kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

立民の「9.11陰謀論者」藤田幸久が次期衆院選で茨城2区から出馬の構え(怒)

 立憲民主党きっての陰謀論者・藤田幸久衆院選に出馬するらしい。なにしろこの御仁、「9.11陰謀論者」として昔からあまりにも悪名高い。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 藤田幸久衆院選出馬など論外の一言に尽きる。立民が民民からこいつを引き抜いたことを批判できない立民支持者はオザシンやヤマシンの陰謀論体質を批判する資格さえないと言っても過言ではない。

 以下、上記ブログ記事から引用。

 

ところで、7月の参議院議員選挙のとき、比例名簿の中の藤田の名前を見て、立憲民主党と書く気持が萎えて、社会民主党と書いたのだった*1。でも、その社会民主党立憲民主党に吸収合併されることになるの?

 

 私は2017年10月の衆院選の時から、立憲民主党に対して悪い予感を持っていたので比例で立民に投票したことは一度もない。選挙区も希望の党から憎むべき候補者が立ち(選挙区では某IR野郎に負けたものの比例復活しやがった)、立民の候補はいなかった。今年の参院選東京選挙区では音喜多駿を落とすために立民の山岸一生に投票したが落選した。

 当時持っていた悪い予感は、立民が「小池百合子の背中をまぶしく見ていた」蓮舫と、某都会保守氏がいうところの「前原誠司の秘蔵っ子」山尾志桜里を相次いで入党させたことによってすぐに現実になった。今年の参院選でも比例は社民党に入れた。だから吸収合併なんてことになったら困る。

 しかし幸か不幸か、「桜を見る会」とIR疑獄のダブルパンチでさしもの安倍内閣支持率と自民党支持率にかげりが見られ、一時有力視されていた来年の通常国会開会早々の解散総選挙の可能性がやや薄らいだことで、立民・民民・社民の合流話もトーンダウンし、特に立民と民民とは何やらいがみ合ったり、前原誠司が文句を言ったりしているようだ。前原については、小沢一郎ともどもあれだけの悪行(「希望の党」設立騒動)を引き起こしながら今も政界にとどまっていること自体が腹立たしいが。

 「桜」やIR疑獄とともに、野党間のゴタゴタも2020年に持ち越される。

 いずれにせよ、新たな10年紀の最初の年なのか、それとも現在の10年紀の最後の年なのかがやや曖昧な2020年は、政界がここ数年にない波乱含みになる可能性が半分くらいはある。あとの半分は、結局衆院選で自公や維新が現状程度か、下手したらそれ以上の議席を獲ってしまい、「崩壊の時代」がいよいよ暗さを増す可能性だ。この可能性を考えるだけで鬱になってしまうが。

 鍵を握るのは野党よりもむしろ、安倍政権の自壊がどの程度進むかと、安倍晋三の気力及び体力がどのくらい持ちこたえるかではないか。無論、今年共産党の田村智子参院議員が見せたような野党議員の奮闘も不可欠ではあるけれども。

「原」と「腹」、「おほをか」と「オーオカ」のアクセント

 言葉、特にアクセントの話が中心なので、読書ブログではなくこちらに載せる。

 プロ野球阪神タイガースが二リーグ分裂後で空前にして今のところ絶後の日本シリーズ優勝を果たした1985年に大岡昇平が書いた日記を収めた『成城だより III』(中公文庫)より以下引用する。6月9日の日記より。なお引用文中にはこの日記のNGワードが派手に含まれているが仕方がない。また原文の傍点を太字にて表記した。

 

 丸谷才一「文学の研究とは何か」(群像)にて国文学者を相手にされるは御苦労様なれど、「巨人の腹」文學界には、巨人の原辰徳につき、ちょっと異議あり。「ハラ」が「原っぱ」の如き頭高アクセントより「腹」の平坦なる尻上りアクセントに変じるを難ず。丸谷先生もとより専門家はだしの見識あれど、小生先生より十六年長く歳月を生きしせいか、「原」なる小学校の友人、「ラ」より「ハ」にアクセント移りて七十歳にて没せるを知る(無論原辰徳の出現以前)。

 渋谷の小学校では近くに「代々木のラ」あり、むろん「ラ君」なりしが、後に知人の親族となりて、小生自身「少年」執筆時(一九七四―七五年)に電話にて昔話せし時は、知人も小生も違和感なく「ハ君」と呼べり。

