http://www.asahi.com/politics/update/0210/TKY200902100266.html
「任期いっぱい職責果たす」 早川法務政務官が辞意撤回
早川忠孝法務政務官(自民党町村派)が10日、年度末での辞意を表明しながら、数時間後に撤回した。「内閣の一員として軽率だった」と謝罪し、「与えられた仕事は山積しており、任期いっぱい職責を果たしたい」と述べた。
早川政務官は9日のブログで、「政界再編のため、新党設立も視野に入れて自立の道を歩まなければ」などと書き込み、09年度予算関連法案の成立後に辞任する意向を表明した。
さらに、10日午前、報道陣に、「予算が仕上がった段階で、法務省での仕事はほぼ終わる。党に戻って仕事をしたい」と話し、辞意が変わらないことを明言。「政務官というのは役所の中で盲腸。自分が一番役に立つ所で仕事をしたい」とも述べていた。
しかし、約4時間後に改めて記者会見を開き、国会で法案審議が始まることや、5月に裁判員制度が始まることなどを挙げ、「簡単にどなたかに職場をゆだねられない。大臣から、法律の専門家が身近にいる重要性をちょうだいした」などと語り、発言を全面的に撤回した。
(asahi.com 2009年2月10日16時41分)
私がこの早川という議員を初めて認識したのは、2005年12月18日に早川がテレビ朝日の『サンデープロジェクト』に出演した時である。番組のテーマは耐震強度偽装問題で、総研の内河健の証人喚問が行われた直後。番組では田原総一朗による内河健と四ヶ所猛のインタビューも放送されていたように記憶している。
早川は、民主党の馬淵澄夫とともに出演したのだが、舌鋒鋭く疑惑を追及する馬淵とは対照的に、疑惑隠しをしているようにしか見えない発言を繰り返し、見ていて「なんだこの男は」と思ったものだ。
ちなみに、なぜこの放送日を覚えているかというと、この日の夕方、『きっこの日記』にイーホームズ藤田東吾社長(当時)からのメールが掲載されて驚いた記憶が鮮烈だからである。さらに翌19日には、馬淵事務所が『きっこの日記』と提携していたことが公表された。
二度目に早川が私の視界に入ってきたのは、参院選で自民党の苦戦が伝えられた一昨年7月に台風が襲来した際に、
潮目が変わるとき/台風と選挙 | 弁護士早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」
なるエントリを早川が上げてきた時だ。
安倍自民党批判のニュースを一時的にせよかすませた台風の襲来を喜んでいるようにしか見えない早川のエントリは、
2ちゃんねるより(ブログで台風の被害を喜んだ自民党代議士・早川忠孝、2ちゃんねらーにまでバカにされた田原と岸井の陰謀論など) - kojitakenの日記
で紹介したように、2ちゃんねるで笑いものになっていた。当然、早川のブログのアクセス数は急増したことだろう。
ところが、そうとも知らないおめでたい早川は、
日本大変 | 弁護士早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」
で、
何故だろう。昨日から私のブログの読者が急に増えた。
どなたかが私のブログの紹介でもしていただいたのだろうか。
などとブログに書いたので、吹き出してしまったのである。
こんなおちゃめな早川くんだから、「またキミか」って感じで微笑ましささえ感じた今日この頃なのだった。