昨日公開した下記記事に、新選組系の生活ユニオン広島(さとうしゅういち)さんからコメントをいただいた。
コメントありがとうございます。さとうさんと初めてリアルでお会いしたのは岡山で、静岡県知事選で川勝平太が初当選した日だったと記憶しているので調べてみたら、政権交代直前の2009年7月5日ということになります。当時私は高松市民で、高松から岡谷まではマリンライナーで55分くらい。さとうさんは当時広島県東部の福山にお住まいで、福山から岡山までは当時存在した快速のサンライナーで50分くらいでした(現在はサンライナーは廃止されたので1時間2分ほどかかるらしい)。この知事選では東京以上の凄まじい猛暑に見舞われた北関東の某人士、最近はidコールだけはやめてくれたようなので、そのおかげで「はてなからのお知らせ」が少しは使いものになるようになったが、その人士との絡みが最初期でもありました。さとうさんとはその後2010年代に東京でもお会いしたことがあります。
現在では私は一社民主義者でさとうさんは日本版(?)MMTに立脚した経済政策がウリの一つだったらしいけれども最近は怪しくなってきている新選組系という立場の違いもありますが、人としてさとうさんを信頼しているので、あえて厳しいことを以下に書きます。
昨日、上記記事を公開したあと、最近ではすっかり見に行かなくなっていた『世に倦む日日』のnoteを見たら、参院選での新選組の伸び悩みについて論じた記事が公開されていた。
私は『世に倦む日日』は大嫌いだし信頼もしていないが、弊ブログの昨日の記事より数日前に、私が野田佳彦や泉健太について書いたようなことを、新選組代表の山本太郎について書いていたのだった。以下に引用する。
さて、参院選で野党が伸びなかった問題に焦点を当てたい。まず、期待倒れだったれいわ新選組からである。昨年の衆院選で比例380万票を獲得し、公示前議席を3倍増させて躍進を遂げたれいわ新選組が、今回全く伸びなかった。比例票は横ばいで頭打ちとなった。何より、6月の都議選でゼロ議席(参政党は3議席)だったという事実に大いに落胆させられる。どうやら浮動票を参政党に奪われたらしい。党執行部はどのような総括をしているのだろうか。れいわ新選組が選挙で大いに注目され、脚光を浴びて期待を集めたのは6年前の参院選だった。私は7月から8月にかけて6本の関連記事を上げ、「改憲3分の2阻止の功労者は山本太郎」と書いている。「幹事長を選んで支持率5%の政党にせよ」とか「政策構想のベストセラー本を出せ」とも言っている。昨年の衆院選で勢力を伸ばしたが、この6年間の党の歩みは期待外れのままだった。相変わらず山本太郎のワンマン政党のままだ。
山本太郎の個人商店の政党運営であり、そのスケール感で止まっている。この政党は何がやりたいのか、何を理念に掲げ、どんな価値を追求しているのか、それがよく分からない。という不満を6年前からずっと言ってきたが、解消されなかった。前回記事で説明した3本の対立軸について、れいわ新選組はどう位置取りをするのか。その点が不明であり、政党のレゾンデートルがよく分からない。参政党はよく分かる。参政党はまさしく"ザ・日本会議"の党で分かりやすい。新しい政党だが、非常に古い政歴と岩盤を持った政党でもある。政党の党名は党の政治理念を示す。れいわ新選組では意味不明で、どういう社会をめざすのか分からない。山本太郎の個人商店だということは分かるが、山本太郎が何を考えているのか分からないのだ。6年間見てきた印象を言えば、何も考えてない、何も勉強していないという悲観的な結論に辿り着く。政党の党首ではなく、東京都知事をめざすのがよいのではないか。
なんと参政党を引き合いに出すという立論の仕方まで似ている。しかも公開は向こうの方が先だ。私は自分の記事を公開した後にこれを読んだので、影響は受けていない。しかし、対象が立民と新選組の違いはあるが、同じようなことを考えるものだと思った。しかも、上記引用文中で赤字ボールドにした部分には、実は私も全面的に同感なのだ。新選組も立民と全く同じ問題を抱えていると思う。
参政党については少し意見が違う。「ザ・日本会議」の党だといえるのは日本保守党であって、この党は参政党と国民民主党(民民)に水を開けられている上、党内で百田尚樹と河村たかしが内紛を起こしている。