 小生自身の姓も五十年の間にアクセント変化せり。かつて大岡越前町奉行所時代、米価高騰せる時、「ほかあいはねえ、たった一膳」の落首あり。これは「オカ」と頭高のアクセントではなくては成立せぬいい替えなり。事実、小生小学生より「オカ」と(旧カナ「おほをか」)と呼ばれて、旧制高校まで来たが、旧制高校二年の末に会いし、小林秀雄「オーオカ」とフラットに呼びしより、中原中也その他友人みなそう発音す。「オオオカ」なる愚劣なる戦後のカナ表記ふさわしくなる。

 これは東京語の「アクセントのややあと高の平坦化」とでもいうべきもの(ジンがビジンとなる)の一環かも知れないが、オカが必ず頭高にならぬ場合あり。それは横浜の「大岡川」の如く、あとに何か体言が付く場合なり。「オーオカガワ」「オオオカヤマ」と平らにいう。

 思うに、原君が「ラ」より「ハ」になったのは、大正十年原敬暗殺され、「ハラケイ」「ハラ首相」の名、尻上がりにマスコミに氾濫したるせいに非ざるや。戦後嗣子原奎一郎氏に会いし時も、「腹」のハラだった。おだやかなしゃべり方を旨とせる大正十四年以来のいわゆるラジオ放送語とともに「原」が「腹」に定着したのではあるまいか。あまり自信はないが、素人の仮説として提出しておく。

 ただし丸谷先生の「見れる」「来れる」「出れる」に対する弾劾は支持す。「投げれる」はもと上方方言にあり、大勢はいかんともしがたしとするも、「出れる」のでれっとした語感には我慢がならぬ。断固抗戦して死すべし。

 

大岡昇平『成城だより III』(中公文庫 2019)143-145頁)

 

 最後の「ら抜き言葉」は、上方にも多少はあるだろうが、それよりも中部(名古屋など)や中国(岡山など)が本家本元ではないかと思う。

 しかし、本論の「頭高アクセントの衰退が放送の影響だろう」という大岡昇平の説には強い説得力を感じる。

 昔の東京では「赤とんぼ」を「カトンボ」と発音したという話は、山田耕筰が1927年に作曲した歌をめぐるエピソードによってよく知られている。この歌については山田がシューマンからメロディーを盗用したのではないかとの疑惑も知られており、この日記でも以前取り上げたことがあると記憶する。それを延々と書くと「読書と音楽のブログ」向けの話になるから止めておいて、いくつかリンクと引用文を掲げるにとどめる。

 

cosmusica.net

 

山田耕筰 作曲「赤とんぼ」

“赤とんぼ”のイントネーションを心に思い浮かべてから、一度聴いてみて下さい!

 

 

皆さんが頭に思い描いた“赤とんぼ”のイントネーションと違ったのではないでしょうか?
現在の“赤とんぼ”のイントネーションでは「あ」より「か」の方が高い音が当てられていますが、この曲では「あ」より「か」の方が低い音符が当てられているので「赤+とんぼ」というイントネーションに聴こえると思います。

ではどうして山田耕筰さんはこのようなメロディーをつけたのでしょうか?

それにはさまざまな説があるのですが…
ひとつには、日本の作曲家である團伊玖磨さんが直接作曲家の山田耕筰さんに伺ったところ、明治期以前の江戸弁では「赤+とんぼ」というイントネーションだったから、と答えたという話があります。

山田耕筰さんは“各国の音楽の源は、その国の言語にある”という考え方であったため、日本語の言葉のアクセントにとても忠実に作曲していたようです。

 

出典:https://cosmusica.net/?p=1766

 

 

sawyer.exblog.jp

 

山田耕筰」の歌曲が特に秀でている理由は、日本語のイントネーションやアクセントがそのままメロディに生かされている点にある。」
「日本がヨーロッパ近代音楽を取り入れようとした時の最大の問題が、このヨーロッパの歌曲風のメロディと日本語をどのように結び付けるかであった。」
「その中で耕筰はその鋭い耳によって日本語のアクセントが高低アクセントであるということを感覚的に感じ取ったのである。」
「そしてそのアクセントをメロディと融合させることによって「からたちの花」を初めとした名曲の数々を世に送り出していった。」
「いかに彼の影響が今日まで日本の音楽に影響しているかを感じ取ることが出来る。」
「一音一音に母音を伴う日本語の魅力を、その響きとつながりの中に見いだし、言葉の美しい音の線を描き出すことを、最も重要視していることを実感した。」

