兵庫県民・ぷろもはん氏のXより。
この期に及んで、まだパワハラ知事を維新は庇い元県民局長への嫌がらせをしてたのか…
— ぷろもはん🕊🌈💙💛 (@promoterno26) 2024年7月9日
人として赦せない
斎藤知事のパワハラを告発した兵庫県元幹部が死亡 百条委員会出席で紛糾していたプライバシー問題 https://t.co/qx5NNkFzYW #デイリー新潮
弊ブログは過去4度兵庫県知事・斎藤元彦の名前が登場している。そのうち、斎藤が兵庫県知事選に当選した2021年7月12日の記事を再掲する。今からちょうど3年前の記事だ。
東京都議選では都民ファ□ストの会が「踏みとどまり」、自民党への失望の受け皿として有権者がまず選ぶのが「野党共闘」などではなく「第三極」であるという冷厳な現実を改めて見せつけられたが、兵庫県知事選でも、維新が念願の兵庫県侵略を成功させる恐れが強まった。下記は三春充希氏のツイート。
兵庫県知事選挙の情勢報道を更新しました。
— 三春充希(はる)⭐2021衆院選情報部 (@miraisyakai) 2021年7月11日
7月6日の神戸新聞では「斎藤氏と金沢氏競り合う」、10日の読売新聞では「2氏が競る」、10日の毎日新聞では「斎藤氏一歩リード、金沢氏が追う」、11日の神戸新聞では「斎藤氏やや優勢、金沢氏追う」と報じられています。 pic.twitter.com/urLYdmVopE
この兵庫県知事選は周知の通り自民の分裂選挙となっており、自民系の副知事・金沢和夫が現井戸敏三知事の後継を狙っていたのを許さじとする維新が元大阪府財政課長・斎藤元彦(出身は兵庫県)を送り込み、自民党兵庫県連が真っ二つに割れ、自民党執行部(菅義偉政権)は維新とべったりなので斎藤を推し、関西では全くふるわない立民が金沢を推す構図になっている。要するに、金沢もろくでもないが斎藤は論外という、やはり第三極がしぶとさを見せた4月の名古屋市長選でもおなじみのパターンだ。だが名古屋市長選と大きく違うのは、名古屋市では河村たかしの腐敗市政が既に長年続いているのに対し、兵庫県では維新が旧自民の牙城を崩そうとしていることだ。
維新は2017年頃に党勢がもっとも落ち込み、同年の衆院選では関西でも維新が立民にかなりの票を食われたが、その後巻き返し、特に一昨年(2019年)から昨年にかけて党勢を拡大させた。その一環が昨年春に吉村洋文をマスメディアの寵児に仕立て上げるのに成功したことだ。
しかしその後、吉村が「K値」だの「イソジン発言」などで馬脚を現したのとはじめとして維新は一時の勢いを失いつつあった。だが、情勢は二転三転する。最近では吉村の数々の失政よりも菅義偉政権のあまりのていたらくの方がより強い悪印象を与えるようになった。そうなると、自民離れを起こした有権者がまず選ぶのは立民と共産を軸とする「野党共闘」ではなく維新だの都民ファ□ストの会だのといった「第三極」であるのは当然だろう。遅く自民離れをする層はもともと保守的なのに決まっているからだ。
そこには、自民離れをしたつもりなのに菅義偉が昔から維新とべったりの関係にあるため「敵の敵は味方」になってしまうという大きな矛盾があるのだが、そんなことは風任せで維新を選ぶ有権者たちの知ったことではない。だから上記のような兵庫県知事選の情勢になってしまうのだ。
東京都議選でも小池百合子に甘い顔をして都ファの「踏みとどまり」を歓迎した「リベラル」が少なくなかったが、こうした冷厳な現実を直視すべきだろう。
URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2021/07/12/072358
3年前の兵庫県知事も、選挙戦当初は井戸前知事の後継候補にして自民党系、立民も応援した副知事(当時)の金沢和夫が斎藤とほぼ互角と見られていたが、選挙戦が進むにつれて斎藤が金沢を引き離していったようだ。今回の東京都知事選で、選挙戦が進むにつれて、というより選挙戦前のかなり早い段階で石丸伸二が出馬の意向を表明した時点から無党派層の票を食っていった。
2021年兵庫県知事選では、結果は維新と菅義偉(菅は関西の自民党など簡単に見捨てて維新と結託していた)の狙い通りになった。確か自民党の兵庫県議のうち11人が斎藤についたと記憶する。
今回の都知事選では、早くから自民と維新が石丸に触手を伸ばしていたことが明らかになっている。
蓮舫にはかつて彼らと同型だった時期が長かった。だから蓮舫には自身の人気に対する過信があったのかもしれない。22年参院選で大量に減らしたのをおそらく泉健太「だけ」のせいにしていた可能性がある。
確かに泉は立民の比例票の3分の1以上を流出させた。私も参院選での蓮舫の大量得票減はそのせいだろうと思っていたが、今回の選挙結果に接して、それだけじゃなかったんだなと思うようになった。
ひとたび流れに乗れなくなると、得票力が激減するタイプ。これまでの蓮舫はそういう型の政治家だったのではないだろうか。
ここで重要なのは、惰性力を作り出す権力者たちの奸計だ。
たとえば今回蓮舫に対するネガキャンで最大のものは「蓮舫は批判ばかり」というフレーズだった。
しかしその前段として「批判=悪」という風潮がある。これは私の子ども時代にはなかったものだから、ある時「批判なき政治を目指す」と言った自民党参院議員が現れた時にはびっくり仰天した。今井絵理子である。
私は「何言ってんだこいつ」としか思わなかったが、上記にリンクしたハフポストの前編集長・竹下隆一郎氏(肩書は当時)は「なんとなくだが、今井氏の気持ちが分かってしまう自分もいた」と書いている。つまり、基本的には否定的だが共感できる部分もあると告白していたわけだ。
このように、権力に従順な人間づくりを自民党の右派、特に故安倍晋三や下村博文はそういうことを熱心にやってきた。第1次安倍内閣で成立した「改正教育基本法」はその典型例だろう。
だから、まだ「批判=悪」の刷り込みが強くなかった2010年や2016年の参院選で大量得票できた蓮舫が、一昨年(2022年)の参院選では2010年参院選の3分の1しか得票できなかったのではないだろうか。その傾向が都知事選での惨敗につながった。
現在、弊ブログにうるさい右翼のコメンテーターがいて、今井絵理子を評価しろと言ってうるさくて仕方ないのだが、私にとっては「批判なき政治」というスローガンだけでも、今井など門前払いの対象でしかない。ほかにいくら良いことを言ったりやったりしていたとしても、根本の考え方に大きな問題があるのだ。