山本太郎が何も知らないことは、少し前に金利と債券価格の関係という、何を読んでも「金利の上昇(債券価格は低下)」と決まって書かれているくらい論者たちに厳しく注意を促されている事項さえ勘違いしてしまったことに端的に表れている。山本太郎は単に口真似が上手いだけなのだ。だから松尾匡に理論の拡散者にしてアジテーターとしての才能を利用されているだけだと私は考えている。山本とは、松尾にとって利用しがいのある人間だった。最近はそれが少し怪しくなってきて、参院選では奥田芙美代を偏愛した結果、党の経済政策の責任者である長谷川羽衣子の得票が減った。党の参院選比例区での得票率は2022年の4.4%から6.6%へと1.5倍増やしたのに、長谷川の得票はおよそ2割も減った。党の比例票に占める長谷川のシェアは約半分に減ってしまったのだ。それと同時に、山本は一時期言わなくなっていた富裕層や大企業への課税強化をまた言うようになった。これが松尾匡には不満らしく、山本の主張は共産党と違いがわからなくなったとも書いていたが、私には松尾の理論の方に問題があるのではないかと思う。だが少なくともいえることは、山本には経済政策に関する定見がないということだ。だから一時期は日本版MMTに寄りかかっていたが、今では長谷川羽衣子との間に少し溝でもできたのか、ぎくしゃくしている、あるいはフラフラしている。ブレているともいえるが、選挙の際に有権者が敏感に反応するのは政治家の「ブレ」である。昨年の衆院選ではそれで石破茂が嫌われたし、今年の参院選ではそれに加えて連休前に転向して「減税」へと舵を切った野田佳彦が嫌われた。野田はせっかく党内融和に腐心してきたのに、小沢一郎に三行半を叩きつけられた。小沢は今後、江田憲司や泉房穂や森裕子らを従えて政局を起こす選択肢を視野に入れていると思われる。場合によっては立民の分裂もあり得るかもしれない。しかし立民の話は今日の本論ではないのでこれ以上深入りしない。
山本太郎については、結局自らのパターナリズムによって「あなたを幸せにしたい」だけの政治家だと私はみている。
『世に倦む日日』からの引用を続ける。
山本太郎が「マルクスって何ですか」と言ったという話にも失望させられた。松尾匡に「そう言え」と指南されたのだろうか。この発言にはある種の反知性主義の雰囲気すら漂って感心しない。れいわ新選組は、NHKの日曜討論で「資本家」という言葉を使う場面がある。大いに使うべしだが、この言葉はマルクスに依拠した経済学理論をバックボーンにしている者が使うタームであり、そうでなければ、批判語としての「資本家」をストレートにテレビの生放送で使うことはないだろう。日本共産党でもそこは憚って、国民政党の装いをアピールするため、「経営者」とか「大企業」の語に変換する。おとなしく置き換える。批判語としての「資本家」を堂々と用いて経済政策を論じているのに、「マルクスって何ですか」はないだろう。欺瞞的にすぎないか。松尾匡がどういう指南をしているか知らないが、山本太郎とれいわ新選組の限界性は、ブレーンの松尾匡の限界性でもあるように思われる。
私の認識するところでは、松尾匡はレーニンは大嫌いだけれども*1マルクスを軽視するような人ではないから、「松尾が山本に言わせた」という説は首肯できない。むしろ、山本が松尾一派から離れたがっている本心が表れたとみるべきだ。山本と松尾との関係が今後も維持できるかどうかの方が怪しいのではないか。長谷川羽衣子があの「ドイツ緑の党」流のローテーションの対象外となったことは象徴的だ。
三たび『世に倦む日日』から引用する。
れいわ新選組の党員はどれくらいの規模なのだろう。地方組織を順調に建設し、地方議員を増やしているのだろうか。私の周辺では参政党の草の根活動の勢いばかりが目立ち、れいわ新選組の党員やサポーターの影は薄い。今度の参院選は、当初は消費税が争点になった選挙戦だった。その争点についての議論は、年明けから始まり、今年前半ずっとマスコミで喧々諤々されたテーマだった。主要政党は消費減税か緊縮財政かで動揺し、野田立憲が党内闘争の末に緊縮策を引っ込めて食料品消費税率ゼロに転換、石破自民が給付金を打ち上げてはマスコミに叩かれて引っ込め、最後の最後に日和って公約に復活させるという具合だった。その消費税論争に大いに影響力を及ぼしたのは森永卓郎で、財務省解体デモまで発生させるほどの指導力に成長していた。おそらく、森永卓郎の投票先はれいわ新選組だったはずだ。その説得力と社会現象の震度を考えたとき、れいわ新選組が都議選でゼロ議席という結果は納得できない。