これら山田耕筰の作品の持つ特徴と、評価が有るにも拘らず、「赤とんぼ」ではその特徴がない・・・・「それではここはどうなんでしょう」と言って指摘をした人が、「團伊玖磨」であった。
恐らく「團伊玖磨」は今までの山田耕筰の作品と、「赤とんぼ」を比較して、「ゆうやけこやけのあかとんぼ」の出だしの「あかとんぼ」の「あか」に言及し、「か」・・・つまり「あ」にアクセントを置くのは山田らしくない、あなたの作曲法に反しているのはなぜか・・・と問いただしたというのだ。小生はこの指摘の背景には、「シューマン盗用説」が存在するのではないかと睨んでいる。・・・つまり山田にしては作曲法がおかしいから、このメロディは無理やり・・・・シューマンから盗ってきたもの・・・と本当は言いたかったのではないか・・・本来なら「あ」にアクセントが置かれなくてはならないはずだということは、「シューマン盗用説」に立脚してのことであろう、と推測してしまう。

しかしこの論争は「團伊玖磨」の完全敗北であった。その理由は明治期以前の江戸弁と、いつの間にかそうなったいわゆる「標準語」の相違があって、山田は伝統的なアクセントを採用したから、「あ」にアクセントを置いた。念のため下町の古くからの江戸っ子に、あるいは古典落語家に聞いてみると、やはり「山田」の言通りだったそうである。山の手の住民「團」はそのことを知らなかったのである。

 

出典:https://sawyer.exblog.jp/1649821/

 

 2つ目の引用ブログでは、下町と山の手の言葉の違いのせいにしているが、そうではなく、江戸弁とNHKを介して広められた「標準語」の違いだろう。なお山田がパクった疑惑を持たれているシューマンの「ピアノと管弦楽のための序奏とアレグロニ短調作品134の副主題は、本当に「赤とんぼ」にそっくりだ。40年以上前にそれと知らずにFMラジオで初めて聴いた時には、あまりによく似ているのにびっくり仰天したものだ。

  山田耕筰から連想して思い出したが、来年の朝ドラのモデルはプロ野球の読売と阪神の応援歌を作曲した古関裕而らしい。それでなくとも来年のヤクルトはDeNAともども東京五輪のせいで一時本拠地が使えなくなってホームゲームを東京ドームで開催させられるのでむかついているというのに。しかも古関には戦争に協力した悪行もある。これも以前にこの日記に書いた。

 関東の言葉、特に固有名詞のアクセントでは、丹沢山系の最高峰「蛭ヶ岳」を藤野の宿の主人が「ルガタケ」と頭高アクセントで発音するのを2005年に聞いた。また、ヤビツ峠付近で秦野市民のおばさんが「塔ヶ岳(塔ノ岳)」を「ウガタケ」と頭高アクセントで発音するのを聞いたのは3年前の2016年だ。つまり今でも関東の言葉に頭高アクセントは生きている。

 私が子ども時代を過ごした関西でも、私の親世代の人が「住吉」「川口」「西川」などの固有名詞を頭高に発音するのをよく耳にしたが、今ではどうだろうか。いずれも2音節目をもっとも高く発音する人が多いのではなかろうか。

 放送による人工語の影響を強く受けているのは何も東京ばかりではなく、大阪(関西)も同じなのではないかと私は疑っている。

 

 なおプロ野球に関して読売に最後っ屁をかましておくと、今年もFA宣言をした選手を強奪しようとした読売が、争奪戦でいずれも敗れ去ったのはいい気味だった。

 大岡昇平は、長嶋が読売に入団した頃は読売ファンだったらしいが、のち長嶋が川上に媚びたプレーをしたのを機に読売離れを起こし、アンチ読売に転じたとのこと。1985年にはにわかタイガースファンと化していた。以下再び『成城だより III』から引用する。

 

