいないが、阪急電車の、家を揺るがしかねないほどの甚だしい通過音に悩まされること必定と言える位置にある、大きくもない敷地に在ったことが報告されるのだ。

この出自こそが成り上がりたいという彼女の欲求の源泉だ、という論調だった。

いやはや。

 

(中略)

 

実にくだらない。

そしてもっとくだらないのは、そういう構図の中、自分が下だったことに僻みを感じ、それを克服することを超え、同じ構図で頂点に立つことを人生の目標とする精神だ。

 

URL: https://mnemosyneoforion.blog.ss-blog.jp/2024-05-28

 

 いや本当。小池百合子というのは実にくだらない人生を生きてきた人だと思う。