本来、森永卓郎が死去して参院選までの半年間、その遺志を継ぐことを明らかにし、消費税論争の主導権を握って中心に位置するべきは山本太郎だったはずだし、その客観的条件や順風環境は十分に持ち得ていたはずだった。例えば、財務省抗議運動にもっと精力的に絡んでもよかった。どこかの出版社と連携し企画して、森永卓郎への追悼文を集めて刊行するとかすればよかった。だが、その半年間、山本太郎のメッセージが聞こえてくることはなく、反緊縮・反消費税の闘士でシンボルたる森永卓郎の絶唱を、れいわ新選組がアンプして選挙に連動させる場面はなかった。反緊縮票はあっさり参政党にかっさらわれてしまった。参院選の公示前、あの橋下徹ですら食料品消費税率ゼロを当然視し、消費減税は国民的正論になっていた。世論をそこまで押し上げたのは森永卓郎の渾身の力による。森永卓郎が国民を説得し、その死によって財務省批判(緊縮批判)の世論が絶頂に達し、れいわ新選組にこれ以上ないチャンスが訪れていた。
最高の好機を逸したように見えてならない。
上記引用文中の最初の段落をXの新選組ウォッチャーたちが読んだら鼻で笑うのではないだろうか。
私もよく知らないが、新選組にはまともな党員制度があるかいえるかも怪しいらしい。地方の組織を強化することは山本の独裁を脅かす可能性があるから山本自身が嫌っているために極端に消極的だというのが彼らの見立てだと私は認識している。岩手県の紫波町ではハラスメント問題が起きて党員(組員)が離党した件が起きた一件があったが、あれは党(組)が問題の存在そのものを認めていない。しかし、ネットの情報によるとどうやら加害者が「緑の党」系の人だったらしく、それが山本と長谷川の関係がぎくしゃくしてきた一因になったのではないかとの推測もされている。 なお地方議員の問題については共産党の三重県津市の件もあり、これについては明日か明後日の記事で取り上げるかもしれない。少しだけ書くと、というか以前にも少し触れたが、津市の共産党県議(加害者側とされる方の人)と今回の参院選で山本太郎が偏愛した奥田芙美代との間には「鉄砲玉」的キャラクターの持ち主という共通点がある。そうそう、それを「なんとかユーゲント」と表現したことを思い出した。今回の参院選でいずれもはかばかしくない結果か、さもなければ惨敗を喫した立民、新選組、共産党はいずれも深刻な問題を抱えているのだ。
話を戻すが「主要政党は消費減税か緊縮財政かで動揺し」などと書く『世に倦む』の対立構造の捉え方自体が「上げ潮派」対「財政再建派」という00年代後半の自民党内対立構造の焼き直しでしかなく論外だ。00年代の後半には、前記の対立構図自体が新自由主義陣営内の内紛でしかないという指摘があって、「小さな政府」対「大きな政府」、あるいは「低福祉低負担」対「高福祉高負担」の議論も行われた。しかしそこに「高福祉低負担」が可能であるかのように唱える日本版MMTが表れた。これはもともとはアメリカの左派の理論だったが、日本に紹介したのは主に右翼系の学者だったために、人脈も左右入り乱れた、というよりむしろ右翼の方が主流を占める現象が起きた。最近の選挙で最初は民民、次いで参政党が躍進したことは、日本版MMTが右翼学者が主に牽引したことと因果関係があるに違いない。自民党内では高市早苗が取り入れた。だから昨年の自民党総裁戦では森永卓郎は大いに高市寄りだったのである。森永は晩節を汚していると私などは思ったものだ。
特に元は自民党安倍派の政治家だったがその後「新党くにもり」を経て参政党に転じ、参院選で当選した安藤裕はキーマンの一人だ。山本太郎がこの安藤を「総理大臣にしたい人」と絶賛したことは弊ブログに何度も書いた。その安藤には松尾匡との接点もある。検索語「安藤裕 松尾匡」でネット検索をかけたら、たとえば下記zakzakの記事がヒットした。2019年の記事である。
以下引用する。
増税否定派が目玉の「MMTシンポ」 参院選の最中に国会で開催
2019.7/23 00:00
参院選が終盤を迎えた16日午後、東京・永田町の衆院第一議員会館内の多目的ホールで「MMT国際シンポジウム」(主催・京都大学レジリエンス実践ユニット)が開かれた-。日本経済新聞(17日付朝刊)、産経新聞(同)、東京新聞(同)のみの報道だったことからも分かるように、それほど大きな話題にならなかった。
だが、このシンポの目玉が、「MMT(現代貨幣理論)」の提唱者である米ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授の講演だったことから、一部関係者の強い関心を集めた。後日、各紙は同氏のインタビュー記事を掲載した。
さらに言えば、10月からの消費税増税実施を決断した安倍晋三首相が連日、全国遊説している最中に、増税に否定的な見解を主張するケルトン氏を招請したことも、注目されたゆえんである。