 小生神戸在住中、阪急西灘駅より通勤せるため阪神にはむしろ反感あり。投手本位の弱い阪急のヒイキなりしが、北杜夫氏の異常なる熱狂、球場前のファン路上取材にて、ギャルが予想を聞かれてほほえみつつ「負けるんじゃないですか」と答える倒錯的愛好には驚嘆す。

 われもともと大鵬、巨人、玉子焼にて、極めて健全なる趣味を有せり。立教時代より長嶋のファンなり。引続き巨人ファンなりしも、川上に媚びて、広岡バッターの時、本盗失敗を演じてより英雄失墜す。同時に巨人という球団自体がいやになってしまった。(このころからひがみっぽくなった)。江川問題あってより、ますますアンチ・巨人となり、一時読売新聞を取るのをやめていたことがある。

 却って広岡のファンになりて、ヤクルト―西武と変転して、今日に至る。しかし今年の打の阪神に再び英雄を感じ勝たしてやりたい気がして来た。常になく力入る。逆転勝ち多く、うさ晴し効果あり。放送延長につき合い、解説もよく聞き、テレビ視聴時間三時間を越ゆ(七時から放送始まるから、ニュースは夜の六時三十分のTBSから見る)。眼に悪し。睡眠時間ずれて生活のリズム狂う。本も読む時間ますます少なくなる。

 

大岡昇平『成城だより III』(中公文庫 2019)140-141頁)

  

 思えばこの頃がプロ野球人気の絶頂期だった。1985年のヤクルトは2年ぶりの最下位に終わり、いいところが少なかったが、8月に後楽園球場での読売戦で荒木大輔江川卓に投げ勝ち(確かこれが荒木のプロ2勝目で、この試合を契機に荒木は主力投手に成長した)、雨中の試合となった翌日も打線が西本聖も打ち崩し、先発の梶間健一が読売打線を抑えて連勝した。私も(大岡昇平と同様に?)1978年に初めてヤクルトを応援したのだが、翌年以降再び弱小チームに戻り、特に1982年以降は読売を助けてばかりだったのですっかりヤクルトから心が離れて「応援チームなしのアンチ読売」に戻っていた頃だったが、ヤクルトは前年の1984年8月に神宮で読売を3タテし、この年は敵地での前記の連勝、そして翌1986年10月には神宮で読売を地獄の底に突き落としたブロハードの「神が打たせた正義の一発」(槙原寛己からの逆転2ラン)が飛び出すなど、普段ヤクルト戦では勝ちを計算していたであろう読売に、毎年勝負どころで痛撃を与えていた(王貞治が監督を務めたこの3年間、読売は一度もリーグ優勝できなかった)。それらが積み重なって、1978年のようなにわかではない、持続的なヤクルトファンになっていったのだった。

 しかし、長嶋が打者・広岡の時に本盗に失敗した試合はいつだったのかと思って調べてみたら、1964年じゃないか。ということは、翌年以降、大岡昇平はアンチ読売の立場で9年連続で読売のリーグ優勝と日本シリーズ優勝を見せつけられていたわけだ。よくテレビのプロ野球中継を見る気が失せなかったなと感心してしまった。今の私など、今年のように何年かぶりに読売がリーグ優勝するだけで「ハラ」を立てているというのに。

「山本太郎の党の支持者のかなりの部分が既成政党に絶望して選挙に行かなくなっていた」というのは本当に「事実」か

 コメント欄で、Twitterで相原たくや氏から私が受けている批判に対して反論してはどうかとのリクエストがあったので、そのうち1件について反論することにした。

 

 

 相原氏は上記ツイートで、「山本太郎の党の支持者のかなりの部分が既成政党に絶望して選挙に行かなくなっていたという事実」と書いているが、「事実」と断定するからにはそのエビデンス(証拠)を示さなければならない。それも、一つや二つの具体例ではダメで、統計的に有意な論拠を提示する挙証責任が相原氏にはある。しかし氏は論拠を示していない。

 以前、似たような件について堀茂樹氏と三春充希氏が論争したことがあって、この論争について堀氏に軍配を挙げた記事を今年8月18日に書いた。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記記事を参照されたい、で済ませてしまいたいところだが、思い直して上記記事の後半を再掲することにした。

 

 私は東京東部に在住しているので、東京西部よりは「本当に困っている人たち」や「消えてしまいたい、死にたい、そう思ってしまう」人たちが多いのではないかと思われる東京東部、その中でもそういう人たちの比率が高いのではないかと思われる足立、葛飾、江戸川の3区は他の区と比較して山本太郎元号党への投票率はどうなっていただろうかと思って調べてみた。

 

1manken.hatenablog.com

 

 上記リンクのブログ記事には、「れいわ新選組*1の支持層は、区内西部に偏っている」図も示されているが、東京23区各区の各党の得票率が、区全体の投票率とともに示されている。

 それを見ると、山本党の得票率が最少なのは足立区と葛飾区の6.2%*2で、次いで江戸川区の6.4%が続く。つまり、足立・葛飾江戸川区が23区中では山本党の得票率のワースト3なのだ。ちなみに足立区は公明党の得票率が23区中最多の17.2%で、江戸川区が第2位の16.3%、葛飾区が第3位の14.6%だ。この3区は立憲民主党が弱い区でもあり、立民の得票率のワーストは荒川区(ここも東京東部6区の1つだ)の14.0%だが、以下足立区14.2%、葛飾区14.3%、江戸川区14.4%と続く。ちなみにワースト5位も東京東部の墨田区の14.7%であり、立民の得票率が15%を下回っているのは上記5区だけだ。

 もちろん、東京東部の各区においても全国平均の4.55%よりは山本党の得票率が高いが、「本当に困っている人たち」や「消えてしまいたい、死にたい、そう思ってしまう」人たちの心を掴んだとは言い難い。少し前に朝日新聞のオピニオン面で菅原琢氏が指摘していた通り、山本党は政策を自由に選べるメリットがあるので、今後打ち出す政策によっては「本当に困っている人たち」や「消えてしまいたい、死にたい、そう思ってしまう」人たちの心を掴めるポテンシャルが他党より高いとは私も思うが、参院選でこうした人たちの心を掴んだから躍進したという結論を導き出すことは不可能だ。参院選投票率も足立区(46.4%)と江戸川区(47.0%)は5割を割っており、足立区は23区中最低、江戸川区はそれに次ぐワースト2位だ(葛飾区は51.2%で12位)。足立・江戸川両区ではこれまで通り公明党共産党に投票するか、さもなくば棄権するという投票行動をとった人が多かったのではないか。

 

 私には、下記ツイートが正鵠を射ているとしか思えない。

 

 

 私は上記引用文の記事からさらに、山本太郎及び彼の元号党に投票した人たちの一番のボリュームゾーンは、2014年衆院選では共産党に投票し、2017年衆院選では立憲民主党に投票したような、無党派層の中でも比較的アクティブな反安倍・反自民で、毎回の選挙には欠かさず投票している人たちであると推測している。本当に「既成政党に絶望して選挙に行かなくなっていた」人たちが山本太郎元号党に投票したのであれば、そのことが投票率の数字に表れていなければならないが*3、相原氏はそのようなエビデンスを示し得てもいない。

 なお、上記引用文中最後にリンクを張ったmichaさんのツイートは「本当に困っている」立場から発信されたといえる。もちろんそれは一例であって統計的な意味はないけれど。

 山本太郎も私自身もそういう立場にはないことは言っておかなければならない。

 そのことを山本太郎自身が率直に認めているエビデンスを以下に示しておく。下記は中島岳志が「Web論座」に書いた記事。

 

webronza.asahi.com

 

 以下引用する。

 

政治へのきっかけは原発事故

 

 山本さんが政治に関与し始めたきっかけは東日本大震災による原発事故でした。

 彼は、この時まで「何かあった時、自分は助かるかもしれない」と思っていたそうです。自分は芸能界で活躍する人間であり、税金も多く払ってきた。だから、他の人よりも優先的に助けてもらえるという「選民意識みたいなもの」があったと言います。

 しかし、これが一気に崩壊します。自分は切り捨てられる側の人間であると痛感し、「税金、高いなと思いながらも、そこそこな額を真面目に収めてきたのに切るんですか」と思ったと言います。(前掲『山本太郎 闘いの原点』)

 

出典:https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019061500001.html?page=3

 