何故ならば、主催責任者が昨年まで安倍政権の内閣官房参与だった藤井聡・京都大学教授であり、シンポ実現に協力したのは自民党内のMMT派とされる、安藤裕衆院議員と西田昌司参院議員であるからだ。
そして、藤井氏以下、他の講演者の岡本英男・東京経済大学学長、松尾匡・立命館大学教授は、この間、消費増税反対の論陣を張ってきた面々である。
そもそも、MMTとはどのような学説なのか。主催者配布のパンフレットは次のように記す。
《「自国通貨建ての国債では破綻しない」という「事実」、ならびに「国債に基づく政府支出拡大は、経済成長を促す」という「事実」の双方を踏まえつつ、「デフレ脱却までは、国債に基づいて政府支出を拡大すべき」と主張するもの》
要は、日本のように自国通貨を持つ国は債務返済に充てる貨幣を無限に発行できるため、財政赤字が大きくなっても問題ないということだ。
金融政策よりも財政政策を優先すべきとするケルトン氏は講演後の会見で、「あまりにも中央銀行に依存すること(=アベノミクスの異次元緩和)は支持しない」と述べた。その上で、消費税増税についても改めて「適切な政策ではない」と断じた。
だとしても、「打ち出の小づち」となるMMTは、財政赤字のツケを中央銀行に回す「財政ファイナンス」を促すため、ポピュリズム的な政策に利用されやすいとの指摘があることは留意すべきである。
どうやら安倍首相は、神様がインフレは未来永劫(えいごう)発生しないと約束してくれないので、財政再建の道を選んだのではないか。(ジャーナリスト・歳川隆雄)
URL: https://www.zakzak.co.jp/article/20190723-RZVHWOUMPJN5ZB5OLZ7VSUSGJQ/
つまり安藤裕は松尾匡の「(日本版)MMT仲間」だ。その意味で、新選組と参政党は「根を同じくする」面が間違いなくある。先に三春充希氏がメンバー限定のnoteで、伸び悩んだ新選組には参政党への警戒心を欠いていたと書いていたが、それはあまりにも見方が甘すぎるのであって、新選組と参政党とは根を共有している部分があるから、その部分まで否定すると自己否定になるから完全には否定し切れないとみなければならない。
そして『世に倦む』が指摘した通り、参政党の理念が明確であるのに対し、新選組は山本太郎が自らのパターナリズムをもって「あなたを幸せにしたい」という情念を持っている以上の理念は何もない。どんな社会を目指すのかといえば、全知全能の山本太郎が「あなたを幸せにする」社会という荒唐無稽な絵しか浮かんでこない。しかもかんじんかなめの経済政策について山本自身がブレ始めているようにみえる。これでは投票先を「新選組か参政党か」で迷っていた多くの有権者たちが参政党を選んだのも無理はない。
都議選の前に、選挙ドットコムのキャスターである元都ファ都議の鈴木邦和氏が「衆院選で新選組に投票した人が一部参政党に流れている」と指摘して「右左では説明できない部分がある」と言っていたが、それは鈴木氏が新選組を左派政党であると認識していること自体が間違っているのである。参政党は明確な極右政党だが、新選組は党名に現元号と幕末の白色テロ集団名を掲げていることからも明らかなように、佐幕とも尊皇ともつかないがおそらくそのいずれかであろうと思われる政党名だ。少なくとも党名には「人民」も「民主」も「社会」も出てこない。つまり党名自体からは左派やリベラルのイメージは全く思い浮かばない。しかし支持者には左翼が多い。要するに右か左かもはっきりしない鵺のような政党なのだ。山本太郎自身は2013年に「保守ど真ん中」を自認していたけれど。
その新選組は昨年の衆院選で比例ブロックの得票率7.0%だったが参院選で6.6%にわずかながら落とした。三春充希氏のグラフに現れていた通り、衆院選後も3月頃までは支持を伸ばしていた。それがその後の4か月間で党勢を急落させたということだ。『世に倦む』が指摘した通り、その傾向は都議選ですでに表れていた。新選組は民民には票を食われなかったが、根っこの一部を共有する参政党には大きく票を食われた。それもかなり大きく。このことは民民と参政党の違いを論じる際にも考慮されるべきことだ。
参政党とは新選組の急所だった。参政党が伸びたことがどうやら新選組の致命傷になりそうだ。新選組が立憲民主党と同様にどのような社会を目指す政党なのかがはっきりしない以上、そうなる運命しかあり得ないように私には思われる。
そう!立憲って何やりたいかわからんのですよ。これでは話し合いのしようも無い。