 上記引用文にある『山本太郎 闘いの原点』(ちくま文庫, 2016)は私も今年8月に読んだ。読んだのは2019年8月10日の日付が印刷された第2刷であって、第1刷以降の山本太郎の記録が増補されている(今年の参院選で山本元号党が2議席を獲得したことも記録されている)。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

 「選民意識」云々は上記文庫本の12頁、「税金、高いなと思いながらも、そこそこの額を真面目に収めてきた*4のに切るんですか」という言葉は13頁に出てくる。つまり本の冒頭部分だ。

 山本太郎は俗に言われる中卒ではなく高卒のようだがだが*5、早くから芸能界で認められたので、結構いい生活をしてきたのだ。だから「本当に困った人」の立場を身をもって知っているとはいえない。それはずっと定職を持ってきて今に至り、その間仕事に圧迫された経験は数多いけれども困窮体験は持たない私も同じなのだが。

 もっとも、このように率直に語ることができるところは、山本太郎に対して肯定的に評価できるというか好感を持てるところだろうとも思う。思うけれども、山本太郎の限界を示すものでもある。

 あと、山本太郎が今までに衆院選小選挙区制を批判した事例を、私は寡聞にして知らない。同じ意味のことを某所に書いたら、

山本太郎自身が典型的な3.11後に政治に目覚めた人ですから。90年代の政治改革がもたらしたことなどまるで知らないし知ろうともしないのでしょう。

とのコメントをいただいた(無断で公開してすみません)。そうかもしれない。山本太郎が「3.11後に政治に目覚めた」ことは、前記『闘いの原点』に率直に綴られている。

 この点に関しても、その「原点」から山本太郎はずいぶん遠ざかってしまったと思わないわけにはいかないのだが。いうまでもなく、国民民主党の電力系議員に対するいつぞやのコメントのことだ。

*1:引用文なので、原則としてNGワードとしている山本党の正式名称を記載した。

*2:四捨五入で同じ値になっているが、厳密にはどちらがより低いかまでは調べていない。

*3:たとえば、前回の選挙との投票率の増減と山本元号党の得票率との相関関係を示したデータなどを提示する必要がある。

*4:原文ママ。もちろん「納めてきた」の誤記。なおこの本の構成は木村元彦氏。

*5:「番組には出続けても、一応高校の方は退学にはならず」と前記『闘いの原点』122頁に書かれている。

柿沢未途は前原誠司らとともに「カジノ議連」の副会長(最高顧問は小沢一郎)

 IR議連(通称・カジノ議連)といえば反射的に思い出すのは最高顧問・小沢一郎の名前だ。3年前に下記記事を公開した。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 しかし、カジノ議連に名を連ねている野党政治家は小沢一郎だけではない。

 

 

 出た、柿沢未途

 小沢一郎前原誠司の名前に続いて、3番目に挙がっている。

 

 下記は、「日本におけるIRの過去・現在・未来を語」るIR議連副会長の柿沢未途。「カジノIRジャパン」の2015年3月20日付「特別インタビュー」。

 

casino-ir-japan.com

 

 同じ年、柿沢は夕刊フジのインタビューも受けている。

 

www.zakzak.co.jp

 

 やはり、野党は衆院東京15区で柿沢未途なんかを担いじゃダメだ。

逮捕された秋元司がIRなら柿沢未途はジャパンライフ。「野党共闘」は柿沢を担ぐな

 自民党を離党した衆院議員・秋元司については、しばらく前にも東京15区・16区のダメ政治家の括りで書いたばかりだが、東京15区で毎回、これも無所属の柿沢未途とレベルの低い競り合いをしていて、2012年にはみんなの党公認の柿沢に完敗して比例復活し、2014年には維新の党公認の柿沢に惜敗して比例復活し、2017年に三度目の正直でやっと希望の党公認の柿沢に勝ったものの、柿沢の比例復活を許してしまった。

 このように、東京の選挙区ではもっとも選挙に弱い政治家の一人でありながら、派手好きで浮き名を流してばかり。今回のIR疑獄でもわかりやすい収賄容疑で逮捕されるなど隙だらけで、これを機に政界から消え行く運命にあるであろう小物政治家だ。

 秋元が議員辞職するようなことがあれば、東京15区は補選になり、そうなれば比例復活で衆院議員の地位を維持した柿沢未途議員辞職して「野党共闘」の候補になろうと動くに違いない。しかしこの柿沢も「桜の会」問題で話題のジャパンライフから政治献金を受けていた。それでなくとも、衆院選のたびに毎回所属政党が違う柿沢は全く信用のならない政治家で、希望の党設立騒動に関しては、いわゆる「チャーターメンバー」には数え入れられないものの、もっとも早い段階から希望の党入りに動いた「限りなく『チャーターメンバー』に近い」人間だ。妻の柿沢幸絵は、夫同様にみんなの党から民進党に移った前東京都議で、前回の都議選前には民進党を離党して「都民ファ□ストの会」入りを狙ったものの、小池百合子に警戒されたのか公認が得られず落選した。夫の柿沢未途は都議選への援護射撃の意図もあったのか、2017年の早い時期から「小池知事を評価する」などと書かれたビラを撒くなど、夫婦揃ってしきりに小池にすり寄っていたのが、幸絵は公認を得られず都議選に落選するわ、小池の「排除」騒動によって希望の党が強い逆風を受けたあげく未途も秋元に大差をつけられて選挙区では負けるわと散々だった。しかし未途は悪運強く比例復活を果たし、同じ年の夫婦揃っての落選を強く願っていた私は大いに頭にきたのだった。

 補選があった場合でも衆院選の本選はそう遠くない未来にあるから、補選で柿沢が立候補しないことはまず考えられない。補選で柿沢以外の「野党共闘」の候補者が立って当選した場合、柿沢は本選でも「野党共闘」の候補者になることはまずできないからだ。

 問題は補選になった場合に「野党共闘」が柿沢を担ぐかどうかだが、ジャパンライフから献金を受け、一昨年には小池百合子にすり寄ったのに現在では国民民主党にも入らず、地方選での動きを見る限り立憲民主党入りをつけ狙っているようにしか見えない、このとんでもない渡り鳥野郎を担ぐようでは「野党共闘」も終わりだろう。野党が公認しなければ柿沢が自民党入りを狙う可能性もある。もともと限りなく「チャーターメンバー」に近いし、同メンバーの長島昭久細野豪志の選択を考えれば大いにありそうな話だ。

 しかし、受け入れ先の二階派は、今後IR疑獄で大揺れになる可能性もある。まあIR秋元とジャパンライフ柿沢とでは似たり寄ったりだから、秋元の後釜に柿沢を据えれば自民党に勝算が出てくるだろうが、だからといって自民党議席を渡さないために「野党共闘」が柿沢を担ぐのなら、そもそも何のための「野党共闘」なのかという話になる。

 以上は秋元が議員辞職した場合の話をしてきたが、補選にならない場合でも秋元が自民党公認で次期衆院選に出馬できるとは考えられないから同じ構図になる。

 仮に「野党共闘」が議席確保を最優先して柿沢を担ごうとするなら、「野党共闘」の手段自体が目的化しているとの批判は避けられない。私自身は既に「野党共闘」の理念に対しても懐疑的な立場に立っているが、柿沢を担ぐようなら完全に「野党共闘」を見放すしかなくなる。何度も書くが、特に共産党が民主・民進系政党と一緒に柿沢を担ぐならば、同党のレゾンデートルが問われるだろう。

 「野党共闘」陣営には、早く柿沢を切り捨て、筋の通った候補者の擁立を模索していただきたいものだ。同じことは初鹿明博立憲民主党を離党した東京16区にもいえる。

 私は柿沢未途が大嫌いなもので、秋元司の逮捕や、これが大規模なIR疑獄(カジノ疑獄)の摘発につながるかなどの話はそっちのけにして、ついつい柿沢の悪口を書き連ねてしまった。私の柿沢嫌いは、親父の故柿沢弘治が大嫌いだったことに端を発しているが、親父の件については今回は省略する。

 かつて民主党都議時代に酒気帯び運転で物損事故を起こした議員辞職に追い込まれながら、みんなの党公認で衆院選に当選して「焼け太り」を果たしたこの男の、さらなる「焼け太り」を許してはならない。

出生数激減に「厚労省のおっさん」が「改元を待って結婚したため出産のタイミングが遅れたのでは」と珍コメントw

 三春充希氏のツイートより。

 

 

 昨夜はこのツイートを見たあとに、news23で当該の「厚労省のおっさん」のコメントの映像を見たので噴いてしまったw

 

 

 そうだな。本当にそんなことが起きたら、半世紀以上前に起きた1966年の「丙午」で出生数が目立って減った現象の再来になるw

 

 

 へえ、日経ってそんな馬鹿なこと書いてたんだ。

 

www.nikkei.com

 

出生数86万人に急減、初の90万人割れ 19年推計

2019/12/24 14:35 (2019/12/24 15:00更新)
 

厚生労働省が24日発表した2019年の人口動態統計の年間推計で、日本人の国内出生数は86万4千人となった。前年比で5.92%減と急減し、1899年の統計開始以来初めて90万人を下回った。出生数が死亡数を下回る人口の「自然減」も51万2千人と初めて50万人を超え、政府の対策にもかかわらず少子化・人口減が加速している。

少子化社会保障の支え手の減少に直結するほか、潜在成長率の低迷を招く恐れがある。人口減が予想より早く進む事態への備えが求められる。

2017年4月の国立社会保障・人口問題研究所の将来人口推計(日本人人口ベース)では、出生数が90万人を割り込むのは20年、86万人台となるのは21年と予測されていたが、減少ペースは2年早まった。5%を超える減少率は1989年以来30年ぶりとなる。

出生数の急減は複数の要因が重なった可能性がある。最も大きいのは出産期の女性の人口減少だ。総務省の統計では2019年7月時点で25~39歳の女性は969万人で、前年同月から約21万人減った。

1971~74年生まれの団塊ジュニアが2019年に45歳以上になった影響もある。同研究所の岩沢美帆・人口動向研究部長は「この世代は就職氷河期に直面するなどし、若い頃に見送っていた出産が後ろずれしたことで、直近の出生率を下支えしていた」と話す。

19年は新元号にあやかった「令和婚」や「令和ベビー」の効果が期待されていたが、婚姻件数も前年比0.59%減の58万3千組にとどまった。

厚労省人口動態・保健社会統計室は「令和になった5月の婚姻件数は18年の約2倍あり、令和婚現象自体はあった。結婚を先延ばしした夫婦の出産時期も後ろズレしたと考えられ、その分、20年以降に出産が増える期待はある。動向を注視したい」としている。

03年に少子化対策基本法が成立し、政府は仕事と子育ての両立や待機児童対策、保育料無償化や働き方改革、男性の育児参加などを推進してきた。合計特殊出生率は05年の1.26を底に一度は持ち直したものの、15年の1.45の後は減少が続き、18年は1.42だった。

政府は25年度までに、子どもを望む夫婦らの希望がすべてかなった場合の「希望出生率1.8」の実現を目標に掲げるが、即効薬は見当たらないのが現状だ。

松谷明彦・政策研究大学院大名誉教授(マクロ経済学)は「若い世代が減っている以上、政府の少子化対策に劇的効果は望めない。人口減を前提とした社会、経済に転換していく必要がある」と指摘する。

人口動態統計の年間推計は10月までの速報値から算出しており、出生数に外国人の日本での出産、日本人の海外での出産を含まない。これらを含めた総人口ベースでも19年の出生数は90万人を下回った可能性が高いとみられる。

日本経済新聞より)

 

出典:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53727740U9A221C1MM8000/

 

 本当だ。馬鹿じゃねえか?

 「1971~74年生まれの団塊ジュニアが2019年に45歳以上になった影響もある」というのも変だ。1971年生まれの人など、年末でもう48歳じゃないか。そんな影響が今頃突然出てくるかよ。

 要するに、安倍政権の経済政策、私に言わせれば「富裕層の『お友達』や軍需産業アメリカややロシアには大盤振る舞いし、庶民に対しては『緊縮』」のトンデモ政策、要するに安倍政権の失政の影響であることをなんとしても認めたくないがゆえの強弁だろう。

 ここ数年、「崩壊の時代」が進んで、安倍政権を批判するのが憚られるような空気ができていた。それをいいことに、政権がたるみ切っていたのだろう。最近、政権が何とかのミクスのエンジンを再点火させるとか言っていたのを聞いて笑ってしまった。

 なぜって、エンジンが止まっていたことを政権が自ら認めたに他ならないからだ。

 来年、2020年こそは安倍政権を終わらせなければならない。